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73 メデューズの筏
2007年6月18日
齋藤 恵 齋藤 恵 [さいとう・さとし]

1948年埼玉県生まれ、1970年に大学卒業後、時計メーカーの輸出部門に就職。8年間の勤務の後、宮仕えには向かない自身の性格を認識して、父の経営していた小売店 (創業1912年 = 大正元年)に転身しました。歴史、風土、絵画、言語等に関心が強く、駄文ながら文章を書くことがストレス発散の手段のひとつになっています。ささやかながら、会社を経営するというのはそれなりにたいへんです。ここに書かせていただくことは、そうしたストレスの大いなる発散のためですので、お読みになる方もどうぞお気軽に。















メデューズの筏 (Le Radeau de la Meduse = The Raft of the Medusa)


テオドール・ジェリコー (Theodore Gericault  1791 - 1824) というフランスの画家が描いたこの絵は、491cm × 716cm というかなり大きなものですが、ルーブルの19世紀ロマン主義 (Romaticism) 絵画の部屋にあります。ジェリコー自身は、33歳で亡くなっており、残した作品はいたって少ないようです。事実私自身、彼の作品はこの絵一枚しか知りません。

ジェリコーを受け継ぎ、さらに発展させたのがドラクロワなのですが、この貴重な一枚の傑作は、フランス・ロマン主義絵画のシンボルとして、現在でも極めて高い評価を受けています。

ところで私は、この絵はかねてより写真で見て知っており、現物もルーブルで何度か見たのですが、ずっと勘違いしていたことがありました。それは題材の時代背景に関することです。

まず、メデューズ (Meduse or Mudusa) などという、ギリシャ神話に出てくる名前、それに筏の上の人々の服装が、どの時代なのか見当がつきにくいものであることから、私はこの絵はてっきりギリシャ神話にその題材をとったものだとばかり思っておりました。

ところが、実はこれはジェリコーが生きていた時代、1816年に現実に起こった悲劇的な海難事件を題材にしていたことを知りました。

そう言えば記事番号39番、「パリ市民とバリケード」で書いたドラクロワの絵、「7月28日、あるいは民衆を導く自由の女神」も、1789年のフランス革命と、1830年の7月革命とを私は取り違えておりました。なぜかロマン主義絵画というのは、そういう勘違いを起こさせやすいのかと、ちょっと思いましたが、これはまあ、単なる私の認識不足だということに気づきました。失礼いたしました。

ジェリコーがこの絵を描いたのは1819年です。当時のフランスはと言えば、フランス革命 → ナポレオン時代と続いた後、1814年にナポレオンがエルバ島に流され、一時的にルイ18世が王位に返り咲き、王政復古の時代でした。そしてその時代に、この悲劇の海難事故(事件)は王政復古もからんで発生したのです。

筏の上で息絶えたり、かろうじて救いを求めているのは、1816年6月に西アフリカのセネガル(パリ−ダカール・レースで有名なダカールはこの国の首都です)の植民地経営を目指してフランスを旅立ったばかりの人々なのです。

その時、ルイ18世の王政復古政権は、フランス海軍の軍艦メデューズ号を旗艦とする4隻の艦隊で、セネガルに植民地経営のための総督と軍隊を送ろうとしていました。セネガルはナポレオン時代もフランスの植民地であったのですが、戦後処理で一時イギリス領になり、それをまたイギリスが王政復古後のフランスに返還したのです。しかし、まあヨーロッパの国々は、この時代なんとも勝手によその国の分捕りや、分け前分配をやっていたものですね!

時のフランス社会はと言えば、亡命していた貴族達が復権し、家柄だけで実力を伴わないマネジメントが社会のあちこちで行われていた時代でした。市民階級は、破れたとはいえ、フランスに栄光をもたらしたナポレオンを慕う者、革命の余韻を残している者、様々でした。(まあ、フランス社会はいつも様々ではありますが)

そんな中、この艦隊の指揮官として、1789年のフランス革命時には、海軍大尉であった亡命貴族のショマレーが手を挙げて、任命されました。亡命時には大尉で、それから27年も経っており、その間まったく艦隊指揮の仕事などしていなかったわけで、これは大いなるミスキャストでした。

