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縁の下のバイオリン弾き
48 ジャカランダ
2012年5月15日
西村 万里 西村 万里 [にしむら・まさと]

1948年東京生まれ。大学で中国文学を専攻したあと香港に6年半くらし、そのあとはアメリカに住んでいる。2012年に27年間日本語を教えたカリフォルニア大学サンディエゴ校を退職。趣味はアイルランドの民族音楽 (ヴァイオリンをひく)と水彩画を描くこと。妻のリンダと旅行するのが最大のよろこび。
作家の落合恵子さんがジャカランダについて書かれた文章を新聞で読んだことがある。彼女は十数年ジャカランダを見たいと願っているのにいまだに見た事がないので、ずっとあこがれているそうだ。

それを読んで私はサンディエゴに住むしあわせを思った。ジャカランダはこの地にはどこにも生えていて毎年花を咲かせる。5月の今頃が盛りである。

ジャカランダはブラジル原産の木だ。花はうすむらさき色でちいさなラッパのような形をしている。花が咲く時はまだ葉の出る前で、枝という枝に鈴なりに咲くから、遠くから見ると木全体がむらさき色に見える。

私は毎年今頃になるとダウンタウンのアッシュ街に花見に出かける。アッシュ街は東の丘の上から始まって西の海まで一直線に続く道だが、両側にジャカランダが街路樹として植わっている。丘の上から見るとずうっとうすむらさきの雲がたなびいているようで夢のように美しい。

花見と言ってもただ花を愛(め)でながら歩くだけだ。でもそれを花見と感じるのはやはり桜の記憶があるからだろう。


私は日本を出てから40年以上になる。その間桜を見たことは数えるほどしかない。ことにサンディエゴの大学で教えるようになってからは、春休みというのがその名に値しないほど短いので、桜の時節に日本をたずねることができなかった。

日本にいた頃見た桜の記憶はあざやかだけれど、外国にいるという事がさまたげとなって2度と見られないんじゃないかと思っていた。

しかし何年か前に必死の思いで春休みに日本に帰った。正味3日ぐらいしかいられなかったけれど、ちょうど桜が満開で堪能した。桜がこんなに豪勢な花だったのかとあらためて感じ入った。「かすみか雲か」と歌に歌われるとおりだった。

両親が引っ越した横浜のマンションの前の通りが桜で埋まっているのを発見したのは驚きだった。単に街路樹が桜だったというだけのことなんだけど、夏や冬に帰ったときにはそんな木々には目もくれなかった。花がさいているのを見てはじめて「あっ、桜だったのか」とうなった。

だから私はジャカランダに思い入れがあるのだ。ジャカランダは私の心の中の桜だ。

日本にいる人はそんな私の心の中の投影をかわいそうな事だと思うかもしれない。でもそれはジャカランダを見たことがないからだ。その風格といい花の美しさといい、ジャカランダは桜にひけをとらないと思う。


私は東京で生まれた。そして7歳の時に名古屋に移った。それは父の転勤のためだったが私は名古屋になじむことができなかった。それはひょっとしたら両親の名古屋に対する偏見のせいだったかも知れなかった。

東京でそれなりの生活を確立していた親が名古屋に違和感を抱いたのはある程度当然だったかもしれない。でも幼児の私がそんな感情を持つことはほとんどあり得ない事だ。それなのに私は環境の激変に柔軟に対処することなく、かたくなに自分のアイデンティティーだと信じたものに取りすがった。

すぐに名古屋弁に熟達して地元の子供たちの中にとけ込んだ兄と違い、あくまで東京ッ子として標準語をしゃべった。そのために学校のみんなから敬遠された。

15歳で東京の高校に入った。そして分かった事は私は東京ッ子ではなかったということだ。 私が必死に守ってきた東京ッ子としてのアイデンティティーはいつわりのものだった。高校のクラスメートにしてみれば私はぽっと出の田舎者にすぎなかった。私にとっても東京は異境だった。

私はアウトサイダーだった。どこにも自分の居場所といえるものがないと感じていた。

私が日本を出たのはあるいはそのためだったかもしれない。その当時は単純に世界を見たいからだと思っていた。数年したら日本に帰るつもりだった。

大学で中国語(北京語)を学んだので中国語が話される所で生活したいと願った。大学在学中に中国に行ければよかったのだけれど、その当時は文化大革命の真っ最中でとても行くことはできなかった。それだけでなく私はあの文化大革命を狂気の沙汰だと思っていたから、たとえ中国に行く機会があったとしてもこっちから願い下げだった。

そこで大学3年の夏休みに香港に行った。そして香港にとりつかれた。大学卒業後、私は香港に移り住んだ。

香港は英国の植民地だったが場所は中国の南部にあって住民の大部分は中国人だ。彼らは中国語を話していたけれど、それは中国全土で話されている北京語を土台にした標準語ではなく、広東語(かんとんご)という方言だった。中国語には方言がたくさんあり、お互いに理解する事は不可能なほど違っていた。その違いはヨーロッパのフランス語とスペイン語の違いなどよりずっと大きかった。

私には名古屋弁を学ばなかったという苦い記憶があるから、そのあやまちをつぐなうように方言の重要性ということを考えた。当時中国語を勉強するといったら北京語を学ぶに決まっていて、数ある中国の方言を学ぼうなんて人は言語学者を除いていなかった。

しかし私には実際使いもしない北京語だけを勉強するのはおかしいと思われた。
名古屋で自分のアイデンティティーを守ろうとした反動で、私は自分が現に住んでいる所こそが本当に学ぶにあたいする現実だと思った。

