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縁の下のバイオリン弾き
45 ジャージー・リリー
2012年4月1日
西村 万里 西村 万里 [にしむら・まさと]

1948年東京生まれ。大学で中国文学を専攻したあと香港に6年半くらし、そのあとはアメリカに住んでいる。2012年に27年間日本語を教えたカリフォルニア大学サンディエゴ校を退職。趣味はアイルランドの民族音楽 (ヴァイオリンをひく)と水彩画を描くこと。妻のリンダと旅行するのが最大のよろこび。
▲ ジョン・エヴァレット・ミレー「オフェリア」
▲ ジョン・エヴァレット・ミレー「ジャージー・リリー」
▲ フランク・マイルズ「リリー・ラングトリー」



去年の暮れ、妻と私は家を引っ越した。長年住んでいたマンションをはなれ、地理的にはそこからあまり遠くない家に移ったのだ。新しい住所はサンディエゴで一番古いオールド・タウンと呼ばれる一帯を見下ろす丘の上にある。

オールド・タウンは今や観光地になっていて、レストランや商店がたくさんある。今までは車で行ったものなのに、お隣さんになったからというので歩いて行き、「バラバラ」というレストランのバーでビールを飲んだ。

そこのトイレにサンディエゴに関係のある人物の写真と短い説明が額入りで飾ってあった。その中に「ロイ・ビーン判事」というのがあったから私はびっくりした。この「ロイ・ビーン」なる人物についてはよく知っていたのに、彼がサンディエゴに関係がある、ということは全然知らなかったからだ。

ひげのある若い男の写真の下に「1852年。サンディエゴ市長の弟ロイ・ビーンは殺人の疑いで監獄にいれられていたが、ポケットナイフを使って土を掘り、脱獄した」と書いてあるではないか。

アメリカがカリフォルニアをメキシコから奪ったのが1848年。翌年には州の首都サクラメントの近くで金鉱がみつかり、いわゆるゴールド・ラッシュになった。さらに翌年の1850年にサンディエゴが正式にアメリカ合衆国の市として編入された。

調べてみるとその初代の市長がほんとうにジョシュア・ビーンという人物で、弟はロイ・ビーン(1825-1903)だということがわかった。ふたりともケンタッキーの生まれだ。

ジョシュアの引退後二人はロサンゼルス近郊で酒場を経営していたが,兄が女の問題で暗殺されてからロイはテキサスに居を移した。20年ほどはサンアントニオに暮らしていたが、その後あちこちを転々とし、最後にイーグルスネストという辺境の町、国境であるリオ・グランデ川のすぐそばの町に酒場を開いた。

「氷のようなつめたいビール」と看板がでていたが、19世紀のテキサスの夏に氷があるわけがない。それでもビールびんに布をきっちり巻きつけてそれに滴々と水がしたたるように工夫し、その気化で熱を奪ってけっこう飲めるようにしてあった。

その頃のテキサスはそれこそワイルド・ウエストで司法の目がとどかなかった。テキサス・レンジャー(自警団)に頼まれて(そんな資格はないのだが)酒場を裁判所にして判事になった。酒場にはビールのことよりもっと大きく「ペコス以西の法」と書いた看板がかかげてあった。町の東にペコス川という川が流れているが、それを西に越えたらビーン判事の裁定がすべてだ、という意味だ。彼は判事であるだけでなく、町長であり警察署長だった。

あらゆる犯罪がはびこり、殺人が日常茶飯事という無法の町でビーンはまがりなりにも秩序をたもった。

彼は一冊の古びた「テキサス州法全書」だけを頼りに裁定を下した。それより後に出た法律書を見つけると破いてかまどに火をつけるのに使ってしまったという。

その町には監獄がなかったので判事は犯罪者に罰金を課した。その罰金はきまってその時被告がポケットに持ちあわせていた金の全額だった。しかもそれは州政府に納められることはなく、いつもビーンのポケットに入ってしまった。そうはいっても義侠心もあってその罰金をよく町の貧乏人に分け与えたそうだ。

