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縁の下のバイオリン弾き
44 工夫
2012年3月15日
西村 万里 西村 万里 [にしむら・まさと]

1948年東京生まれ。大学で中国文学を専攻したあと香港に6年半くらし、そのあとはアメリカに住んでいる。2012年に27年間日本語を教えたカリフォルニア大学サンディエゴ校を退職。趣味はアイルランドの民族音楽 (ヴァイオリンをひく)と水彩画を描くこと。妻のリンダと旅行するのが最大のよろこび。
▲ 茶運人形
▲ 内部の仕組み(どちらも「機巧図彙」から)
アメリカと旧ソ連が宇宙開発にしのぎをけずっていた頃の話だ。ロケットの中は無重力だから上も下もない。それでアメリカ人は重大なことに気がついた。ペンが役に立たなくなったのだ。ボールペンのインクは重力によって下におりてくる。無重力状態ではペン先までインクがおりてこない。したがって何も書く事ができなくなる。これでは記録が残せないではないか。

それでNASA(米国宇宙局)は必死になって解決法をもとめ、膨大な研究費を費やしてついに特殊な気体を中にいれたボールペンを発明した。この気体の膨張によってインクを押し出す仕組みにしてあるので無重力でも字を書く事ができる。

そのあいだロシア人はどうしていたか。鉛筆を使っていたのである。

笑い話のようなほんとの話だ。アメリカ人は自分たちのテクノロジーに自信を持ち過ぎ、シンプルな解決法に気がつかなかったのだろう。

簡単な工夫が問題を解決するのにそれには目をつぶってもっともらしく複雑なことばかりにかかずりあうというのは誰もがおちいりがちな誤りではないだろうか。

日常生活でもなにか問題がおこると頭はそれに集中して不安ばかりが自己増殖し、ちょっと見方を変えれば簡単にみつかるはずの解決法を見のがしてしまう、ということがよくある。

そうはいうものの、簡単な工夫を見つける、というのが実は簡単ではない。私はそのことを鎖国していたころの日本人に感じる。

「からくり」という言葉がある。「株式市場の裏のからくりは…」などと使うが、そのもともとの意味は機械仕掛けの仕組み、という意味だった。

江戸時代に「茶運人形」というものがあった。無理な読み方だけど、「ちゃくみ人形」と読む。これはぜんまいと歯車を動力とした動くからくり人形だ。けっこう大きいもので客が来るとこの人形が茶を入れた湯のみをもって座敷の中をしずしずと歩いてくる。客がその湯のみをとって茶を飲み、それを人形の手に置くと人形は向きを変えてもと来た方へもどる、というものだ。

1796年に出た「機巧図彙」(からくりずい)という本にこの人形のからくり、つまり仕組みがのっているので現在では復元した人形ができている。

そんな昔にロボットじみた動く人形ができていた、ということはたしかに驚嘆に値する。

茶運人形だけではない。碁盤(ごばん)人形といって碁盤の上で動き回る小さいからくり人形ができていた。そしてからくり人形は文楽にもとりいれられたという。

私はしかし、その中にからくりをおもしろがる「遊びの心」を見るものの、それを実用的なことに使おうという考えがまったくなかったことにいささかがっかりする。

日本のからくりの起源は西洋から渡ってきた時計だ。時計の中のぜんまいと歯車を見て日本人は驚いたけれど、すぐにその原理をさとって日本でも時計を作り出した。和時計という。時間が24時間で決まっている西洋の時計と異なり,日本では日の出日の入りを時間の基準としていたので和時計の仕組みは西洋の時計よりももっと複雑になった。それほど器用な日本人がその原理を遊びにしか用いなかった(和時計は大名などがステータス・シンボルとして持つもので、江戸時代を通じて一般には普及しなかった)。

茶運人形に使われたぜんまいはクジラのひげ(歯のかわりに口の中にはえるもの)でできていた。プラスチックなどない時代に弾力性に富んだクジラのひげを利用したというのはよくやったというほかはない。歯車は木製である。だから精密な部品とはとてもいえなかった。

西洋から渡ってきた時計には金属のぜんまいと歯車が使われていたのに日本人はそれをまねしようとはしなかった。技術がなかったのかもしれないけれど、それならその技術を確立するために努力すればよかったのではないだろうか。

日本人は1543年、種子島(たねがしま)にポルトガル人がやってくるとすぐに鉄砲の秘密をぬすみ、製造にのりだした。戦国時代で需要があったから鉄砲の製造は飛躍的に伸び、一時は世界で一番鉄砲を持っている国となったほどだった。

そのいわゆる種子島銃には引き金をひいて撃鉄を打ちおろすために鋼鉄のばねがついている(U字型のばねでぜんまい型ではない)。そういうものがちゃんとあるのにからくり人形のためには鋼鉄のばねを作る事をしなかった。

鋼鉄のぜんまいや歯車を作る事に成功していたら日本人も「機械」というものに目覚め、独自に産業革命を経験していたかもしれない。

現在の技術立国の日本からは考えられない怠慢ぶりだけど、これは「世の中は進歩するものだ」という考えがそのころにはなかったのが原因だといわれる。なるほどそうかもしれない。封建時代の日本には進歩という考えがなかったようだ。「かえるの子はかえる」といわれ、武士は武士、百姓は百姓と身分がきまっていた。どんなに才能があっても身分のわくをこえて出世することはできなかった。むしろ黄金時代は古代にあったと考えられていたから、今の世は悪くなるばかり、努力して新しいものを生み出そうという動機はなかったのだろう。

