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縁の下のバイオリン弾き
50 はしとさじ
2012年6月15日
西村 万里 西村 万里 [にしむら・まさと]

1948年東京生まれ。大学で中国文学を専攻したあと香港に6年半くらし、そのあとはアメリカに住んでいる。2012年に27年間日本語を教えたカリフォルニア大学サンディエゴ校を退職。趣味はアイルランドの民族音楽 (ヴァイオリンをひく)と水彩画を描くこと。妻のリンダと旅行するのが最大のよろこび。
▲ タジン:モロッコの土鍋
姜信子(きょうのぶこ)さんの「わたしの越境レッスン韓国編」によると韓国の親は「韓国人のこどもは箸(はし)を自由に使いこなす。こんなに器用なのだからいずれ中国や日本を追い抜くにちがいない」と口にするそうである。つまり、彼らは中国人も日本人も箸を使う事をすっかり忘れているのだ。

われわれ日本人にはちょっと信じられない話だ。日本人は箸が中国から渡ってきた事を漠然とでも知っている。

でも本家本元の中国で、たいていの人は日本人も箸を使うということを知らない。というか、そもそも興味を持っていない。「へえ、日本人も箸を使うの」と香港で驚かれた経験が何度もある。日本料理が普及した現在の中国の大都市ではそんなこともないのかもしれないが。

逆に、日本人は中国人が箸を使うことを知っているがゆえに、日本も中国も韓国も箸文化だと信じて疑わず、それがある意味では誤解だということに気がつかない。

中国では人は箸だけを使って食事をするのではない。日本人がレンゲとよぶあの陶製のさじと組み合わせて食事をするのだ。右手に箸、左手にさじが基本の形だ。

ご飯だけは箸で食べるが、おかずを食べるにはレンゲが活躍する。

小籠包(シャオロンパオ)という中国料理をご存知だろう。小型の蒸した肉まんじゅうなんだけど、これの変形種に中にスープしか入っていない「湯包子」(タンパオズ)というのがある。これを箸でつまんでその全貌を口の中にいれると蒸し上がったばかりのまんじゅうから熱いスープがじゅっと飛び出るのでやけどをする。レンゲがなければまずこの料理を楽しむのはむり、というたべものだ。中国料理にはそういうものがいっぱいある。

韓国では金属のさじを使ってご飯を食べ、 箸はおかずをつまむのに使う。このご飯をさじでたべるというのは中国古代のやりかただそうで、そんなところにも韓国人が自分たちこそ中国文化の正統な後継者だ、と自負する理由がある。

つまり中国も韓国もさじがなくては食事にならない。中国でも必要にせまられれば箸だけで食事をすることがあるけれども、ふつうは箸とさじはなくてはならない組み合わせだ。

中国の箸(韓国のも)は先がとがっていない。日本のものよりは長くて太さがほとんど変わらない箸を使う。だから彼らは日本の箸を見るとたいへん感心する。「あれは便利だねえ。なんでもつきさせるからたべものをはさみそこねて落とすということがない」などという。日本の礼法でも箸を食物につきさすなんてやってはいけないことだ、ということを知らないのだ。

ではなぜ日本の箸は先がとがっているのだろう。たべものに箸をつきさすのがいけないなら、とがらせなければよいではないか。げんに中国人はとがっていない箸で食事をしてなんら問題はないようだ。

私が思うに、あれは日本人が魚を食べるせいだ。そして食事にさじをつかわないせいだ。

日本人は昔は獣肉を食べなかった。魚と野菜しか食べなかった。それも魚を小さく切って出すのではなく、「尾頭つき」を尊ぶ文化だった。魚の全貌が食卓に出て、しかも箸しか使わないとすれば、食べる時にその肉を箸でむしらなければならない。その目的に便利なように先がとがっているのだ。

