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66 ジオットとEU
2007年4月8日
齋藤 恵 齋藤 恵 [さいとう・さとし]

1948年埼玉県生まれ、1970年に大学卒業後、時計メーカーの輸出部門に就職。8年間の勤務の後、宮仕えには向かない自身の性格を認識して、父の経営していた小売店 (創業1912年 = 大正元年)に転身しました。歴史、風土、絵画、言語等に関心が強く、駄文ながら文章を書くことがストレス発散の手段のひとつになっています。ささやかながら、会社を経営するというのはそれなりにたいへんです。ここに書かせていただくことは、そうしたストレスの大いなる発散のためですので、お読みになる方もどうぞお気軽に。

ジオットとEU


ルネッサンスの中心はイタリア、そしてそのまた中心はフィレンツェだったということは誰でも認めるところだと思います。そのルネッサンス時代から数百年を経て、現在 <ユーロ> という通貨を基軸にして、大いに連帯を強めつつあるヨーロッパの団結の象徴はなんだろうか? という問いから上段の絵に関するおしゃべりを始めます。

私の狭い経験からの意見なのですが、あれだけ気質が異なり、1歩中に入れば、お互いに仲がよいとはとうてい思えない多くのヨーロッパの国々の人達が、とりあえず団結するには、経済的利害の他にも、よほどの何かが必要で、それはヨーロッパ共通の文化の根底にかかわる精神的な何かではないかというのが私の推論なのです。

余談ですが、私の経験ではヨーロッパ各国の人達は、お互いのことをかなり悪く言い合います。もちろん非公式に、小声でやるわけですが。 だいたい夕食の話題には必ず出てきますよ、お互いの悪口が。もっとも、こうした悪口が言えるのは、本当は基本的信頼があるからだ、という気もしなくはないのですが。

そもそも現代ヨーロッパ文化のバックボーンは、大ざっぱに言えば、ギリシャ・ローマ的要素、ゲルマン的要素、キリスト教的要素がミックスされたもの、つまりルネッサンスに始まる文化ではないのかと私は思っています。そしてそのことを根拠にして、ヨーロッパは文化的にはひとつであり、経済的にも統合されて然るべきだという現在のEU各国の主張がなされているように思えるのです。そうか、ルネッサンスが EU = 現代ヨーロッパ統合の拠り所なのか!と思うと、ルネッサンスをもう一度おさらいしてみてもいいですね。

ルネッサンスが残した数多くの業績の中に、もちろん多くの絵画があります。絵画史に興味がある私は、ルネッサンス絵画とはどのあたりからを指すのか、ということにも大きな関心があります。ただ、どのように調べていっても、出発点に必ず登場するのが、主に14世紀のフィレンツェで活躍したジオットという画家です。

ジオット・ディ・ボンドーネ (Giotto di Bondone  1260年代 〜 1337)、装飾的であった宗教絵画を自然な描写や劇的な人間像の表現によって変革し、後に続くルネッサンス美術への扉を開いたとされている画家であり建築家でもあるアーティストです。フィレンツェのシンボル、サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂の横に立つ鐘楼は、<ジオットの鐘楼> と呼ばれていますが、あれはこの画家の建築家的側面をあらわしたものです。

上段の絵は、このジオットが14世紀初めに描いた「東方三博士の礼拝」というフレスコ画です。イタリアの東北部、ヴェネツィアから車で小一時間のパドヴァ (Padova) にある、スクロヴェーニ礼拝堂の壁画の中の1枚です。

もう一度この絵をご覧いただきたいのですが、絵の上端部に彗星が描かれています。これは、ジオットが存命中に見ることができた唯一の彗星、ハレー彗星なのです。1301年に地球に接近したハレー彗星を、自然主義絵画の先駆者でもあったジオットが、細かく観察し写生していたことは十分考えられることで、それを後にこの絵に描き込んだことも納得できることです。

実は、1985年にハレー彗星が76年ぶりに地球に接近した時、ヨーロッパ連合が彗星探査機を打ち上げたのですが、その探査衛星に <ジオット> という名前が付けられました。科学の最先端にある人工衛星の名前として、このルネッサンス期の画家の名前が選ばれたわけです。その理由としては、もちろん絵の中にハレー彗星が描き込まれていることもあると思いますが、私にはそれ以上に、ジオット → ルネッサンス → ヨーロッパ文化共通の根幹 → ヨーロッパの統合 という思いがヨーロッパ連合の人々の頭の中にあったように思えるのです。

