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縁の下のバイオリン弾き
49 ローズバーグ
2012年6月1日
西村 万里 西村 万里 [にしむら・まさと]

1948年東京生まれ。大学で中国文学を専攻したあと香港に6年半くらし、そのあとはアメリカに住んでいる。2012年に27年間日本語を教えたカリフォルニア大学サンディエゴ校を退職。趣味はアイルランドの民族音楽 (ヴァイオリンをひく)と水彩画を描くこと。妻のリンダと旅行するのが最大のよろこび。
▲ モニュメント・バレー
私は大学で日本語を教えている。一年生の課題として自分の出身地のことを作文に書く、という宿題がある。先日その宿題を出したらあるひとりの大学院の学生が自分の出身地であるニューメキシコ州のアルバカーキについて書いてきた。

ふだんはただ点をつけるだけで作文には何も書かないのだが、ニューメキシコだということになれば話はべつだ。「ニューメキシコにはサンタフェとローズバーグに行ったことがあるだけです。アルバカーキにはぜひ行きたい。ローズバーグを知っていますか」と書いた。

そしたら次の授業のあとにその学生が「コメントをどうもありがとうございました。でも、先生はどうしてローズバーグなんかご存知なんですか。あそこは何もないところです」という。

その通り。ローズバーグはアメリカ人でさえ知らない町だ。アリゾナとニューメキシコの州境にあってハイウェイに面しているからなんとか息をついているが、産業といっては何もないところだ。

私が3年ぐらい前にこの町をおとずれたのは西部劇好きなら誰でも知っている名作「駅馬車」(1939)の舞台になった所だからだ。ジョン・フォード監督のこの映画は西部劇がはじめて単なる活劇から抜け出して本物のドラマを提供したということで有名だ。

映画ではけっこう活気のある町として描かれているが、それはもちろんハリウッドのセットで撮られた情景だから何の根拠もない。でも現実のローズバーグに車をとめて私はほとんど茫然(ぼうぜん)としてしまった。まるっきり何もないのだ。人家はあるが、町の中心とおぼしき所もないし、どんな田舎町にもつきものの酒場がない。目につくのはモーテルぐらいだ。

「ミュージアム」と矢印がでていたので、妻と私はそこに行ってみた。どんなところでも美術館ないし博物館に行くのがわれわれの行動様式だから。

ところがその「ミュージアム」は私がいままで行った事のあるどんなミュージアムにも似ていなかった。というか、私にはそれをミュージアムと呼ぶことすらはばかられた。体育館のような広い建物の中に机がたくさん置いてあって、その上に骨董というべきか、がらくたというべきか、ともかく町の人たちが過去に使っていた物が雑然と置いてあるのだ。少しはガラスのケースなんかもあったように思うが、たいていの物はむきだしで置いてあった。

救世軍の経営する安売りの店でもこれよりはましだろう、と思われた。農機具、大工道具、鏡や化粧道具、ハンドバッグ、オルガン、古本なんかが何の脈絡もなくほこりをかぶったまま置いてある。

要するにこれは町の人たちが未来の市民に自分たちの生活を知ってもらうために作った、という一点だけでミュージアムなのだ。ありていに言えば、ミュージアムというよりゴミ捨て場というほうがはるかに核心を突いている。

でもそのミュージアムの一室で私はまったく予期していなかったものを見た。それはこの地にあった日系人強制収容所に関する展示だった。

日系人強制収容所は第二次世界大戦の時にアメリカの日系人が入れられた収容所だ。ルーズベルト大統領の命令で行われたこの強制収容はアメリカの汚点として 悪名高い。なぜといってアメリカは出生地主義をとっているのでアメリカで生まれた者はだれでもれっきとしたアメリカ人のはずなのに、日系人を親が日本人だからというだけで敵性人とみなしたからだ。自国の市民を敵国人とみなすというのは矛盾である。

一世はたしかに日本人だったけれど、それは法律によって「帰化不能外国人」とされ、アメリカ人になりたくても国籍取得を禁じられていたからだ。

アメリカ人になる道を絶っておいて、アメリカに骨をうずめるつもりでやってきた人たちを敵国人とよぶことが人種差別でなくてなんだろう。私は一世をアメリカ人とみなすことにためらいがない。

ドイツ系やイタリア系のアメリカ人にはそのような差別がなかったし、強制収容もなかった。また日系人がたくさんいて経済の鍵をにぎっていたハワイでは強制収容がされなかった。ハワイは最初にアメリカが攻撃された土地だけれど、そこの日系人を根こそぎ逮捕してしまえばハワイの経済は成り立たなくなってしまうのだった。ハワイがそんな風だったのに、アメリカ西海岸の日系人は収容所に強制的に入れられた。彼らの財産は買いたたかれて白人の隣人にうばわれた。

私は以前日系人のグループに参加してカリフォルニアのトゥーリーレークという収容所のあとをたずねた経験があるからその事はよく知っていた。また、 進藤兼人監督が書いた「祭りの声」という本を読んでもいた。それはアリゾナのポストンという収容所にいれられた姉が監督に送ってよこした手紙、日本語も忘れかけている彼女が一生懸命に書いた手紙を中心に日系人の歴史をたどったものだった。

