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「バッキンガム宮殿」での晩餐会 |
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2007年9月4日 |
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 | 雨宮 和子 [あめみや かずこ]
1947年、東京都生まれ。だが、子どものときからあちこちに移動して、故郷なるものがない。1971年から1年3ヶ月を東南アジアで過ごした後、カリフォルニアに移住し、現在に至る。 |
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▲ 義兄夫婦のカントリーハウス。 |
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▲ 昼食とお茶は庭で楽しんだ。背後の建物はワインセラー。 |
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「ロンドンはすっかり変わってしまったわ」 ロンドン生活の長いドイツ人の友人がそう言った。彼女とは去る7月にイギリスへ行った際にビクトリア&アルバート博物館で落ち合ったのだが、中庭でコーヒーを飲みながら、彼女は眉をしかめて、ロンドンからはしっとりした落ち着きが、イギリス人からは見せびらかしを避けて慎み深く我が道を行くという態度が、薄くなってしまったと言うのだ。
私はイギリスへは毎年行っても、ロンドンは素通りすることが多い。滞在しても2泊3日、長くてせいぜい1週間足らずだから、表面的なことしかわからない。でも、彼女の言うことは何となく感じ取れた。
今回はロンドンで甥の結婚式があり、それに出席するためにロンドンへ行ったのだが、その前の数日を義兄夫婦のカントリーハウスで過ごした。カントリーハウス(country house)は直訳すれば「田舎の家」だが、別荘といえる。義兄夫婦は平日はロンドンのフラットで、週末は広々した敷地のカントリーハウスで過ごすということを何年も繰り返して来た。イギリスの有産階級は田舎好きで、みんなロンドンのフラットとカントリーハウスの間を毎週懲りずに往復していると言っていい。
義兄夫婦のカントリーハウスは、広々した敷地に流れる2本の小川の交わる地点にある小さな家だ。300年以上も前に建てられた古い家で、天井が低くて中が暗いが、居心地はいい。庭のテントの下でお茶を飲んでいたら、黒鳥(black swan)の家族が川をゆっくり上って来て、私が近づくと、Uターンしてまたゆっくり小川を下って行った。田舎生活のすばらしさを象徴するような光景だった。義兄夫婦は年を重ねるにつれて、ロンドンで過ごす時間が少なくなってきて、いまでは木曜日の午後から月曜日までカントリーハウスで過ごしているという。私もきっとそうするだろう。彼らの仲間も同じ地域にカントリーハウスを持っていて、社交もカントリーですることが多いようだ。
彼らの仲間でトーマスも顔見知りだという夫婦の家で晩餐会が予定されており、私たちも招待されていた。その夫婦は広大な敷地にある大きな家を買い、見事に改装したという。「バッキンガム宮殿みたいよ」と、義兄の連れ合いは言った。その声に羨望の響きはなかったが、感心しているようではあった。「ここだけの話だけど」と彼女は続けて、壁にいっぱい肖像画がかかっているが、彼ら自身のものは1枚だけで,あとは全部買ったものだと教えてくれた。なるほど、先祖はおろか、親の肖像画もないというと、つまるところ彼らは成金なのだ。
義兄夫婦の家の向かい側に、17世紀初頭に建てられた館を見事に修復改装した大きな家がある。広い庭は宮廷の庭園のように手入れが行き届いていて、家と調和している。以前、その家に私もお茶に呼ばれたことがある。背の高い主人は貴族的な風貌だったが、彼はスクラップメタル(Scrap Metal:「屑鉄」)という渾名で呼ばれていた。なんでも彼のお祖父さんが屑鉄で財を成したのだそうだ。そのことが孫の代までまとわりつくというのがイギリスらしいが、いまはそういう成金が珍しくなくなったので、そんな渾名は次の世代まで付いていったりしないだろう。
晩餐会のホストは砂糖取引に大成功して、一代で巨大な富を築いたのだそうだ。彼の家は「バッキンガム宮殿のようだ」というから、スクラップメタル氏の家よりはるかに豪華なのだろう。晩餐会といってもカジュアルな服装で、と指示されていたので、盛装しなくて済むだけ気が楽だ。雨模様だったので義兄のランドローバーに乗り込み、私たちは田舎道を進んだ。イギリスの田園地帯は美しい。それは風景保護のために建築が厳しく規制されているためでもある。
道がだんだん細くなった所で、「バッキンガム宮殿」の門に着いた。門番の家があって、中から自動的に門を開けてくれた。そこからまた1kmほど進むと、大きな館に着いた。なるほど、造りがバッキンガム宮殿に似ている。
