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ボーダーを越えて
106 キューバ:アメリカの恥
2007年4月4日
雨宮 和子 雨宮 和子 [あめみや かずこ]

1947年、東京都生まれ。だが、子どものときからあちこちに移動して、故郷なるものがない。1971年から1年3ヶ月を東南アジアで過ごした後、カリフォルニアに移住し、現在に至る。ボリビアへの沖縄移民について調べたり書いたりしているが、配偶者のアボカド農園経営も手伝う何でも屋。家族は、配偶者、犬1匹、猫1匹、オウム1羽。
▲ サンチァゴ湾の入り口に築かれた要塞で、毎日キューバ兵士が水平線に沈む太陽に向かって大砲を撃つ。地元民にとっても楽しい儀式だ。
▲ サンチァゴ・デ・クーバにある独立闘争記念公園。空に向かって立つ鉄は、貧しい農民(その多くは黒人)が闘争に使ったマチェテ(農業用刀)を表している。
▲ 正面はサンチァゴ・デ・クーバの県庁。左側の建物は、サトウキビで作ったラムで巨大な富を築いたバカルディ(Bacardi)家の2代目エミリオ(Emilio)が建てた博物館。エミリオは植民地政策反対活動で、キューバから一時亡命していたことがある。
サンチァゴ・デ・キューバはハバナ同様、イギリスやフランスの船に攻撃されたので、統治国スペインは湾の入り口に要塞を築いた。サンチァゴの要塞はハバナほど大きくはないが、スペインが必死に植民地での利潤を守ろうとしたことが十分伺われる。そこでは200年も前から続いているという日没に海に向かって大砲を撃つ儀式が毎日行われていて、私たちも見物に出かけた。

見物に集まった人々で要塞のてっぺんは賑やかだった。半数以上がキューバ人で、彼らを眺めているだけでおもしろかった。やがて、19世紀の衣装を着けた兵士たちが行進してきて、勿体ぶった型の決まった動きで砲台に大砲を詰めて火を付け、太陽が水平線の向こうに沈もうとしているときに、大砲を発射した。ドッカーン!という大きな音がする―かと思っていたら、ポッ!というおとなしい音。拍子抜けしたけれど、それでもがっかりした様子もない人々を見ていると、こちらまで楽しい気分になる。

ホテルに戻る前に、サンチァゴ郊外のサンファンが丘(San Juan Hill)に寄った。辺りはすっかり暗くなっていたが、警備員はいても照明はなく、暗がりの中を記念碑まで歩いた。なぜそんなことをしたかというと、そこはアメリカがスペイン軍を大破してキューバ介入の道を切り開いた所だからだ。

「甘い歴史の苦い思い出」で触れたように、サトウキビ栽培が大規模に始まるとアフリから奴隷が連れて来られて、アフリカ系の人口がどんどん増えた。が、キューバの奴隷解放は遅く、キューバでは平等と自治を目指した闘いが繰り返されたが、特に19世紀後半は、スペインからの独立を目指す闘いと奴隷解放を求める闘いとが合流し、統治国スペインのみならず国内の支配層をも脅かすようになった。ここにアメリカが入り込んで行ったのだ。

19世紀に奴隷の反乱が広がり始めると、奴隷を所有するキューバの有力者たちは、威力の衰えたスペインは頼りにならないと、アメリカの支配層と手を結び始めた。キューバの奴隷所有者たちは1854年に在キューバ米国領事を訪れ、奴隷解放防止のために米国軍隊をキューバに送るよう、大統領(ピアス)に働きかけて欲しいと請願したほどだ。

アメリカにとっては、キューバは奴隷制度を前提とした事業拡大を提供する格好の場だった。1858年8月14日付のニューオーリーンズの新聞は、奴隷制度を北部に広げようとしてもうまくいかないが、南に目を向けると、キューバでは奴隷労働がすでに大きな収益を上げているから、キューバをアメリカに併合して事業を興し、アメリカ式管理を導入して生産性を上げればいい、という論説を載せている。あまりに剥き出しの利益追求論理に驚かされるが、アメリカではこうした他国の主権とか人権問題とかを完全に無視した資本の論理と権利章典(Bill of Rights)に表される人権保障観念とがずぅっと並行して存在してきたことが、改めて思い出される。

