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縁の下のバイオリン弾き
52 玉米(ぎょくまい)
2012年7月15日
西村 万里 西村 万里 [にしむら・まさと]

1948年東京生まれ。大学で中国文学を専攻したあと香港に6年半くらし、そのあとはアメリカに住んでいる。2012年に27年間日本語を教えたカリフォルニア大学サンディエゴ校を退職。趣味はアイルランドの民族音楽 (ヴァイオリンをひく)と水彩画を描くこと。妻のリンダと旅行するのが最大のよろこび。
「なんでアメリカには本物のとうもろこしがないの」とその中国人の若い講師は文句をいった。ウィスコンシン州の大学で夏期講習をしていたときのことだ。日曜日になるとファーマーズ・マーケットといって近在のお百姓さんが農作物を持ち寄って市をたてる。とうもろこしは中西部の特産だから山ほどある。でも彼女の求める「本物」のとうもろこしはないのだった。

「たくさんあるじゃない」
「でもみんな若くてやわらかいのばっかり。私は粒の固くなったとうもろこしが食べたいのよ」

彼女の説明によると、中国で食べるとうもろこしは取り入れが遅いためなのだろう、ずっと固くなったもので、かみごたえがあるのだという。

なるほど、アメリカでふつうに売っているとうもろこしは新とうもろこしでやわらかい。

これをアメリカ人は「スイート・コーン」といってことのほか喜んで食べる。その名の通り、食べると甘い。ゆでて、バターをぬって食べる。彼らにしてみれば、こうやって食べるのが一番うまいのだから、スイート・コーン以外のとうもろこしは売っていないのだ。

ところがこの女性は中国で食べるようなとうもろこしが食べたいという。われわれは「固いとうもろこし」をさがしまわったが、結局それはみつからなかった。

***

とうもろこしの「とう」も「もろこし」も中国をさす。我々はあの穀物を「中国中国」とよんでいるわけだ。

北中国ではとうもろこしは重要な作物である。南の広東語では「粟米」(ソクマイ)といって米より劣る粟(あわ)のあつかいなのに、北方では「玉米」(ユィミー)という。丸いから玉というのではない。これは宝石の「ぎょく」つまり翡翠(ひすい)のことで、それだけありがたがられているのだ。

戦前の中国の小説を読むと貧乏人の食べ物として「 窩々頭 」(ウォウォトウ)というものが時々出てくる。これはとうもろこしやその他の雑穀の粉をねった蒸しまんじゅうだそうだ。昔食べた事のある人は「まずい」というのだが、私は食べたことがない。先年北京に行った時にどうしてもこれを食べたいと思って友人に頼んで食べられるところを探してもらったのだが見つからなかった。昔からのイメージがあまりに悪いので、商品としては売っていないのだ、という説明だった。今経済的に躍進する中国で窩々頭なんか食べる人はいないのだろう。

私は香港ではとうもろこしはほとんど食べなかった。「粟米湯」(ソクマイトン)という中国風のコーン・スープがあるが、これはかんづめのコーンを使ったものだ。

日本で暮らしていたときだってとうもろこしはあまり食べなかった。祭りの屋台で醤油をかけて焼いたのを食べるぐらいだった。

アメリカに来てからとうもろこしに開眼した。スイートコーンはアメリカ流の食べ方をするにかぎる。アメリカは世界最大のとうもろこし生産国だが、そのとうもろこしの90%以上は家畜のえさや工業用品などになってしまう。人間が食べるものは数%にすぎないのだ。とうもろこしはアメリカ原産だから、アメリカでとうもろこしを食べるのはなんとなく筋が通っているような気がしていた。

アメリカ流の食べ方はもうひとつある。コーンを粉にして水でねってオーブンでやきあげたコーン・ブレッドだ。これはもともとは南部の特産だ。その事を私は知っていたけれど、どうして南部なんだかわからなかった。のちに知ったのだが、これは南部の大農場でアフリカ人奴隷に食べさせるものだったのだ。小麦で作るパンは白人専用で、黒人には食べさせなかった。そのかわりに与えたものがコーン・ブレッドだった。今でこそだれにも愛されるコーン・ブレッドにはそんな悲惨な話がからんでいる。

***

やってみればわかるけれど、とうもろこしの両端をもってかぶりつく食べ方は実は効率が悪い。粒の下のほうがどうしても残ってしまう。むだの多い食べ方なのである。

とうもろこしはアメリカ原産だといっても、アメリカ合衆国が原産地なのでない。それは中米、メキシコやグァテマラなどの国々だ。だからこれらの国々ではとうもろこしの重要性は合衆国とはくらべものにならない。そこではとうもろこしは唯一無二の主食である。

主食であるからにはアメリカ人がやるようなむだな食べ方はできない。中米人はとうもろこしを乾燥させる。乾くとあの粒々は芯(しん)からぽろりと落ちる。それを集めてすりつぶして粉にし、パンにする。こうやればとうもろこしはむだなく食べられる。

この「パン」がトルティヤだ。とうもろこしの粉を水でねって両手でたたいてうすやきせんべいのような形にする。それを鉄板の上で焼く。あるいは蒸す。イーストが入っていないからふくらまない。

トルティヤという言葉自体はスペイン語だが、スペインではこの言葉は玉子焼きをさす。だからとうもろこしのパンをトルティヤと呼ぶのは中米に限った事だ。

この言葉を私は子供のときから知っていた。なぜかというとメキシコ革命を題材とした子供のための小説を小学生のとき読んだからだ。主人公はメキシコ人の少年でふとしたことから革命軍の若き将軍と知り合いになり、彼にくっついて転戦をかさねる。