彼はよく誤解されているように「首つり判事」だったわけではなかった。そう呼ばれる判事は別にいて、ビーンは一人も死刑にしたことはなかった。

当時テキサスでもメキシコでも商業ボクシングは禁止されていたので、ビーンはリオ・グランデ川の中州(なかす)にリングを張ってチャンピオンシップの大試合を興行した。テキサス・レンジャーは川のこちら側でなすすべもなかった。これによりビーンは全米に名をとどろかせた。

というわけで1903年になくなるまでロイ・ビーンは西部の名物男だった。虚実とりまぜた伝説がうまれ、その荒っぽさ、ずるがしこさ、独断と偏見が誇張されて伝えられた。今となっては何が本当なのかわからない。

晩年には毎日駅から見える自分の酒場のベランダにすわって物見高い観光客の期待に答えたということだ。

1972年に(もう40年前ですね)ポール・ニューマン主演のすてきにおもしろい映画になっている。日本では単に「ロイ・ビーン」という題名だったけれど、もとの題名は「ロイ・ビーン判事の生涯とその時代」というなんとも大時代な題名だった。

写真をみると白いひげをはやしたビヤ樽のような男だが、若いころはけっこうハンサムだったらしい。サンディエゴでの脱獄もガールフレンドがタマレ(メキシコ料理で大型のちまきのようなもの)にナイフを仕込んで差し入れたから成功した、ということだ。

この荒っぽい西部男にもロマンチックな面があって、当時人気絶頂だった英国の舞台女優、リリー・ラングトリーの大ファンだった。会ったことは一度もなかったけれど、酒場の壁には彼女の古びた写真がはってあった。

彼は自分の酒場を彼女の愛称「ジャージー・リリー」と呼んだだけでなく、町の名前を「ラングトリー」に変えてしまった。

「町の名前としてこんなにすてきな名前はない。文句があるならいってみろ」と宣言した。今でも町はその名前で残っている。

ビーンは町の名前を変えた時、リリーに手紙を送ってこの事をしらせ、来てくれ
たら大歓迎すると書いた。リリーにはとてもそんな時間の余裕がなかったので、かわりに石造りの噴水(水飲み場)を寄贈したいと申し出たところ、ビーンは「お申し出はありがたいけれど、残念ながら噴水ぐらいこの町にふさわしくないものはありません。当地には水など飲む人間はおりませんので」と返事を書いた。みんな酒ばかり飲んでいる、という意味だ。

現在町の正式なウェブサイトには「ラングトリー」という名前はリリー・ラングトリーとは関係なく、当時鉄道敷設のためにこの近辺に滞在した鉄道技師の名前からとった、と書いてあるが、そんなのはもちろんうそっぱちだ。町が改名される前からビーンの酒場が「ジャージー・リリー」という名前だったのだ。その酒場のおやじで町を牛耳っていたビーンがリリーに首ったけだったのだ。そんな町がなんで鉄道技師の名前なんぞを町の名前に選ぶだろう。その技師の名前がなんでラングトリーでなきゃならないのだ。第一鉄道ができたってラングトリーにはビーンと彼の経営する酒場しか観光の対象になるものはなく、ほかに何の産業もなかったのだから、そんな汽車が止まるだけの鉄道を作った技師を記念するいわれがない。

察する所この町の長老たちはビーンによるこのでたらめな命名ぶりをよほど気にしているのだと思われる。


リリー・ラングトリー夫人(1853-1929)は「絶世の美女」とうたわれた。彼女は英仏海峡にあるジャージー島の出身でそれで「ジャージー島のゆり」とよばれたのである。

そんな田舎に埋もれるには惜しい美少女で本人もなんとかしてロンドンに出たいと願っていた。ラングトリーという一応金持ちでロンドン社交界にもコネのある男と結婚して望みを果たした。ロンドンに出てからはたちまち社交界の花形となり、ついには当時の英国皇太子の愛人となった。

皇太子と切れたあと、劇作家オスカー・ワイルドのすすめで舞台に進出し、女優として名声を博した。あまたのセレブと浮き名を流したので有名だ。家庭内離婚の様相だった夫のラングトリーはアル中となり、結局はリリーと離婚して早死にした。

