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縁の下のバイオリン弾き
133 王女と真珠
2017年1月1日
西村 万里 西村 万里 [にしむら・まさと]

1948年東京生まれ。大学で中国文学を専攻したあと香港に6年半くらし、そのあとはアメリカに住んでいる。2012年に27年間日本語を教えたカリフォルニア大学サンディエゴ校を退職。趣味はアイルランドの民族音楽 (ヴァイオリンをひく)と水彩画を描くこと。妻のリンダと旅行するのが最大のよろこび。
▲ アロンソ・サンチェス・コエーリョ「スペイン王妃イサベル・デ・ヴァロア」(部分)
▲ ソフォニスバ・アングィッソーラ「カタリーナ・ミカエラ」(部分)
▲ サンテ・ペランダ「イサベッラ・ディ・サヴォイア」(部分)
スペインのビルバオにあるグッゲンハイム美術館に行ったのは2008年のクリスマスだった。グッゲンハイムはニューヨークを本拠とする近現代専門の美術館だ。私はそのニューヨークの美術館に行きたいと思いながら行ったことがないのだけれど、スペイン旅行を計画中にビルバオに分館があることを知った。

でもビルバオを訪ねたのはグッゲンハイムに行きたかったからではない。私は昔からスペインの少数民族バスク人に興味を持っており、バスクの国へ行きたいという一心でそのバスク州第一の都会であるビルバオに行くことを決めた。地図をごらんになればわかるが、ビルバオはスペインの北部にあって、観光客がこぞって訪れる南部からは遠い。大学の短い冬休みを利用してスペインに行ったので、ビルバオには一泊しかできなかった。でも行ってよかった。

ビルバオはヨーロッパのたいていの都市がそうであるように川にそって造られた町で19世紀からほとんど変わらないような古いたたずまいをみせている。ところがその川のほとりにステンレスのとっぴょうしもない現代的な建物を建てたのがグッゲンハイム美術館だ。

私はなぜグッゲンハイム美術館がビルバオを選んだのか知らない。でもその斬新なデザインはまわりの建物とふしぎな調和を見せていた。

この美術館の第一の呼び物は彫刻家リチャード・セラのインスタレーションだ。その作品のために美術館が作られたといってもいいほどで、最大の部屋に巨大な鉄の彫刻がならべてある。彫刻といっても厚さ5センチ、高さ5メートルばかりの大鉄板を紙切れのようにくるくる巻いたりのばしたりして立ててあるものだ。中に入れるようになっていて黒い鉄板と鉄板の間を歩くと微妙にたわんだ両方の壁がめまいを起こすような感じになる。どうやって作ったのか見当もつかない。

芸術とは日常から飛躍するものだとすれば、こんなとほうもないものを作り出す想像力、それを実現させる技術、自己の創造性に対する強烈な自信、どれをとっても芸術の名にあたいすると思う。

現代の最先端の美術はすごいなあと思ったけれど、じつはそれだけではなかった。ラッキーだったのはウィーンの有名な美術史美術館から所蔵の作品がたくさん貸し出されていて特別展覧をやっていたことだ。なぜそんなことが実現したのか私は知らない。ウィーンなど行ったこともないし、行くことができるかどうかもわからない。それなのにルーベンスやホルバインの名作がオーストリアに行かなくても見られるなんて眼福(がんぷく)だった。

いろいろ肖像画がある中で、アロンソ・サンチェス・コエーリョ(1531?−1588)の「スペイン王妃イサベル・デ・ヴァロア」というポートレートが特に目をひいた。それは画中の彼女がふんだんに真珠をちりばめた衣服を着ているためだった。

スペインに行く前に山田篤美「黄金郷(エルドラド)の伝説」(2008)という出版されたばかりの本を読んだ。これは現在のベネズエラをまずスペイン人が侵略し、ついでイギリス人が自領にしようと三百年近くもがんばったあとで、結局それが実現せずあきらめた、という歴史をつづったものだ。