大農場で働く小作人たちはそこで生まれ、そこで結婚し、そこで老いてゆく。買い物はその農場の中のよろず屋でするのだが、値段が高い商品をツケで買わざるを得ない。必然的に借金がふえて一生解放されないのだ。メキシコ革命はその制度を打ち壊すために起った。1910年のことだ。私はメキシコの事もメキシコ革命の事も知らなかったがこの小説には魅了された。

少年が何かの用でよろず屋に行く場面がある。おけにいれられた黄金色にかがやくとうもろこしの粒々。それを見て少年は生つばをのみ込む。「これさえあればトルティヤができるんだ」とじっとそれに見入る、という描写があった。

それでトルティヤという名前をおぼえた。でも実物を知らないから、それがどんな形で、どんな味がするのか全くわからなかった。トルティヤをはじめて食べたのはそれから20年もたってティファナを訪れた時だ。感無量だった。

この小説の名前を私は「草原の嵐」とおぼえていた。そしてそれは岩波少年文庫の一冊のはずだった。少年時代に愛読したこの小説をもう一度読みたいものだと常に思っていたが、それは実現しなかった。インターネットで何でも調べる事ができるようになって、私は岩波少年文庫のリストをしらべたのだけれど、「草原の嵐」という本はなかった。

メキシコ人の書いた本だとばかり思っていたからティファナの本屋でもさがしたが、そんな題名の本はないと言われた。

だれが書いたのかがわかったのは実はつい最近のことだった。メキシコ人が書いたのではなく、オーストリアのカルル・ブルックナーという作家がドイツ語で書いた物語で題名は「メキシコの嵐」というのだった。そしてそれは確かに岩波少年文庫の本だったのだが、とっくに絶版になっていた。

また読んだ時には知らなかったが、のびやかなペンで描かれたメキシコらしい挿し絵を描いたのは向井潤吉だった。

50年ぶりに本の名前がわかった。今度は古本を買うことができるだろう。「トルティヤ」という言葉をおぼえた大事な本だ。

***
  
本間千枝子という人が書いた「アメリカの食卓」という本がある(1984年)。アメリカのさまざまな食べ物をレシピーつきで紹介した随筆集だ。目配りのよくきいた本で感心したのだが、ある箇所を読んでトルティヤの中に固いとうもろこし粒をかみあててしまったような気持になった。

その章で彼女はエンチラダという料理を話題にしているのだが、メキシコという言葉がほとんど出てこない。出てきてもスペイン文化のおまけみたいな扱いなのだ。なんだか始めから終わりまでスペイン文化のことを話題にしていて、このエンチラダも「スペイン風の料理」と書いてある。冗談ではない。エンチラダはれっきとしたメキシコ料理だ。なにしろトルティヤが必要なのだから。ところが彼女はトルティヤのことを「トルティラ」と書いている。「夏の宵とぴりっと辛いエンチラダという取り合わせの妙は、まことに感覚的で、民俗的トルティラもこのように使われる事によって文明のエレガンスをまとうようだ」という具合に。

トルティヤは国により地方によりいろいろな発音がある。「トルティジャ」「トルティリャ」「トルティヤ」など、みな同じものだ。しかし「トルティラ」という発音はない。これは英語読みなのである。要するにこの人はメキシコ文化を話題にしたくないのだ。そして原語の発音にも関心がないのだ。

どうしてそんなことになるのか。それは次の引用で理解できると思う。

「(ニューヨークの)コロンバス・アヴェニューに近い九十丁目台ということは、当時スラム化がすすみかけていた地域に当たっていた。新しいスラム、すなわちプエルトリコ系のスペイン語だけをしゃべる人たちの街、スパニッシュ・ハーレムである。耳には決して美しく響かぬ彼らの声高なスペイン語と、この人たちの愛用するらしい黒髪をしっとりさせる香油の匂いを私は本能的・体質的に嫌っていた」

こういうことを書く人はなぜ自分たちがアメリカ人から「耳には決して美しく響かぬ声高な日本語」をしゃべっていると思われていないか気にならないのだろう。

日本人の使う醤油がその匂いのために「バグ・ジュース」(虫の体液のこと)と呼ばれてアメリカの白人から本能的・体質的に嫌われたのはそんなに昔の話ではない。

ある種の日本人は欧米に行くと平気で自分を「白人」と同一視してしまう。どうしてそんな事ができるのだろう。著者の言っていることは無知な白人の言うことと同じだ。スペイン語の話し手、それも中米やプエルトリコから来た人はなるほど貧しい者が多いかもしれない。スラム街に住んでいるかもしれない。でもそれはその人々の責任ではない。

「声高な」というけれど、ある国民のしゃべる言語がほかの言語より声高だということは決してない。声高にしゃべる時もあれば、低い声でささやく時だってある。

自分の耳にこころよく響かないから「声高」に聞こえるだけなのだ。

「英語は海賊と話す時の言葉、イタリア語は女を口説くときの言葉、ドイツ語は馬と話す時の言葉、フランス語は愛人と話す時の言葉、スペイン語は神と話す時の言葉」という(もちろんスペインの)格言もある。

***

トルティヤは、現在世界中で消費量を増し、メキシコのトルティヤ製造会社は2006年に上海に工場をつくったという。

ほんとか!と私などはびっくりしてしまう。 窩々頭(ウォウォトウ)が貧乏人の食べ物だとしてさげすまれた昔を思うと夢のようだ。でも中国はアメリカに次ぐ世界第二のとうもろこしの生産国だからその地の利を使いたいということなのだろう。

とうもろこしはトルティヤとして食べられるだけでなく、エタノールの原料としても重要性を増した。今年は天候不順でアメリカ中西部のとうもろこしは壊滅的な打撃を受けている。世界的に値段が高くなるだろう。「玉米」という名前はいまや単なる美称ではないのかもしれない。
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