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ボーダーを越えて
110 ケーキ1切れ
2007年8月20日
雨宮 和子 雨宮 和子 [あめみや かずこ]

1947年、東京都生まれ。だが、子どものときからあちこちに移動して、故郷なるものがない。1971年から1年3ヶ月を東南アジアで過ごした後、カリフォルニアに移住し、現在に至る。ボリビアへの沖縄移民について調べたり書いたりしているが、配偶者のアボカド農園経営も手伝う何でも屋。家族は、配偶者、犬1匹、猫1匹、オウム1羽。
▲ 倒れたクレーン
「シャオツァイイーティアー」という言葉を、いま受けている中国語の個人レッスンで習った。[Xiao (小) cai (菜) yi (一) die (石偏に世と木を組み合わせた漢字) er (「児」の中国簡体字)] 中華料理店で注文した料理ができる前に出て来るピーナツのようなおつまみの小皿のことだが、手早く簡単に食べられることから、転じて、いともたやすくできることを指すのだそうです。(もっとも、台湾系の人にはこの表現は通じなかった。)

日本語でいえば、「お茶の子さいさい」(お茶に添えられたお菓子はすぐ食べられるから)または「朝飯前」(空きっ腹でも手早く簡単にできるから)と同じ意味だ。アルゼンチンのスペイン語では「食べちゃったパン」(pan comida)というそうだが、英語では「ケーキ1切れ」(a piece of cake)という。どの言語でも容易なことを食べ物に引っ掛けて表しているのがおもしろい。

年のせいか、記憶力がひどく衰えている昨今だが、「シャオツァイイーティアー」という言葉はなかなか忘れないだろう。なにしろ間もなくその言葉を頻繁に使うことになったのだから。

それを習った4日前まで、私たちは12日間留守にしていた。帰宅早々、待ってましたとばかりにパームの出荷の催促がやって来た。真夏の移植はパームの負担になるので秋まで待った方がいい勧めたのだけれど、パームを注文したお客さんは私たちの帰国をじりじりしながら待っていたらしい、これ以上は待てないと言って出荷を催促してきた。それでトーマスはクレーンでパームを引き上げる作業を始めたのだが、帰宅後6日目の午後、彼が農園から電話をかけて来た。
「クレーンを横倒しにしちゃった」
えっ、どういうこと?
「クレーンを横倒しにしちゃったんだよ」と、彼は繰り返す。「それでクレーンから落っこちたんだ。急がなくていいから、迎えに来てくれないか」
彼の声も口調も平常だ。でも、迎えに来て欲しいというのはまた足でも痛めたのかしら…そう思って、私はあわてて家を出た。あわてて、というのは彼のことをうんと心配したからではなくて、既に午後3時近くだったからだ。ぐずぐずしていたら交通ラッシュに巻き込まれて、農園まで45分で行けるのが、1時間以上もかかってしまう。

そうして農園に着くと、入り口近くでトラックの座席にトーマスが坐っていて、その脇にパートナーのビルとメキャニックのテッドがに立っている。あれっ?もしかしたら、私の予想以上にトーマスは怪我したのかもしれない…

実はその通りで、トーマスは右の腰を強く打って右脚が動かなくなっていて、1人では歩けなかった。私はクレーンを見に、丘の上の出荷現場へ行ってみたが、四つ足を踏ん張らせたまま横倒しになったようなクレーンの運転席は地上2m以上の高さはある。私だったら咄嗟にハンドルにぶら下がって急落下を避けただろうと思うが、2年前の交通事故以来肩も腕も弱くなっているトーマスにはそれができず、ズシンと落ちてしまったのだ。腰の骨が折れているかもしれない。

ビルとテッドが彼の両脇を支えて私のホンダに乗せてくれた。トーマスはパロマー病院へ行こうと言った。そこは彼が2年前の大事故で連れて行かれた病院で、農園から30分ぐらいの距離にある。たしかに農園から一番近いのだが、私はうちの近くのスクリプス病院の方がいいと言った。農園からだと45分はかかるが、我が家からだと10分ほどだ。2年前に片道40分以上かけて毎日パロマー病院に通ったのだが、それはかなり大変だったから、私にも便利な病院の方がいいし、なにより設備もスタッフもパロマー病院よりずっと良質だ。トーマスもそのことに納得し、まず家に向かった。

