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やって来た山火事(4)止まない風 |
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2007年11月19日 |
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 | 雨宮 和子 [あめみや かずこ]
1947年、東京都生まれ。だが、子どものときからあちこちに移動して、故郷なるものがない。1971年から1年3ヶ月を東南アジアで過ごした後、カリフォルニアに移住し、現在に至る。 |
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▲ ラモナ東部の焼けた農園。労働者用トレーラーハウスの跡。 |
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▲ 回りに何もないところに置いておいたのに、焼けてしまったクレーン。 |
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▲ 無惨な姿のクレーンの運転席。 |
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ラモナから家に帰ったのは10時過ぎ。すぐテレビのスイッチを入れると、ラモナの町の中心道路の大変な交通渋滞を報道している。避難する車はほとんど動いていない。ラモナの南側に大きな住宅地があって、そこから出るにはまずラモナの中心を通らなければならないからだ。ラモナを出るのがあと30分遅かったら、私たちもあの交通渋滞に巻き込まれるところだった。
電話が鳴る。お隣のフランクだ。彼は家族を避難させて自分だけ家に残っていた。彼の家から私たちの農園が見える。丘のてっぺんにあるパームがどんどん炎を浴びて燃え上がっていて、炎がどんどん下に向かって広がっていると言う。彼はいまから避難すると言って電話を切った。トーマスと私は顔を見合わせた。「できるだけのことはやったのだから、仕方ないね」とトーマスが言う。私もその言葉に頷いた。農園が燃えているのが見えないのは、かえって気がラクだ。だからあまり実感が湧かないのか、それとも山の上にどんどん広がっていく炎を見て、農園は必ず燃えるとあのときすでに諦めたのか。どちらにせよ、数時間前までは農園が燃えるだなんて思ってもみなかったのが不思議なくらいだ。でも私が落ち着いていられたのは、ラモナ湖に面したもう1つの農園の方が大きくてアボカドが主なので、そちらが大丈夫ならトーマスも大丈夫、という気がしていたからだ。
それにしても、自分が避難する直前というときに、私たちの農園のことをすぐ知らせてくれるとは、フランクはなんと親切な人なんだろう。彼の家は大丈夫だろう。回りに何もない空間がいっぱいあるし、燃えない最新資材で建ててあるから。でも、別の隣人、ホセとサンディの家は危ないのでは…古いし、おまけに燃えやすいユーカリの木が近くにある。夕方見た彼らの緊張した顔が目の前にちらつく。善意の固まりのような2人だけに、彼らの家が燃えてしまうかもしれないと考えると胸が痛くなる。経済的観点だけから見たら農園の方が10倍以上の価値があるのだけれど、農園をなくすより家をなくす方がはるかにつらいことだろう。我が家というのは自分の一部のようなものだもの。自分の住処の価値はお金では測れない。
また電話が鳴る。ラモナ湖に面した農園の作業長だ。残る労働者に灌漑用水をやり続けるよう指示して、自分は家族を連れて友人の家に避難するという。家族持ちは大事を取るのに越したことはない。
夜中を過ぎても、地元テレビ局はすべて火事情報を流し続けている。サンディエゴ郡の南部で最初に発火した火事はメキシコとの国境を越えそうだという。ラモナ東部で発生して西に広がっている火事は二手に分かれて、1つはラモナの北側を回って西に広がっており、もう1つは南西に広がっているという。それならラモナ西部にあるもう1つの農園は目下のところ大丈夫。そこに移った労働者たちもいまのところは安心だ。でも、火事がラモナの北を回って西へ広がっているというと、野生動物公園が危ない。いざとなったら、どうやって動物たちを避難させるのだろう。そんなことを真剣に心配してしまう。
疲れ果てたトーマスが眠ってしまった後も、私はちっとも眠くなくて、火事を知らせるメールを書き、研究会インフォネットの掲示板にも書き込んだ。外では強い風の音がちっとも止まない。恐ろしいほどの突風が立て続けに吹き付け、一瞬電気が切れる。停電!と思ったら、すぐ電気がついた。サンタアナの風は、普通は夜になると止み、太陽が昇ってしばらく経つとまた吹き荒れるのだけれど、今回は風は止むどころかますます強くなっていく。これではせっかく火事を免れても、アボカドはどんどん木から落ちてしまうだろう、と私は気が気ではない。
カリフォルニアのアボカド生産は、深刻な水不足とメキシコ産アボカドの流入で将来の見通しが暗くなっている。でも今年、トーマスのアボカド園の木はどっさり実をつけて大豊作になりそうだし、実の発育も早い。そこでトーマスは井戸の整備を始めとする設備投資をして、アボカドで稼ぐ最後のチャンスに賭けていたのだ。収穫開始まであと1ヶ月足らず。火事は免れても、こんな強風にアボカドは勝てない。
早く風が止んでくれないかなぁ…異常なほどに強い風の音を聞きながら、私は1人でジリジリソワソワしていた。
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