私はこの絵に関して、実は特別な思い出があります。1990年、今から17年前の1月中旬に私はパドヴァへ行きました。正確に言うと、パドヴァに宿泊し、近くのヴィチェンツァ (Vicenza) で開催されたジュエリーの国際見本市、ヴィチェンツァ・フェアに出かけたのです。寒くて、霧が深い冬の北イタリアは陰鬱で、その直後に出かけたローマの明るさと比べてあまりの落差に強烈な印象があるのですが、ともかく私はこの町の外れにあるシェラトン・ホテルに3日間宿泊し、毎日シャトル・バスで約1時間かかるヴィチェンツァ・フェアまで通ったわけです。

朝早く出かけて、暗くなってからホテルに戻る生活でしたから、北イタリアでは至極ありふれた町に見えたこのパドヴァという町の中心部には、とうとう一歩も足を踏み入れずに見本市が終わり次第、次の目的地、ヴェネツィアへと移動してしまったのです。実に惜しいことをしました。この名画のすぐ近くに3泊しながら、見逃してしまったわけですから。それに、この町、パドヴァは並の田舎町ではなかったのです。イタリアでもっとも歴史のある大学がある町で、天文学者のガリレオもこの大学の教授だったのです。やっぱりどこかへ出かける時には、事前によく調べておくものですね。でもその頃は、今と違ってインターネットを使うことができない時代でしたし、その時は出張前の忙しい時に、事前調査などまったくしなかったのです。

あのあたりは冬はアドリア海から上がってくる霧がよく発生します。それもかなり濃い霧が多く、空港が閉鎖されたり、道路ではただでさえ多い交通事故がもっと増えたりします。でも根が楽天的なイタリア人は、霧が濃い中でも、無謀としか私には思えない運転を平気でするのです。高速道路など、まさに五里霧中の中をかなりのスピードで飛ばすのです。一度などたまりかねてタクシーの運転手にもっとゆっくり走ってくれるように頼むと、彼の返事は、「ネバーマインド、シニョール。The God is with me.」ですって! そりゃそうかもしれないけれど、「Maybe he is with you, but not with me !」 って頼みましたよ、神様など信じてはいない私としては。

ところで上段の絵が描かれているスクロヴェーニ礼拝堂のことですが、これは人の名前からつけられています。パドヴァの市民、エンリコ・スクロヴェーニが金貸しであった父の罪障消滅のために、大金を寄進してこの礼拝堂を建てたのです。中世の人々は、死後の魂の救済をとても大切に考えていました。この世でどんなに栄耀栄華を誇っても、死後に地獄に墜ちて永遠の苦しみを味わうのはどうしても避けたい。多少とも心にやましいところのある人々は何とか罪を償うために、寄進、慈善などにはげんだわけです。

死後の運命におびえる人々の代表は金貸し業者でした。(金貸しが儲かるのは、いつの世も変わらないようですね) 教会の律法では、お金を貸して利息を取ることは禁じていたわけですから、金貸し業者の死後の運命に対する恐れはたいへんなものだったことでしょう。金貸しをしたものは、キリスト教徒として埋葬してはならない、という決まりまであったようです。

でも考えてみれば、金貸しスクロヴェーニの「悪行」のおかげで、私達は現在この名画を見ることができるのです。皮肉なものですね。今度あの地域に行ったら、きっと見に行きます、この前見逃したジオットの名画を。

下段の写真は、1985年に打ち上げられたハレー彗星観測用の探査用人工衛星、ジオットの想像画です。この衛星は1985年7月2日に、フランス領ギアナのギアナ宇宙センターから打ち上げられました。打ち上げたのは、ヨーロッパ連合が組織した欧州宇宙機関といい、この人工衛星プロジェクトにはヨーロッパの十数カ国が参加しました。そしてこの探査機は貴重なデータを人類に届けてくれたのですが、その後の運命はこんなふうでした。

1986年3月14日
それまでハレー彗星の核から600kmまで接近し、画像を撮影していましたが、彗星の塵の衝突により交信が途絶えました。

1990年
なんとか交信が再起動されました。カメラは故障していましたが、その他の観測装置の大半は無事でした。

1992年7月10日
グリッグ・シェレルップ彗星に約200km にまで接近、データを観測しました。

1992年7月23日
また交信が途絶えました。

1999年
地球に接近しましたが、もう地上からの信号には反応せず、その後宇宙の彼方へと去っていきました。

今も宇宙の彼方を飛び続けている探査衛星ジオットを思いやりながら、上段の絵の中のハレー彗星をご覧ください。宇宙とか歴史というものがより身近に感じられるような気になりませんか?

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