私はスペイン語を勉強したので、南米のことならなんによらず興味がある。ベネズエラにオリノコ川という大河があるが、ロビンソン・クルーソーが漂着したのはその河口近くの島だったとか、コナン・ドイルの「失われた世界」の舞台は奥地のテーブル状の山だったとか、それらの作品にまつわる政治的なおもわくはどういうものだったかとかいう興味深い話がのべられている。大変な労作だ。

スペイン人もイギリス人も黄金郷がある、といいう昔話を信じて狂奔した。黄金は実際に存在したのだが、その過程で真珠をめぐる話がでてくる。オリノコ河口の近くにマルガリータ島という島があり、そのあたりが天然真珠の大産地だった。

スペイン人は先住民を使って真珠を取りに取った。

朝から晩まで奴隷を水に潜らせるのである。奴隷は一日中泳いでいなければならないし休むのだって腕を使って立ち泳ぎしていなければならない。怠ければ監督のムチが飛ぶ。それが毎日毎日続く。もう極限の重労働だ。おぼれたり、サメにくわれたりして先住民はどんどん死んでいく。悲惨というもおろかだ。

そうやって人の命と引き換えに得た真珠をスペイン人は母国に送った。そのためにヨーロッパ中の皇族・貴族の女達が真珠に熱狂した。16世紀のなかばから、肖像画に急に真珠がふえたのはそのためだ、と書いてある。そしてそれはほんとうなのだった。

私はそんなことはまったく知らなかった。真珠は昔から日本の特産だと思っていた。南米で真珠が取れるなどとは初耳だった。

その話を実証するかのように、画中のイサベル・デ・ヴァロア(1545−1568)はめったやたらに真珠をかざっている。この絵は彼女がスペイン王にとついだ15歳の時のものだ。

私はうなってしまった。もしこの絵を見なかったら、南米の真珠の話は私の頭の上を通り越してしまっただろう。実際、この絵を見るまではその話はほとんど記憶に残っていなかった。

大小何百の真珠の一粒一粒が、たぶん一人あるいはそれ以上の人命を象徴しているのだろう。なんというひどい話だろうか。

本には当時の真珠愛好家の代表として英国のエリザベス1世の肖像画があがっているけれど、私は「ヴァロア」という名前がついているこの少女のほうに興味があった。

ヴァロアというのは14世紀以来フランスに君臨した王家の名前である。イサベルの母はフィレンツェのメディチ家から来たカトリーヌ・ド・メディシスだ。彼女は夫王の死後、王になった息子たちの母后として隠然たる権力をふるった。王女イサベル(フランスではエリザべート)はカトリーヌの長女。妹がマルグリット、本稿第59回「絵に描いた餅」でふれた「王妃マルゴ」だ。私は映画「王妃マルゴ」を見てからデュマの原作を読み、その歴史を読みあさった。それで彼女の苗字ヴァロアが頭に残っており、この絵を見たときにすぐにそれを思い出したのだった。

政略結婚によってイサベルはスペイン王フィリップ2世に、マルゴはフランスとスペインの境にあるナバラ王国の王アンリ・ド・ブルボンにとついだ。

カトリーヌの四人の男子は三人が王となった。しかし四人とも次々に病気あるいは暗殺で死んだ。フランスでは女は王位をつぐことができなかったから、男子のいなくなったヴァロア家はここで断絶し、フランス王位はマルゴの夫に移った。アンリ4世である。

これがブルボン王朝の始まりだ。ブルボン家といえば「太陽王」ルイ14世とか、フランス革命で断頭台の露と消えたルイ16世など、われわれ日本人にもなじみがある。

フランスの王は消えたけれど、現在でもスペインはブルボン家の王をいただいている。

アンリが来たナバラ王国というのはパンプローナ(ビルバオの近く)を首都とするもともとバスク人の国だった。日本にキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエルはここの出身だ。