中国では肉は小さく切ってある。豚は肉絲といって細切れにするか、肉片といって薄切りにしてある。牛肉、羊肉も同じ。にわとりだけは骨ごとぶった切ってあるからこれを箸で落とさずに口までもっていくには相当の熟練を必要とする(レンゲの出番だ)。

魚もそうやって箸でつまめるように切って調理する。しかしもちろん宴会料理などの時は一尾まるごと供されることが多い。広東料理では「清蒸」(チンジョン)といって大きな魚をそのまま蒸す。魚が大きければ大きいほどホストの鼻は高くなる。

食卓にどーんとこの料理が置かれるとホストは立って金属製のスプーンで人数分に切り分ける。魚肉だからむずかしいことではない。それをお客それぞれのお皿に取りわけるのが彼の役目だ。

小さく切られた魚肉にはもう小骨なんかついていない。だから中国の箸で十分つまめるし、またもしぐずぐずになったとしたらさじでひと飲みにする。

小さい魚の場合は油で揚げて骨まで食べられるようにしてしまう。

ところが日本人は焼いたいわしやさんまを、あるいはタイの浜焼きを、徹底的に二本の箸で攻める。それでいてなめたようにきれいにしてしまう。細かい魚肉を箸でひろうには先のとがったものでなければ無理だ。

なぜ日本人はさじを使わないのだろう。日本にさじがなかったわけじゃない。でも一般の人は使わなかった。「医者もさじを投げる」という。さじは薬の量をはかるはかりだったのだ。だからこの患者はもうだめだ、という時に医者は不要になったさじを投げ捨てるのだ。

最近宮本磬太郎(けいたろう)という民俗学者の「めし・みそ・はし・わん」という本を読んだ。これは「民俗民芸双書」というシリーズの一巻で出版は1973年、著者の現地調査による昔の日本人の食生活が細大漏らさず書かれている労作だ。農村では朝食と夕食と「少なくとも」1日2回はみそ汁を飲んでいたとか、いろりで飯を炊くには釜ではなく鍋を使ったとか、桶(おけ)と樽(たる)はどうちがうかとか、「そうだったのか」と目が開かれるような事がたくさん書いてある。

それなのに300ページからあるこの本の中にさじのことはただの1回もでてこない。まったく言及がないんですよ。

これはただごとではない。著者自身がさじのことについて調べようとははじめから思っていなかったらしいのだ。さじが日本人の食生活に関係があるとは考えもしなかったからだ。

食生活を描いてさじが出てこないなんてことは中国や韓国では起りようがない。

さじを使わないから日本人は木のおわんに汁をつぎ、それを手にもって口をよせて吸う。「吸物」とよぶゆえんだ。木でなければならないのは、せとものだと汁のせいで熱くなって手に持つのがむずかしくなるからだ。

中国ではご飯と共用のせともののおわんにスープをいれて、それをレンゲですくって飲む。おわんは食卓を離れない。韓国も同様で、こちらは絶対におわんを手に持っていはいけない。

日本では汁の具は箸でつまむ。中国ではスープの場合、まず箸は使わない。具はレンゲですくって食べる。

むかし伊丹十三監督の「タンポポ」という映画があった(1985年)。たったひとりでラーメン屋をやっている女性をいきずりのトラック運転手が助ける話で、その中に「ラーメンはどうやって食べるのが正しいか」という問題をこの道何十年という老人が解説する場面がある。彼を中心に何人もがテーブルにすわって彼のやるとおりにラーメンを食べる。最後に全員がどんぶりをかかえてどんぶりのふちに口をつけ、スープの最後の一滴まで飲み干す、という描写があった。正面から写していたのでどんぶりは全員の顔をおおってしまった。

私がこの映画を見たのはもうアメリカに来て何年もたっていたころだった。日本人が見れば何の不思議もないこの場面を見て私はあらためてその特異性にうたれた。だから今でもおぼえている。