しかしそれが日本人特有の精神主義を生み出したのではなかろうか。技術を進歩させることなく不可能を可能にさせる原理として「精神一到何事か成らざらん」という態度が生まれた。「がんばろう!」というわけだ。

技術と精神の間のギャップの例として私は日本と西洋の砥石(といし)の違いをあげたい。

西洋には大きな丸い砥石がある。回転砥(かいてんと)という。一抱えもある大きなものでその前に座った研(と)ぎ手が足でペダルを踏んでこの砥石を回転させる。

これが西洋の砥石のスタンダードだ。日本の砥石のように四角なものがないわけではないけれど、それはナイフのような小さなものを研ぐのにとどまる。西洋ではまず農具を研ぐのに大きな砥石が必要だった。

絵をごらんになったことがあると思うけれど、西洋の死神はフードを深くかぶった顔を見せない大男で大鎌を担いでいる。この鎌で人間どもをなぎ倒すわけだ。

この大鎌は麦の収穫の時に使うものだ。両手でこの鎌の柄を持つと刃が水平になるようにできている。麦の束をバサッと刈るにはよほど刃が鋭くなくてはならない。だから砥石は必要だったわけだけれど、この回転砥にすると研ぐ労力は少なくてすむ。ある角度で砥石にあてさえすれば石のほうが回転してくれるからあの大きな鎌を腕を動かして研ぐ必要がない。

日本の鎌はごく小さなもので稲を左手につかんで根元を切り取る。腰を曲げなければならないのでつらい労働だ。西洋風の大鎌があればずいぶん楽になったことと思うけれど、それができなかったのはたぶん砥石のせいだろう。

どうしてあの回転砥が日本にできなかったのだろう。ろくろというものがすでにあったのだから、それを応用できたのではないだろうか。

「戦争と平和」の中に年老いた下士官が主人の若い士官のために大会戦前夜彼のサーベルを研いでやる場面がある。私はそれを読んでどうやってサーベルを研ぐのかということに興味を持った。

何年もそのことがわからなかったけれど、ある年テレビでナポレオンの一代記をやっていて、その中で戦場でサーベルを研ぐところを見せていた。一人の兵隊が回転砥のごく小さなものを手から宙づりにして、中央につきでているハンドルを持って回転させ、もう一人がサーベルをあてて研いでいるのだった。なるほど、と思った。

なぜそんなことにこだわるかというと、私はその前にテレビで日本の伝統的な砥石のことを扱ったものを見ていたからだ。

砥石は今でこそ合成が多いが、昔はもちろん特殊な石を山から切り出してくるのだった。その番組では砥石屋の主人が小僧に言いつけてかんなの刃を研がせていた。小僧はかしこまって砥石の前にすわり、小さなかんなの刃を両手で支えてしゃっしゃっと研ぎ出した。「心をこめて研ぐと砥石と刃物の肌がぴったり合って離れなくなるのです」と主人は言った。小僧が手を離すとなるほどかんなの刃は傾いたまま倒れないのであった。

私はすごいと思う一方で、これだから日本には技術的な進歩がなかったんだと思った。砥石道の極意を極めるのもいいが、それよりどうして刃物を手早く研げるものを発明してくれなかったんだ。この「心をこめて」というのがくせものだ。心をこめようがこめまいが同じ成果のあがるものこそ役に立つのではないだろうか。

幸田露伴の小説「五重塔」の中で大工たちが仕事のていねいな主人公ののっそり十兵衛を皮肉って「(あいつのような仕事ぶりがいいのなら)これからはどぶ板一枚けずる時にも碁盤清めに清めようかい(つるつるにしよう)」という所がある。私は一も二もなく彼らに賛成する。大切なことは何年もかけて一芸に秀でることではなくて、誰でもある程度までは到達できるような技術的発展をもたらすことだ。

日本人は(これは日本人に限らないけれど)西洋人に教えられるまで同じ規格で同じものを大量生産するということを知らなかった。なんでも一品製作で優劣をきそった。たとえば日本刀はそのどれもが世界にただ一本しかないこだわりの品なのである。

しかし刃物というものは切れさえすればいいのだ。現在の日本人もそう思っているから刃物はすべてステンレスになった。包丁を砥石で研ぐなんて人はもうマイノリティーだ。

実際に日本の砥石で包丁を研ぐというのはむずかしい。なまなかの練習でできるものではない。よく新聞に研ぎ方の講習がのっていて、「角度は10円玉2、3枚」などと書いてあるけど、そんなことを書かなければならないほど包丁を持つ角度が問題なのだ。

それにくらべれば回転砥は押しあてさえすればもう角度はできているし、またその角度を変えることも簡単だ。

博物館にいって西洋のサーベルが展示してあるのを見るとたいてい刀身がにび色に沈んだ色をしている。日本刀はそうではない。今できてきたばかりといってもいいような、それこそ白刃と形容するのがふさわしい輝きをもっている。私はながらくその違いが不思議だった。

日本刀は製造時の姿を維持するのが原則で、できれば研がないのが一番いいそうだが、研ぐときには刀身を全部研いでピカピカにする。しかし西洋の剣はそんなことをしない。切れさえすればいいのだから刃(エッジ)をつけるにとどめる。そしてその目的のためには回転砥が一番いい。研いでも刀身には手をつけないから古びて暗い色になるのだろう。


私は包丁やナイフを研ぐ。それも情熱をもって研ぐ。料理をするし、切れない刃物はかえって危険だと思うからだ。でもうまく研げるか、というと全然だめだ。それで回転砥にあこがれを持つようになった。

そして私はまたボールペンを使うのもやめてしまった。宇宙を飛んでいるわけでもないのに、今は何を書くにも鉛筆を使っている。
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