80年代にアメリカ政府は自分の過ちを認め、日系人に謝罪し、補償金をはらった。そこにたどりつくまでには日系人、特に三世、四世の努力があった。

私はその補償を勝ち取るためにサンフランシスコで開かれた公聴会に行き、戦争当時は少年だった老人たちの証言を聞いた。それは忍従と苦闘の歴史だった。彼らは怒るでもなく非難するでもなく、淡々と自分たちの経験を語った。財産をうばわれ、砂ぼこりが舞い込むバラックに入れられ、非人間的な待遇をうけても彼らは誇りをもって生きた。

「天皇を敵として戦えるか」「アメリカの軍隊に志願するか」という質問に両方とも「ノー」と答えた若者たちは「ノーノーボーイズ」とよばれ、とくにひどい扱いを受けた。しかし彼らはアメリカ人でありながら当然のこととして日本を愛し、日本を攻撃するなどということは考えられもしない人々であった。そのことはドイツ系でもイタリア系でも同じであったと思う。

一方、収容所のなかからアメリカ軍に志願し、ヨーロッパ戦線で戦った若者たちもいた。彼らの部隊は並外れた勇気を示した。第二次世界大戦を通じて全軍一の死傷者を出し、勲章の数で他の部隊を圧倒した。

トゥーリーレークで私は老人たちから収容所時代の思い出話を聞いた。土手にたくさん生えているごぼうを掘りとっておかずにした事。かもめをつかまえてその翼の裏に赤い日の丸を描いて放し、うっぷんを晴らした事(これは子どものいたずらだった)。

収容所まで乗ったバスのとなりにすわったおじいさんは80近い年齢の一世で、トゥーリーレークに収容された一人だった。かれは60年以上アメリカに住みながら英語が全然できなかった。私はあっけにとられてしまった。想像もできない人生だ。どんなに困難な旅路だっただろう。今は時々ラスベガスにいってショーを見るのが楽しみだという。「おもしろいんですか」ときくと、「いやあ、おもしろいですよ」と言っていた。

二世たちは戦後貝のようにおしだまって生活し、子どもに日本語を教えなかった。収容所に入れられた事を恥じ、日本人であることを恥じて生活した。彼らの子どもたち、日本語のできない三世、四世たちがアメリカ政府に謝罪を要求したのである。

強制収容所はたくさんあるけれど、そのほとんどは今となっては忘れられた存在だろう。ローズバーグの収容所もその一つだ。

ここは特に中高年の日系男子が収容された所だそうだ。なぜ男だけを家族と引き離してここに入れたのか、私には分からない。収容人員は1500人にのぼったそうだ。

その展示の中に私は囚人たちが作っていたガリ版刷りの新聞を見つけた。それはおもに英語の新聞からニュースを日本語に翻訳して作ったものだったが、中には俳句・短歌の欄があった。家族とひきはなされて強制収容所の生活を余儀なくされた人々の妻を思い、子を思う心情があふれていた。

「読めますか」とミュージアム主任の女性が聞いた。「はい、もちろん読めます」と私は答えたが、突然、この新聞を読んだ者は戦後60年の間に私一人だったかもしれない、という思いにとらわれた。

日系人の強制収容については日本でも研究がされているだろう。アメリカでも本はかなり出ていると思う。でも数ある強制収容所のなかからこの地の果てのような、誰にも知られていない辺境の町、ニューメキシコのローズバーグを選んでここまで来る人は絶無とはいわないまでも、ほとんどなかったに違いない。その中に日本語が読める日本人が(日系人は来たことがあるかもしれないので)何人いただろうか。

ここにとじこめられていた人々の無念の思いを反映したこの新聞は、その出版以後、はじめて彼ら以外の読者を持ったのかもしれない。

そしてこの「ミュージアム」にその日系の囚人たちをしのぶために特別の展示室を作ってくれたこの町の人たちに私は感謝の気持ちを抱いた。当時は「敵性人」だったのだ。町の人たちが今でもそう思っていたとしても不思議はない。私は日系人の戦時強制収容を許しがたい不正だと思うけれど、口をぬぐって知らぬ顔をするのではなく、その不正の記念を大切に取っておいてくれたこの町の人々は彼らなりに公正な態度をとったのだ。

トゥーリーレークの収容所あとはまったく何もない荒野だった。戦争がおわると政府は軒を並べていたバラックをすぐにこわしてしまった。二世の老人たちがそこに立っても、記憶をよびおこすべき何物もなかった。ローズバーグでも収容所はこわされてしまったのだろうけれど、この「ミュージアム」の中にその記憶が生きていた。その記憶に触れた事でこの体育館のような建物は私の中で本物の「ミュージアム」になった。

ニューメキシコ出身の大学院生は日本人を妻としていた。だから私の日本語のクラスをとっているわけだ。日本で結婚式をあげたけれど、ニューメキシコでもまた結婚式をするから一日だけ授業に出られない、しかし理由が理由だから出席点をもらいたい、と言ってきたのがつい最近のことだ。私はお祝いの気持ちをこめて出席点を与えた。

その花嫁はアルバカーキに行く途上で彼と一緒にローズバーグに足を止めただろうか。あの「ミュージアム」に行ってみただろうか。戦時中の日系人の事蹟は彼女にははるか昔の歴史と映るにちがいない。でも愛するアメリカ人の夫のかたわらに立って、妻子と引き離されたアメリカ人の男たちの詩を読んだなら、時空をこえた悲しみにひたされるのではないだろうか。
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