中国人も韓国人もこんなことはしない。なぜならラーメンの汁はさじですくって飲むからだ。

今の日本人もそうかもしれないと思っていたけれど、比較的最近できた「ラーメンガール」という映画(2007年―アメリカ映画だが日本が舞台になっている)では、レンゲがちゃんとあるのに人々はやっぱりどんぶりをかかえてスープを飲んでいる。


日本には「どんぶりもの」がある。天丼、カツ丼、うな丼など、おおきなどんぶりに飯をいれてその上におかずをのっける。なぜどんぶりでなければならないかというと最後はこれに口をつけて飯をかきこむからだ。

中国ではちいさな飯茶碗にご飯を盛って肉をのせて食べることはあるが(この時には飯をかきこむ)、ふつうはどんぶりに飯をいれることはしない。どんぶりはスープか麺類をいれるのに使う。

ではどんぶりものにあたるものはないのかというと実はある。皿に飯を盛ってその上に肉や野菜をのっけるのだ。どうして皿かというと、皿でないとレンゲが使いづらいからだ。つまり飯もおかずもいっしょにレンゲと箸で食べる。



徹頭徹尾箸を使うという日本の文化が一番よくあらわれているのがお茶漬けだろう。

韓国のことは知らないが、中国では上海料理に「泡飯」(パオファン)というのがある。これはスープをご飯にかけた、いわば中国のお茶漬けだ。スープだからもちろんレンゲですくって食べる。

日本の茶漬けもそういった料理の一種だと思うけれど、さじは使わないで飯をかきこむ。そうしなければ食べられない。

昭和天皇の料理番が「ときどきはどんぶりものもお出しします」と書いているのを読んだことがある。わざわざそういう事をいうのはどんぶりものが下々(しもじも)の食べ物で、天皇が「人間天皇」になる前は出そうにも出せなかったものだ、という含みがある。茶漬けなどは今でも食卓に登らないのではあるまいか。

それは「飯をかきこむ」ということが日本でも上品だとは思われていないからだ。

それでいて茶漬けにはどこかイキな雰囲気がただよう。濃厚にたいして淡白、ぜいたくにたいして質素、複雑にたいして簡潔、と日本文化のわび・さびの精神がそのまま形になったような食べ物なんだからそう簡単に下品あつかいして排斥しちゃいけない。桑名の名物はまぐりのしぐれ煮(つくだ煮のこと)を歌った「桑名の殿さま、しぐれで茶々漬け、ヨーイトナー」なんて歌もあるぐらいだ。

また「弁当」というものが日本で生まれたのも不思議ではない。

中国では冷や飯を食べない、とよく言われる。しかし昔の中国人が旅行した時に食料はどうしたのだろうか。中国は世界でもっとも早くレストラン文化が発達した国だから茶店かなにかで食事をしたのかもしれないが、人家のないところでは困るだろう。

香港で時代劇映画を見ると旅から旅の毎日を送る武侠(ぶきょう―日本の浪人のような者)は包子(あんのはいっていないまんじゅう)を食べている。ということはやむを得ないときは冷たいものも食べていたのだ。しかしそれは手づかみだ。いわゆる弁当ではない。今でこそ日本のコンビニが中国に進出して弁当も売られるようになったけれど、 以前は日本以外で弁当を使うアジアの国は日本文化の影響が強い台湾だけだった。台湾には駅弁があった。

弁当は片手に容器を持ち、箸で食べるほかはない。箸とさじを使う(つまり両手がふさがる)文化ではこれはほとんど不可能な食べ方だ。たとえ机の上に置いたとしても弁当箱はさじになじまない。これが中国で弁当ができなかった理由ではないだろうか。


金持ちの家にうまれて何の不自由もなく育った人間のことを日本では「箸より重いものを持ったことがない」とけなす。同じ事を英語では「銀のさじをくわえて生まれてきた」と表現する。生活の苦労がない事を言うのにどちらも食事の道具をもちだすのがおもしろいと思う。
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