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70 オシュデ (The Hoschede)
2007年5月21日
齋藤 恵 齋藤 恵 [さいとう・さとし]

1948年埼玉県生まれ、1970年に大学卒業後、時計メーカーの輸出部門に就職。8年間の勤務の後、宮仕えには向かない自身の性格を認識して、父の経営していた小売店 (創業1912年 = 大正元年)に転身しました。歴史、風土、絵画、言語等に関心が強く、駄文ながら文章を書くことがストレス発散の手段のひとつになっています。ささやかながら、会社を経営するというのはそれなりにたいへんです。ここに書かせていただくことは、そうしたストレスの大いなる発散のためですので、お読みになる方もどうぞお気軽に。













































オシュデ (The Hoschede)


上の画像は、クロード・モネ作の「日傘の女」というタイトルの連作です。1886年、同時期に描かれました。正確に申しますと、上段は「日傘の女」(右向き)(Femme a l’ombrelle tournee vers la droite) でして、下段は、「日傘の女」(左向き)(Femme a l’ombrelle tournee vers la gauche) です。いずれもパリのオルセー美術館にあります。

もともと人物よりは風景、ことに水と光を中心にした風景を好んで描いた、印象派の代表的画家のモネですが、これらの絵は1870年代の彼の人物画のような現実感や生活感がなく、一種の抽象的な感覚を感じます。1870年代のモネの人物画から感じられた具体感や現実感がなくなり、たとえばドビュッシーの音楽のような、より抽象化された音が聞こえてくるような気がします。そして、これ以降、彼の画題の興味は、しだいに睡蓮に集中していくようになるのです。

いつの頃からか、美術史というよりは、画家史と言った方がよいほど、私は画家の人生に興味を持つようになりました。画家の人生を知れば知るほど、その画家の絵画がより深く理解でき、何倍も楽しむことができるように感じるからです。

この絵のモデルになったのは、オシュデ4姉妹のひとりで、モネはこの姉妹達を頻繁に描いています。このオシュデ (Hoschede) ファミリーとモネは、それぞれの人生において、実に複雑なからみ合いを演じたのです。人生は、誰でもいろいろあるものですね。

オシュデ・ファミリーの当主、Ernest & Alice Hoschede は、ベルギー出身で、パリを足場に活躍した、裕福な大ブルジョアでした。そして、当時パリのベルギー人社会では、指導的役割を果たしていて、同時に初期の時代のモネの大パトロンでした。つまりモネにとっては、自分の作品を買ってくれる、当時数少ないお得意様であったわけです。

ところがこの大パトロンであった、Ernest Hoschede が、事業の失敗により、1877年に突然破産し、自殺しそこなって、妻と4人の娘、長男、それに妻のおなかの中の子どもの計6人半の家族を置き去りにして、失踪しました。結局ベルギーへ逃げ帰ったのですが、誰にも自分を捜させないでくれ、さもないと自殺する、という手紙を送ってきたのを最後に、連絡が途絶えました。

残された妻のアリス・オシュデと5人半の子ども達は、行き場を失い、住居や別荘なども売り払い、それまでに買い集めた多数の美術品もすべて失って、実家の姉妹を頼って一時身を寄せました。しばらくして、子ども達の教育費を実家から援助してもらうことになると、パリに出て、自らはピアノを教えたり、裁縫仕事を引き受けたりして暮らし始めました。実家に居る時に生まれた、末っ子のジャン・ピエールを含めて家族7人でした。なお、この時に競売にかけられたオシュデ家所有の絵画は、印象派のものだけでも50点以上あったと記録されています。

当時モネは妻カミーユとともに困窮のどん底にいました。1874年の第1回印象派展以降も、市場からは見向きもされなかったわけで、裕福な家庭出身のマネ、ドガ、セザンヌ達少数の例外を除けば、他の印象派の画家達の状況は皆、似たりよったりでした。

そうしているうちに1878年に、このふたつの困窮家族は、パリを離れて、ヴェトュイユ (Vetheuil) という村で一軒の家を借り、共同生活を始めました。初めは夏の2〜3ヶ月のつもりが、結果的に3年間そこに居ることになりました。

