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77 ワイエス
2007年7月16日
齋藤 恵 齋藤 恵 [さいとう・さとし]

1948年埼玉県生まれ、1970年に大学卒業後、時計メーカーの輸出部門に就職。8年間の勤務の後、宮仕えには向かない自身の性格を認識して、父の経営していた小売店 (創業1912年 = 大正元年)に転身しました。歴史、風土、絵画、言語等に関心が強く、駄文ながら文章を書くことがストレス発散の手段のひとつになっています。ささやかながら、会社を経営するというのはそれなりにたいへんです。ここに書かせていただくことは、そうしたストレスの大いなる発散のためですので、お読みになる方もどうぞお気軽に。

ワイエス


しばらく絵画のことを連続して書いておりますので、この記事もまた絵画についての雑文なのですが、それにしても、標題の「ワイエス」っていったい何? と思った方もおられることでしょう。何かのイニシャルのような、Y.S. のことではありません。アンドリュー・ワイエス (Andrew Wyeth 1917 〜 ) という現代アメリカの画家の名前なのです。

上の画像はどこかでご覧になったことがありませんか? ワイエスの代表作のひとつ「クリスチーナの世界 (Christina’s World 1948 81cm×121.3cm)」で、現在はニューヨークの近代美術館 (Museum of Modern Art, 略して MOMA) に展示されています。

この画家、ワイエスの略歴をちょっと以下にご紹介させていただきます。これはネット上のフリー百科事典、Wikipedia から引用したものです。

『ワイエスは、アメリカン・リアリズムの代表的画家であり、アメリカの国民的画家といえる。日本においてもたびたび展覧会で紹介され、人気が高い。1917年、ペンシルヴァニア州チャッズ・フォードに生まれる。心身ともに虚弱であったワイエスは、ほとんど学校教育を受けず、家庭教師から読み書きを習った。絵の師は著名なグラフィック・アーティストであった父親である。ワイエスは自宅のある、生地チャッズ・フォードと、別荘のあるメーン州クッシングの2つの場所以外にはほとんど旅行もせず、彼の作品はほとんどすべて、この2つの場所の風景と、そこに暮らす人々とがテーマになっている。

代表作「クリスティーナの世界」に登場するクリスティーナは、ワイエスの別荘の近くに住んでいたオルソン家の女性である。生来病弱で孤独に育ったワイエスは、この、ポリオで足が不自由な女性が、何もかも自分の力でやってのける生命力に感動し、出会いの時からその死まで30年に亘ってこの女性を描き続けた。

1963年には大統領自由勲章を、同年に全米芸術賞をそれぞれ受章、受賞されている。』

もともとヨーロッパからの輸入を基礎にしてスタートしたものが多いアメリカの芸術の中で、独自の芸術は何だろうかと考えてみますと、私はまずミュージカルを思い浮かべます。ミュージカルは、一見オペラかオペレッタと似ているようにも思えますが、どうもそうではなく、極めてアメリカ的な芸術と言ってよいように思います。

まず題材がアメリカ人の身近な日常生活から採られているものが多いこと。登場人物もどこにでもいそうな庶民達で、普通の人々が普通に話しているうちに、歌や踊りが始まるというスタイルが多いようですね。オペラは、神話や伝説、あるいは貴族社会など特殊な世界をベースにしてできているものが多いことと比べると、大きな差ですね。

こうした現実への傾斜は、アメリカ絵画でも言えそうです。18世紀の建国以来、アメリカ絵画の主流は、その愛好家とともに圧倒的に写実派であり、本物と見まがうような絵がたくさんあります。それは大胆な前衛的な試みがなされている現代アートにおいてもそう言えそうで、現実そのものを芸術の世界に持ち込んだポップ・アートとか、スーパー・リアリズムという形でその系譜は受け継がれているように思います。

ワイエスは「地方主義」とか「反都市文明」の画家とか言われていますが、この画家の絵画もやはりその流れを汲んでいると私は思います。荒涼とした草原の高い所に農家と納屋らしき建物があります。風雪に色あせてはいますが、がっしりと大地に建っています。女性がひとりで草原に腰を落とし、家に向かって歩こうとしているのか、這って行こうとしているのか、寂しそうな姿が見えます。

孤独感のただよう画面が、広大な自然と闘いながらも助力を求めずに生き抜いてきた植民地時代以来のアメリカ人の質実剛毅な精神を思い起こさせ、アメリカ人の郷愁をそそったのでしょうか。アメリカ東部海岸の最北端、メーン州 (Maine) と、ペンシルヴァニア州だけで芸術活動をしてきた地方画家のアンドリュー・ワイエスは1948年に描いたこの1枚の絵で有名になりました。「アメリカの原風景をとらえている」という評価でした。

冬は凍りつくように寒いニューヨークから、さらに北へ500キロほど行った所に、この絵の舞台はあります。メーン州の海辺の村です。この画に登場している、Ms.クリスチーナ・オルソンは、小児麻痺で足がまったく動かず、弟とふたりでこの寒冷な海辺の村に実在した女性なのです。ワイエスはニューヨークのさらに南のペンシルヴァニア州に住んでいましたが、夏の間は涼しいメーン州に出かけることにしていたのです。

クリスチーナと知り合ったのは、ワイエスが22歳の時で、以来30年間にわたってこの女性を書き続けました。毎夏、絵の中の農家の2階の1室を間借りし、クリスチーナだけでなく、その地の名もない農婦(夫)、漁師等、普通の人々をひたすらに描き続けました。

メーン州はカナダと国境を接していますから、寒いことはもちろんですが、地味が豊かではないようです。氷河による浸食の影響で、湖沼が2500余,川が5000余,海岸線の総延長は5000キロ余り、州面積の8割が原生林、という温帯モンスーン地帯に住んでいる私などには想像もつかないような厳しい地勢です。当然そこに住む人達の気質にも、その厳しさは影響しているはずですね。剛毅、質実、勤勉、自立性、誇り高さ、無口、等々。

州経済の中心は大森林を背景にした製紙産業です。それにブルーベリーの生産とロブスターの水揚げは全米一。ジャガイモは全米3位だそうですね。

クリスチーナは、誇り高い人で、車イスの使用を最後まで拒み、いつもひとりで地を這って、草原のはずれの家族の墓地へお祈りに行っていたのだそうです。画の中の彼女は、墓参りから家に帰る途中だったのでしょう。車イスの使用も拒んでいた彼女が、墓参以外に丘の上の家を離れることは、ほとんどなかったことでしょうから。

「メーンには自然と戦っている人間に固有の、本当の正直さがある。それはこの国から消えつつあるものです」

「初期アメリカの建築は人々に感銘を与える力があった」

「ひとつの国が、源流となった文化を失うのは悲しい」

聞きようによっては偏狭な保守主義に転化されそうなワイエスの言葉です。この画家の心が本当はどこに向かっているのか、私にはまだよく分かりませんが、やはりなにか惹かれるものがありますね、この絵は。

アンドリュー・ワイエスは、1917年7月12日生まれですから、ちょうど今月90歳になったばかりです。現在のこの画家の消息を私は知りませんが、絵を通じてご縁があった者として、ご長寿を願っております。

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