まもなく1861年にアメリカでは南北戦争が起こり、その後は奴隷制度を温存することができなくなるが、それでアメリカの黒人たちが完全に解放され、平等を獲得したわけではない。同様に、キューバでは1886年に奴隷制度が廃止されたとはいえ、労働条件は全く変わらなかったという。そのことが、1895年に始まった3度目のスペインからの独立戦争に、アフリカ系キューバ人を駆り立てることになったようだ。

キューバの独立戦争に、アメリカは表向きは「中立」を唱えていた。が、独立革命を押し潰そうとするスペインに兵器や弾薬などの軍需品をどんどん売っていたのだから、とんでもない「中立」である。アメリカはキューバ独立がキューバの民衆によって成立するのを明らかに阻んでいたのだ。翌1896年には密かにキューバをスペインから買収しようともした。広大なアメリカ中部をフランスから、アラスカをロシアから買い上げたように。キューバを自分の支配下に置いて革命勢力を一掃し、キューバの黒人反乱がアメリカに飛び火するのを防ぎ、同時にキューバの豊かな土地から収益を吸い上げようとしたのだ。買収計画は成立しなかったものの、アメリカがキューバの事実上の支配を諦めたわけではない。

独立戦争が長引くにつれて、スペインの軍事勢力は衰えていった。逆に独立革命派は力を増し、1897年12月には独立獲得成功を宣言し、新政府を選ぶまでになった。が、アメリカ大統領(マッキンレー)はキューバの独立承認を拒否し、1898年早々に戦艦メイン号をハバナに送った。これは明らかに挑発だ。案の定、2月にメイン号はハバナ港内で爆発。4月にアメリカ議会はスペインに宣戦を布告した。6月にはグアンタナモ湾に米国海兵隊が上陸して最初の戦闘を起こし、7月にサンファンが丘での激戦でアメリカ軍はスペイン軍を破ってサンチァゴを占領した。8月にアメリカとスペインは停戦協定に署名して、12月に戦後処理のパリ条約が結ばれた。この条約でキューバは名目上は独立国となったものの、暫定的にアメリカの軍事支配下に置かれることとなった。この調印式にキューバ代表は出席を拒まれたことからも、キューバの「独立」が実体のないものだということが伺える。この年にアメリカは太平洋の真ん中のハワイをアメリカ領土としたくらいだから、フロリダから目と鼻の先にあるキューバはアメリカの一部だと堂々と主張して憚らなかったのだろう。

アメリカが狙っていたのはキューバだけではなかった。スペインの植民地プエルトリコもフィリピンもアメリカの野心の対象で、アメリカ世論は新聞の論調に煽られて、これら3つの島がアメリカに併合されるのは正当であり、「自然の成り行き」であると息巻いた。案の定、パリ条約でプエルトリコ、フィリピン、グアムはアメリカの領土とされた。

一番近くにあるキューバは、米国議会がスペインに対する宣戦布告を許可する条件として、アメリカはキューバを併合しないことという決議のおかげで、領土としてアメリカに呑み込まれなかった。同時に、3年も続いた独立戦争で国土が疲弊したことと、黒人の人口比率が高かったことが、アメリカのキューバ合併熱を冷ましたといわれる。キューバの黒人の動きが国内の黒人たちに与える影響をアメリカ支配層はいつも恐れていたから、黒人が積極的に独立戦争に参加した島を自国内に抱え込みたくなかったに違いない。傀儡政権を通してキューバを支配した方が得策だと考えたのだろう。

が、アメリカはキューバの喉元を掴む処置をしっかり取った。1901年に調印されたプラット修正条項(Platt Amendment)で、アメリカはキューバ支配の土台を固め、同時にグアンタナモ湾の南半分とその周辺部を米国海軍基地として確保したのだ。↓
http://en.wikipedia.org/wiki/Image:Guantanamo.jpg

その後1934年に、さらにその修正条約を(後にカストロに倒された)バティスタ政権と結び、アメリカとキューバの両国が条約破棄に同意するまで無期限に年間4085ドルの賃貸料でグアンタナモ湾に海軍基地は存続することになったのだ。この「両国が条約破棄に同意するまで」という点を盾に取って、アメリカはキューバ革命後もグアンタナモに居座り続けている。グアンタナモ湾の米国海軍基地をキューバに対する侮辱だと主張するカストロ政権は、毎年送られて来る賃貸料に全く手を触れないそうだ。

バラコアからの帰り道に、遠くから見たグアンタナモ湾米国海軍基地のあの強烈な灯りの群れが、私の脳裏に焼き付いている。グアンタナモはキューバに対する侮辱だけでなく、アメリカの恥でもあると私は思う。
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