義兄がベルを押すと、蝶ネクタイをした中年の男性がニコニコしながら大きな扉を開けてくれた。服装はカジュアルに、ということだったのに、ホストはやはりネクタイをするのかしら、と思った。「こんばんは」「大雨になりそうですね」などと挨拶しながら、義兄夫婦は私を紹介しようとしない。どうしてなのかなぁ、と不審に思いながらも黙っていたら、オープンシャツ姿のもっと年配の男性が現れ、その人に義兄が私を紹介した。そうか、蝶ネクタイ氏はバトラーだったのだ! うっかり「ご招待ありがとうございます」なんて言わなくてよかった…
私たちは玄関に続く大きなきらびやかな部屋に通された。中に入った途端、私の目は壁にかかっている数々の絵画に移ってしまった。部屋の真ん中には背もたれのない大きな丸い椅子(それには多分ちゃんとした名前があるのだろうけど、私は知らない)が置いてあって、ちっちゃな犬が2匹,おとなしく坐っている。そう言えば,エリザベス女王がそういう丸椅子に犬といっしょに腰掛けているのをテレビで見たことがある。あの部屋を真似したのかな、と思ってしまった。
次々と到着したお客たちは皆、親しい仲間のようだ。義兄の連れ合いも含めて女性群全員は、年齢は違っても同じフィニッシングスクール(finishing school)の同窓生とのことだった。フィニッシングスクールというのは、高校卒業後のお嬢さんたちに社交マナーや教養を教え込む学校のことだ。こういう女性たちの一種の学閥で、社交ネットワークができているのかもしれない。
私たちを含めて6組の夫婦が招待されていて、バトラーが飲み物を、若い男女がオードブルを配って回る。これは正餐の前奏で、まず和やかな雰囲気を作り出すのが本来の目的だろう。が、私はこういう場でとりとめのない話をするというのがどうも苦手だ。特に何の共通点もない複数の人たちとの会話は疲れる。それを隠そうとして、ついオードブルに手を出し、飲みたくもないシャンペーンを飲み干したりしてしまう。食事の前に私はもう満腹状態だった。
ホステスが食事の始まりを告げ、私たちはダイニングルームへと導かれた。長いテーブルの上には見事な花束がいくつも飾られていて、映画に出て来るような完璧なテーブルセッティングだった。ホステスが座席を割当てる。私は同年齢ぐらいの男性と義兄との間の席を指定された。隣に義兄がいるのは心強い。サモサの前菜に始まって、伊勢エビ、ローストビーフが白ワインや赤ワインといっしょに続く。どれもこれも一級のレストラン並みにおいしい。出されたものは食べ残さないことという子どもの頃の躾から抜け出せない私は、お腹がいっぱいなのに、全部食べてしまう。サラダが出ると、デザートにチーズと果物でおしまいだ。食後酒をバトラーがグラスに注いで回る。「もう結構」と断ると、「おいしいですから飲んだ方がいいですよ」などと言う。それなら、とそれも飲んでみる。最後はコーヒーだ。
といっても、ただひたすら食べた訳ではない。右隣の男性との会話にも精出した。幸運にも仕事で日本にも行ったことのある人で、話題が途切れることはなかった。社交の場では政治と宗教の話題は禁物という基本ルールがあるが、それ以外の話題は思っていることをはっきり言った方がいい。いや、言わないと会話が進まないのだ。その男性は帰り際にトーマスに、「あなたの奥さんは話題が豊富ですねぇ」とわざわざ言ったくらいだから、お世辞を差し引いても、会話に精出した甲斐があったと言えるだろう。
こういう晩餐会はどうやって終了させるのだろうと思っていたら、ホステスの合図で女性群はその場を退散することになった。へぇぇ… 食事後、男性群は葉巻にポルトワイン、女性群は別の部屋でゴシップを、というのがビクトリア王朝時代に慣習となったことは知っていたが、それがいまだに続けられているとは思ってもみなかったのだ。「時代錯誤じゃありません?」と言いたいところだったが、もちろん私はおとなしく女性群の一番後ろに付いて階段を上り、ホステスの寝室へ行った。お金持ち向けのインテリア雑誌に出て来るような装飾たっぷりの部屋だ。
そこで女性たちが話したのは、子どもや孫のこと、家族の健康問題のこと、共通の友人たちのゴシップなどで、無害無毒のものだった。男性群は一体どんなことを話したのだろう。あとからトーマスに聞いたら、おもに景気動向のことだったという。どちらも私には夢中になれない話題だ。幸いにもジェンダー分離の食後の集いは30分ぐらいでお開きになり、女性群は玄関口で男性群と合流し、ホストとホステスにお礼を言って、帰途に着いた。私には経験としておもしろい晩餐会だった。
義兄夫婦は「バッキンガム宮殿」夫婦やそこに集まった夫婦たちと、食事だけではなく、スコットランドでの釣りや鳥狩猟の旅行に頻繁に招待したりされたりしている。白状すると、彼らのそういう付き合いを、私は以前は半ば軽蔑していたのだが、義兄夫婦の1人娘が脳腫瘍に倒れたとき、社交仲間がさまざまな援助を義兄夫婦に無限に差し伸べてくれるのを見て、実は遊びを通して彼らは強い絆を持っていることを私は知ったのだ。そのことを知らなかったら、「バッキンガム宮殿」での晩餐会など、楽しむことはできなかっただろう。
追記:「バッキンガム宮殿」の写真が撮れなくて皆さんにお見せできないのが残念です。
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