ともかく元海軍大尉、ショマレーは名前だけは、海軍中佐として再登録してもらい、意気揚々と出港してみたものの、やはり資質的にも経験的にも無理があり、だんだんと自らの無能ぶりをさらけ出していきました。

艦隊はばらばらになりはじめ、亡命貴族という名前だけで任命された艦隊司令官への乗組員の反発は次第に高まりました。一部の士官達の間では、助言するどころか、あいつが決定的に失敗するまでやらせてみよう、という気分さえ生じておりました。このあたりのことは、事件後の報告書に詳しく述べられているのだそうです。

そうこうしているうちに、目的地の近くまで来て、無能司令官は決定的なミスを犯しました。目的地セネガルの北、モーリタニア沖で、カルタゴの時代から知られている浅瀬の難所に船を乗り入れ、船を座礁させてしまったのです。時は1816年7月2日午後3時でした。

船を座礁から引きずり出そうとする作業は、何度か試みられましたが、しっかりした方針も、やる気もなかった司令官と乗組員達ではどうにもならず、旗艦メデューズ号は、放棄されることになりました。船はそれほど壊れてもおらず、天候の急変で危険が迫っていたわけでもなかったのですが。放棄開始は7月5日午前中でした。

船には救急用として、ボート数隻と大筏が乗せられており、総督と司令官のショマレーは大型ボートでさっさと岸に向かいました。筏には陸軍の兵士を中心に、少数の海軍士官、船医、地理技師ら146人の男と1人の女性が乗りました。人数が多すぎて、筏は中央部だけが水上に出ており、へりの方の人々はお腹のあたりまで水に浸かるような状態だったと言います。おまけにボートと違い、推進力もありませんから、ただ海上をさまようだけという状態だったわけです。ちなみに司令官と総督は、ちゃんと海岸にたどりついて助かっていたのです。

筏の上では、最初の一晩で約20人の姿が海に消えました。人々は中央部に向かってひしめき合い、次第にたいへん異常な心理状態へと追い込まれていきました。ちなみに筏のサイズは20M×9Mほど。不幸なことに筏は岸辺とは反対の方向に漂流し、陸はまったく見えなくなりました。漂流3日目には、筏上でけんか、殺し合い、自殺、発狂、病死、溺死等が発生し始め、ついには死体を食べるものさえ出る有様になりました。まさに阿鼻叫喚、地獄絵図です。

結局急速に筏上の人影は減り、上の絵の瞬間、つまり水平線上に船影を見つけ、生存者が最後の力をふりしぼって、救援の合図を送っている時には、筏上には15人の男しか残っていませんでした。熱帯の太陽と波にいためつけられて漂流して10日余りのことでした。

結局助けられたのは15人で、うち2人は救助後に亡くなっていますから、生存者は147人中、13人という、なんともおぞましい悲劇的な結果でした。

事件がパリに伝わると、大騒ぎになりました。家柄だけを頼りにする人材登用が国家の運命を危うくする、とリベラル派が主張する一方、亡命で苦労した貴族の優先的な登用を主張する王党派もいたりして、大騒動が起きました。結局、ルイ18世もリベラル派に妥協し、海軍士官の登用は、能力主義で決めるという法律を作り、一件を落着しようとしましたが、所詮は時の流れへの逆行ですから、無理なこと。結局1830年の7月革命で、ブルボン復古王朝は幕を閉じたわけです。

劇的に登場して、疾風怒濤の如く活躍したナポレオンが没落した後、画家達は同時代の何を描くのか、テーマ探しに苦労していました。ジェリコーも、その時代の現代的なテーマを描くのか、永遠不滅の主題を描くのか、迷っていたようです。そんな時にこの事件が起きたわけです。自然の猛威によって極限状態にまで追い込まれた人々。この生々しい素材を使って現代性と永遠性を両立させた、不滅の記念碑的な絵画、そんなことをジェリコーは考えたのかもしれません。

約8ヶ月間、生存者から詳細な話を聞きつつ、すさまじい集中力でこの画を描いたといいます。この画家、やはりもう少し生きて、もっと多くの作品を残して欲しかったですね。

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