|
|
|
199 |
|
 |
|
お葬式 |
|
2017年8月24日 |
|
|
|
 | 雨宮 和子 [あめみや かずこ]
1947年、東京都生まれ。だが、子どものときからあちこちに移動して、故郷なるものがない。1971年から1年3ヶ月を東南アジアで過ごした後、カリフォルニアに移住し、現在に至る。 |
|
|
 |
|
▲ 我が家でのパーティーで演奏してくれたマリアッチバンド。 |
|
|
|
若い頃、私は式と名の付くものは、入学式も卒業式も結婚式もお葬式もみな嫌いでした。高校生のときは君が代を歌わされることに抗議する気持ちが強くて卒業式に出なかったのですが、もともとは、人生の中で大切な節目を式によって決められた型にはめられる、一定の型を強制されるというのがいやだったのです。
そのことを特に強く感じたのは、大学に在学中に母が亡くなったときでした。 家族といえば私には母しかいなかったので、母は私だけのものという思いでいっぱいでした。学年末試験期間中に母が瀕死の状態になり、試験はほとんど受けられなかったので留年しなければならないと覚悟したのですが、追試験の直前に母が息を引き取り、急遽、全くつながりのなかったお寺に母の遺骨を一時預かってもらって私は追試験を受けに行くことになりました。でも、荷物を預けるようなわけにはいきません。 住職さんにお経をあげてもらって、祖母や伯父伯母たちとお線香をあげるという小さな儀式をしました。本当はそんなことはしたくありませんでした。私一人でひっそりと母の遺骨を抱いていたかったのです。でも、母という人は私の母親であるだけではなく、祖母にとっては娘であり、伯父叔母にとっては妹でもあったし、祖母や伯父伯母は母の入院中に何かと私たちを支えてくれたのですから、いっしょに儀式をするのが正当だと自分に言い聞かせて、しぶしぶと儀式の習慣に従った次第です。
そういう経験があったからでしょうか、自分が死んだら何も儀式はして欲しくない、友人や知人には私のことはさっさと忘れてほしい、なんてずっと思っていました。連れ合いのトーマスと付き合い始めたころ、彼にそう言ったら、「それはダメだよ」と一蹴されてしまいました。友人たちが寄り合って私の思い出を分け合う機会を奪ってはいけないというのです。ふーん、そういう考え方もあるのか、とそのときは彼の言葉を受け止めていました。
それから歳を重ねるにつれ、また他文化のお葬式のあり方や意味を学んだり、アメリカでさまざまな形式のお葬式に出席したりしていくうちに、私の考え方は変わっていきました。例えば、私を娘のように可愛がってくださった日系人老夫婦が2年の間隔を置いて亡くなったとき、そのどちらの告別式にも出席したのですが、そこには宗教色が絡まず、黙祷はあってもお祈りはなく、家族が自由にプログラムを組んだようでした。その場でご家族や友人の方々に続いて私も故人に対する感謝の気持ち述べさせてもらい、また式の後の会食の場でもみなさんと故人の思い出を語り合って、故人と出会いのあった私はなんと幸せなのだろうという思いを噛みしめたものです。そういう思いを確認する機会をお葬式は可能にしてくれたのでした。
メソジスト教会で行われたお葬式にも何度か出ましたが、牧師さん先導のお祈りや賛美歌の合唱があって、一定の型に沿ってはいましたが、堅苦しい雰囲気はなく、型にはまったという感じもなく、式の後、軽食を囲んで参加者のそれぞれと故人の思い出話しをしたり、故人を通してつながりのあった人々と出会いの喜びを分け合って、心の温まる思いをしたものです。
先月、トーマスの昔のビジネスパートナーが亡くなり、お葬式がルーテル教会で行われました。実はルーテル教会の中に入ったのはそれが初めてでした。内部はほとんど装飾がありませんでしたが、建物のデザインや材質や付属品の一つ一つに惜しみない費用がかけてあり、その教会の会衆は富裕階層であるのがよくわかりました。式はそれなりに故人の人柄を尊重する内容で、息子が故人の人生の歩みをユーモアを交えて話しましたが、式全体はなんとも厳かで、牧師さん(女性でした)のお話が長く、その合間に私たちは牧師さんに言われるままに何度も立ったり座ったりして、一斉に聖書にある言葉を読み、賛美歌を歌う、ということを繰り返しました。それでおしまい。
式の後は、家族は埋葬地に向かい、参加者はそのまま帰るのも惜しいかのように、久しぶりに会う人たちと教会の外でちょっと立ち話をしていました。私たちもその何人かと話をして、そのまま帰って来たのですが、なんともあっけないような、寂しいような、味気なさを感じて、帰りの車の中で、私はトーマスに「あなたのお葬式はどうしてほしい?」と聞きました。
彼も私と同じ気持ちでいたようで、「うんと楽しいパーティーであってほしいな」と言いました。 「それならマリアッチバンドも入れて?」 「もちろんだ」 「アッハッハ、それならそうしましょ。あなたのお葬式はそれに決まったわ」
私がマリアッチバンドを持ち出したのは、それより1週間ほど前に、マリアッチバンドを含めたとても楽しいパーティーをやったからです。イギリスとカナダと南部のアトランタから一斉にやって来たトーマスの親類を歓迎するのが目的だったのですが、地元の友人たちも大勢呼び、みんな大喜びで、私たちもとても嬉しかったのです。圧巻は若い男女10人編成のマリアッチバンドで、その楽しい余韻がいつまでも私たちの中にはいっぱい残りました。
もちろん、トーマスにはまだまだ生きていてもらいたいです。だから彼のお葬式はずうっとずうっと先のことであってほしいです。でも、彼のお葬式を想像し始めたら、なんだか楽しくなって来ました。 「うんと楽しくやってくれ」 トーマス自身がそう言うのですから、大いに楽しくやりましょう。
それでは私自身のお葬式は、と言うと、私は楽しいパーティーより、バベットの晩餐会のように、とびっきりおいしい食事を味のわかる人たちに楽しんでもらいたい。私の死後の管財人に指名してあるヘザーに、そう伝えました。これまた、想像しただけでも楽しい気分になって来ます。
|
|
|
|