トーマスには特に異常な気配はない。たとえ入院ということになっても、たいしたことはないだろう。2年前の大怪我と比べると、こんなのはお茶の子さいさい、いや、ケーキ1切れだ。「シャオツァイイーティアー」というのはこのことだな。怪我をしたトーマスには悪いけど、私は1人でニヤニヤしてしまった。

家に着くと、トーマスを車の中に残したまま、病院内は冷房で寒いだろうからショーツをスラックスに履き替え、どうせすごく待たされるだろうからと読みかけの本と新聞をバッグに詰め、トーマスが鎮静剤が欲しいと言うので飲ませ、それあからスクリプス病院の至急医療科(Urgent Care)へ行った。夕方近くなので、駐車場もすいている。でもトーマスは歩けないし、とても私1人では彼を車から降ろせないので、介護員に車椅子を持って来てもらって助けてもらわなければならない。受付で事情を説明して、誰か来てくださいと頼んだ。ところが受付の若い女性は当惑した顔を見せて、「ちょっと待ってください」と奥に引っ込んだ。と思ったら、また出て来て、ここではそういう患者は動かせないと言う。

どういうこと? 「私1人じゃとても無理なんですよ」と再度言うと、「わかっています。いますぐ係の者が出ますから、表で待っていてください」などと言う。腑に落ちないまま言われた通り外に出ると、係らしい女性が既に表に出ていた。
「ダンナさんは高いところから落ちたんでしょ? そういう人は衝撃(trauma)患者で私たちは扱わないので、別のスクリプス病院の緊急衝撃(Emergency/Trauma)センターへ行かなくちゃいけないんですよ」と、その人はニューヨークあたりの出身らしい訛りで早口に言った。
「あら、知らなかったわ、そんなこと」
「いいの、いいの、ほとんどの人が知らないんだから。もう911を呼んだから、すぐ救急車が来るでしょう」
911というのは、日本の110番にあたる。別の病院といっても、道路がすいていればこの病院から5分で行けるし、我が家からでも高速道路に乗って10分で行ける。

そう緊急でもないのに救急車というのは滑稽な感じがする。でも、どこが傷ついているかわからない患者は専門のところでないと動かせないというのだから、仕方がない。待っている間に、係の人は「万が一のためよ。何が折れているかわかりませんからね」と言ってトーマスの首に、2年前に付けたのと全く同じ固定カラーを付けた。そう言われてもちっとも心配していない自分がおかしかった

救急車を呼んだといっても、身体を固定したまま移送させるためであって、一刻を争うような事態ではないし、命に関わるような怪我でもないし、本人がひどく苦しんでいる訳でもない。私も全然緊張することなく、係の女性とおしゃべりをして救急車の到着を待った。本当にこれはケーキ1切れだ。

そうして衝撃センターに運ばれたトーマスは、すぐレントゲンとCTスキャンで、首は大丈夫だが骨盤骨折で開いてしまい、開腹手術をして金属板で骨盤を留めると決まった。そこまではとんとんと進んだのだが、先に緊急手術があってトーマスは後回しにされ、延々と待たされることになった。それでも彼は強力な鎮静剤を打たれて気分良さそうにリラックスしている。私は読みかけだった本も新聞も読み終えてしまった。

夜の10時過ぎてもいつ手術が始められるかわからないと言われ、担当看護師さんが、手術の始まる時間がわかったら連絡してくれると言うので、私は一旦家に帰ることにした。犬にご飯をやっていないし、散歩にも連れ出していない。トーマスに「またあとでね」と言って、私は家に帰った。その夜に病院から連絡はなかったのだが、私が帰って間もなく、トーマスは手術を受けたことが翌朝わかった。まあ、それでもいいだろう。

4日間の入院中、私は毎日午前と夕方の2度、病院へ行ったが、トーマスは2年前のようなむずかしいことはなく、彼も私も気が楽だった。親類や友人たちにトーマスの怪我を知らせ、「これはケーキ1切れです」と付け加えた。それで私がやせ我慢をしていると思った人もいた。でも、本当にケーキ1切れに思えたのだ。中国語のレッスンでトーマスの怪我を説明して、「これはシャオツァイイーティアーです」と言ったら、それはいい使い方だ、と褒めてもらった。

それにしてもやはり、トーマスの怪我はもうたくさんだ。

(追記)
目下トーマスは歩行器を使ってトボトボ歩いています。骨盤も手術の傷跡もちっとも痛くないそうですが、どこか神経がよじれたような痛みがあるというのです。さて、これからどうなりますか…
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