スペイン王妃になった我らがイサベルは23歳で若死にした。娘が二人いるが、次女のほうがここに肖像画を出したカタリーナ・ミカエラ(1567−1597)だ。カタリーナはマドリッドで生まれ、サヴォイア公にとついだ。

サヴォイアというのはトリノを首都とする北イタリアの公国だ。つまりカタリーナはイタリアから来たおばあさんとフランス人の母親をもち、自身はスペイン人で、夫はイタリア人というヨーロッパの王室を象徴するような国際的な存在だ。ごらんのように絶世の美女だった。

このポートレートの真珠もすごい。母親のイサベルがこれでもかというぐらい真珠を見せびらかしているのとくらべるとつつましく洗練されているようにみえるが、どうしてどうして、実はたいへんなものだ。

胸にかかる2連の長いネックレスをごらんください。天然真珠というのはめったにできるものではないそうだ。1万個の貝から1個とれれば御の字だという。しかも大粒のものを見つけるのは奇跡的なことだ。そういうわけで、同じ大きさの真珠をそろえることが必要なネックレスを作るには数年から十数年もかかる。カタリーナがつけているネックレスがどれだけ貴重なものか、想像もできない。

カタリーナは10人の子を産んだあと、30歳という若さでなくなった。その娘の一人がイサベッラ・ディ・サヴォイア(1591−1626)だ。この人はモデナ公にとついだ。つまりイタリアから来たひいおばあさんと…(以下略)。14人の子供を産んだが35歳でなくなった。

3人ともなくなったのはお産のためだった。

イサベッラのいでたちをみてください。彼女はネックレスや髪飾りだけではあきたらず、2連3連の大粒の真珠のロープをからだに巻きつけている。ぜいたくともなんとも、天を恐れぬふるまいだというほかはない。

ビルバオのグッゲンハイムで見たイサベルの肖像画がきっかけとなって私はこれら三代にわたるヴァロア王家の娘たちの真珠狂いをまのあたりにすることになった。

彼女らに限らず、真珠をつけたヨーロッパ上流階級の女性の肖像画は多い。その大部分が16世紀半ば以後のものだ。


「黄金郷」の著者山田さんはのちに「真珠の世界史」(2013)というさらにすばらしい本を世に送ったが、その本によると、 ダイアモンドのようにカットしたりみがいたりしなくても天然の真円で美しいかがやきを持つ真珠は、欧米では最高の宝石だとたたえられていたという。だからこそアラビアやインドでしかとれないと思われていた真珠が南米でざくざく取れると知ったヨーロッパ人の興奮はおさえようがなかったのだろう。その真珠がどのような極悪非道な搾取(さくしゅ)によってこの世にもたらされたのか、そういうことにはおもてをそむけたまま。

その非人間的な真珠採取にとどめをさしたのが日本の養殖真珠だった。日本人は天然真珠にまさるともおとらない美しい真珠を人工的に作り出す術(すべ)を編み出した。ヨーロッパの宝石商は養殖真珠をニセモノだとしておとしめようとしたが、天然とも人工とも見分けがつかない完璧(かんぺき)な真珠を前にしてついにカブトをぬいだ。

大航海時代のスペイン人のようなアコギなことはなかったにしても、20世紀はじめになってまで天然真珠採取は命をまとにした危険な商売だった。日本人がそれを絶滅させた。地場産業に従事する人々の職を奪ったのかもしれないが、他人の虚栄と貪欲のために命を落とす人々を救ったという意味で大規模な人命救助といっていい。現在でもアフリカのある国々ではダイアモンドが政府軍・ゲリラ双方の武器調達の資金源になり、そのために多数の人命が失われているという事情を考え合わせれば、それは明らかだ。

その技術は世界にひろがって、今やタヒチやオーストラリアなどで本家のお株を奪う真珠養殖がされている、という。

そういうことを知ると日本人であることがほんとうに誇らしく思われる。思わぬところで日本は世界に大きな貢献をしているのだ。私がやったことでもないのに、先人の偉業のおかげで肩身が広い。

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