それで私は広東語を話し出した。大学で習った北京語の土台があるから広東語なんて6ヶ月もあれば十分マスターできる、という意気込みだったのだけれど、それは甘かった。広東語はとんでもなくむずかしかった。それだけでなく、私は金がなかったから、その言葉を教師について系統的に勉強する事ができなかった。6年半くらして、日常のことには不自由しないようになったけれど、広大な広東語の世界のとば口に立ったにすぎない、という感じだった。

現在、香港の経済的重要性のために中国本土で広東語を話せることは一種のステータス・シンボルになっていると聞いた。昔のことを思うと信じられない。香港人は中国人であるにもかかわらず、北京語があまりできないので北方の人に対して漠然と劣等感を持っていた。

たとえば私が行ったころの香港映画のことばはすべて北京語だった。香港以外でも売らなきゃならないから、という現実的な商魂もあったに違いないが、大体映画を作る人々が制作者も監督も俳優も大陸から逃れてきた北京人や上海人で、広東語など頭から馬鹿にしていた。観衆の大部分が広東人だったにもかかわらず、彼らに広東語で映画を作ろうという気持ちはまったくなかったのだ。

ブルース・リーは広東人だったから北京語はできなかった。まったく分からなかったわけではないだろうが、たとえしゃべってもなまりが強く、映画としては使い物にならなかった。そのため、ブルース・リーの映画で彼がしゃべっていることばはすべて北京語を話す声優による吹き替えである。  

映画に主演して自分の声が使われないなんて欧米や日本ではあり得ない事ではないだろうか。いったいそれでも俳優なんだろうか、と思ったものだ。

北京語を聴かせても広東人には分からないかもしれないから香港の映画には必ず中国語の字幕がついた。北京語、広東語の発音の違いはどうあれ、文章は誰でも読めたからだ。

私が香港在住中に風潮は変わって、徐々に広東語の映画が作られるようになった。それは当時ようやく普及し出したテレビの影響だったにちがいない。テレビは視聴率がすべてだったから、始めから広東語で出発した。お金を払う映画の観衆と違い、テレビの視聴者は広東語でなければ見てくれなかった。それが軌道にのったから広東語の映画も作られるようになったのだ。

私が広東語にもっと力を注げなかったのは英語と中国語二本立てという香港の特殊事情によるものだったのかもしれない。日本で英語はかなり勉強したと思うのだが、最初香港に行った時、私の英語は片言なのだと思い知らされた。

しかし英語ができなくては仕事にさしつかえる。いやがおうでも英語を毎日使わなければならなかった。私の英語が使い物になるようになったのはまったく香港で生活したおかげだ。でもそのために広東語だけに精魂を傾けることができなかった(というのもいいわけにすぎないかもしれないが)。

私の北京語は大学で習ったものなので広東語より正確だったが、日常使った事がないので感情がこもっていなかった。ちょっと込み入ったことになると北京語で話したほうが確かに楽だったけれど、ふだんの生活語はやはり広東語だった。

このような多言語環境にいたおかげで私は価値の多様性ということを考えるようになった。絶対の価値というのはまずないのだ。たとえば中国全土で話されている北京語がいかに権威があろうが、香港の日常生活ではそれはまったく役に立たないのだった。

私は仕事のために東南アジアを旅行することが多かったが、その地域で経済をにぎっているのはいわゆる華僑だった。かれらは出身地を反映して広東語、福建語(ふっけんご)を話した。東南アジアでは北京語を知っているよりも広東語を話すほうがずっと有利だった。

香港は英国の植民地だったので、社会の上層には英語しかしゃべらない英国人が君臨していた。しかし彼らはそもそも香港人ではなかった。本国でうだつがあがらないから香港に来た、というような人間が多かった。中国の一角で、英語を話して暮らしている彼らはあわれだった。香港のような多彩な、魅力的な社会にいながらそれを理解できないのだ。中国語をしゃべらないで香港にいる価値はない、と私には思われたものだ。

不十分ではあれ香港で広東語を使って生活したということに私は誇りを抱いている。「そんな方言を勉強したってしょうがないじゃないか」というふうに考える人が多いと思うけれどそんなことはない。

いま日本では小学校5年から英語を教えている。英語はいまや世界語になった、 国際競争力を身につけようと思ったら誰でも英語を学ばなければならない、という考えのせいだ。もしそれが正しいならみんな英語だけを学べばよく、ほかの外国語を勉強する必要はない。英語が標準語で、フランス語もスペイン語も、中国語も韓国語も、アラビア語もペルシャ語も価値のない方言のようなものだ、ということになる。

私はこの考え方に賛成しない。言葉には優劣はない、と思っているからだ。どんなに辺境の言葉であろうと、話している人の数がどんなに少なかろうと、それだから英語に劣るという事はない。その言語を通してしか理解できない文化を学ぶ事によって人はほかではあじわえない貴重な体験をするのだ。

もちろん英語を勉強したい人には英語を存分に学んでほしいと思う。でも英語至上主義はいただけない。

私は高校時代までは、英語すら十分にできないのにほかの言葉を学ぶ余裕はない、と思っていた。そう思っている人は今でも日本に多いだろう。でも一生かけてもどのみち英語を完璧にする事はできない。それに気がついたとき、私は中国語を勉強しだしていた。


「難波の葦は伊勢の浜荻(なにわのあしはいせのはまおぎ)」という。難波で葦という植物は伊勢では浜荻と呼ばれる、所変われば品変わる、という意味だ。日本の桜がアメリカのジャカランダになっても私にとってはその美しさという点で同様の価値がある。でも「日本の桜はアメリカのジャカランダ」ではちょっと語呂が悪いかもしれませんね。
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