リリーがただ美しいだけではなく、知性にめぐまれ独立心が旺盛だったことについては多くの同時代人の証言がある。

彼女がいつもからだにぴったりした服を着ていたため、伸縮自在の素材で作った服を彼女の出身地にちなんで「ジャージー」というようになった。ラグビーのユニフォームは今でもそう呼ばれる。日本ではスウェットシャツが「ジャージ」と呼ばれる事が多い。

当時「ラファエロ前派」と呼ばれる美術運動があった。ダンテ・ガブリエル・ロセッティが中心になって結成された運動で、「ラファエロ以前の絵の精神にもどろう」というのが合言葉だった。

「ラファエロ前派」の絵にはお姫様、騎士、妖精、人魚などがよく登場するので、彼らの美術上の主張が忘れられた今も、そういう題材が好きな人から愛されている。よくポスターやカレンダーになっている。

その結成メンバーの一人にジョン・エヴァレット・ミレーという人がいる。ミレーといっても「晩鐘」や「種まく人」で有名なフランスのミレーではない。フランスの画家はMilletで、こちらはMillaisと書くので全く別の名前だ。

ミレーの絵でいちばん有名なのは「ハムレット」に題材をとった「オフェリア」だろう。水に身を投げたオフェリアを描いた絵でその写実的なことはおどろくばかりだ。この画面にあらわれるすべての植物が特定できるそうだ。彼は最初に背景となる川の状況を5ヶ月にわたってスケッチした。

その後ロンドンの自宅の風呂にモデルを浮かせてオフェリアを描いた。冬のさなかに浴槽のそばに火をおいて描いたのだが、熱中のあまり薪(まき)をつぎたすのを忘れて、そのためにモデルはひどいかぜをひいたということだ。

リリーの肖像画の中では、ミレーが描いたその名も「ジャージー・リリー」がいちばん有名だ。ミレー自身も先祖はジャージー島の出身だったということでミレーとリリーはその島の言葉で会話をした。

ミレーのほかにもリリーを描いた画家はたくさんいるけれど、最初に描いたのはフランク・マイルズという画家で、パーティーで鉛筆を走らせたスケッチだった。そのスケッチが複製されて(史上初のブロマイドだと思う)売れに売れた。画家自身が「あのポートレートのおかげで生活の安定を得た」と言っているぐらい売れた。

オスカー・ワイルドの代表作の一つ、「ウィンダミア夫人の扇」という戯曲はリリーのために書かれた。 この芝居は娘の名誉を守るため自分の評判を犠牲にすることもいとわない母親、しかし娘とはながらく音信不通で母親と名乗る事のできない女の心情を描いたもので、2004年にヘレン・ハント、スカーレット・ヨハンソン主演で「理想の女(ひと)」として映画化されている。

リリーはワイルドが同性愛事件で社会的に葬られたあとも最後まで彼の側に立って弁護し、一文無しになった彼に金銭的な援助を与えた。ワイルドが死んだのは1900年(明治33年)、偽善的な道徳が尊ばれたヴィクトリア朝時代だ。なかなかできることではない。

ファンレターを受け取っていたから彼女はアメリカ西部の田舎町のひげおやじが自分のファンだということをよく知っていた。しかし何度もニューヨークで仕事をしたのに遠いテキサスまで行く事はできなかった。

でも世紀が変わってまたアメリカを訪問した時にリリーはわざわざテキサスまで行ってラングトリーに汽車(豪華な専用列車)を止めた。残念ながらその時にはビーンは数ヶ月前になくなっていた。彼女は町長から記念にビーン愛用のピストルを贈られている。

いかに熱烈なファンとはいえ、町の名前まで自分の名前に変えたというのを聞いてはさすがに感激したのだろう。舞台俳優は星の数ほどいても、そんなことをされた俳優はまずいないと思う。

そのためだけでもないのだろうが、リリーはアメリカが好きになって市民権をとってアメリカ人になった。

天と地ほどもちがう二人だったがひとつ共通点があった。バイリンガルだったということだ。リリーは英語とフランス語を完璧に話した。ビーンは英語とスペイン語で1時間でも2時間でも悪態をつくことができたということだ。


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