その間に、1879年、元来病弱であったモネの妻カミーユが、ヴェトュイユで亡くなりました。2人の幼い息子を残して。娘4人と息子2人を持った母親のアリス・オシュデ、息子2人を持った父親のクロード・モネ。もともと両家族は共同生活をしていたわけで、結果として子ども合計8人を持つ2人が再婚したのは、まあ自然な成り行きだったのかもしれません。

ところがこの結婚は結果的に大吉となりました。大ブルジョアから没落して貧困の苦しさを実感したアリスは、家計のマネジメントにたいへん長じておりました。そして、なによりも、2度目の夫、クロード・モネの画家としての才能を無条件に信じていました。モネの今日の評価の少なからぬ部分は、このアリス夫人のおかげだと言ってよいと思います。この画家を売り出し、評価させるマネージャー役を見事にこなしたのです。

一方モネは、家計を天才的に上手にこなし、画家としての自分を売り出すための最高のマネージャーに深い感謝をするようになりました。こうして、オシュデ・ファミリーとモネ・ファミリーは一体になり、アリスは終生、モネのマネージャーとして、たいへんすぐれた活躍をしました。

上の絵のモデル2枚ともこのオシュデ4姉妹 (Blanche, Suzanne, Marthe, Germaine) のひとりで、2女のマドモアゼル・シュザンヌ・オシュデです。彼女は当時18歳でした。

実はオシュデ4姉妹の中で、モネ自身と最も縁が深かったのは、長女のブランシュでした。モネはブランシュを戸外での製作に頻繁に連れ添って行ったこと、彼女自身も画を描いたこと、等に加えて、彼女は他の3人の姉妹達と異なり、2重の意味でモネの義理の娘だったのです。

まず第1は、母のアリス・オシュデがモネと再婚したことによって(これは4人とも同じです)。そして第2は、モネの最初の妻、カミーユが生んだ長男、ジャンとの結婚によってです。こうしてブランシュは、2重の意味でブランシュ・オシュデ・モネとなったわけです。

さらにブランシュは、夫のジャンが1914年に47歳で亡くなると、まもなくジベルニーの義父と母の家に戻り、以後、終生(1947年に自身が亡くなるまで)両親とその家を見守ったのでした。

ところでこの絵のモデル、シュザンヌは1892年、母とモネの結婚の直後にアメリカ人画家と結婚して、モネの初孫を生みましたが、残念ながら1899年に亡くなりました。その後、妹のマルト (Marthe) がこのアメリカ人画家と再婚しています。このモネ・オシュデ・ファミリーは、つらい経験をしたせいか、なんだか家族的団結が強かったようですね。

そう言えば、アリス・オシュデと子ども達を残して失踪した失意のエルネスト・オシュデは、1890年、52歳で亡くなっています。オシュデ夫人とモネの再婚は、この2年後のことなのですね。

ついでに逸話をもうひとつ。1880年代後半のこの時期、モネはオシュデ姉妹をモデルにして散策や、ボート遊びの絵を描いています。ほとんどが家族をモデルにしているのですが、ある時、海浜に裸婦を配した画をもくろんで、パリからモデルを連れてきたことがあったのだそうです。ところが、オシュデ夫人はこのモデルを直ちに追い返し、以後モネは人物画に関しては、徹底して<マイホーム>画家になったのだそうです。モネは恐妻家だったのだ!と、思いますが、いかがでしょうか?

絵に関して言えば、上段の右向きの絵の方が日が高く、風も穏やかですが、下段の左向きの方は、日が少し落ちてきて、地面に長い影ができていますね。風の強さや向きも変わってきているのがわかります。この2枚の連作は当初「外光における人物の試み」と題されていたのだそうですが、たしかに、この絵の背景にあるのは、当時のモネのまるで自然科学者のような観察眼です。

いかがですか、こんな因縁めいた人生の歴史を知ると、このパラソルの女性にも、なんだかもっと親しみがわいてきませんか? モネとオシュデの2つのファミリーが合体したからこそ、あのクロード・モネが誕生したとも言えるわけです。
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