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タイは「微笑の国」? |
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2003年1月6日 |
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 | 吉田 美智枝 [よしだ みちえ]
福岡県生まれ、横浜市に住む。夫の仕事の関係で韓国ソウルとタイのバンコクで過ごした。韓国系の通信社でアシスタント、翻訳、衆議院・参議院で秘書、韓国文化院勤務などを経て現在は気ままな主婦生活を楽しんでいる。著書に『朝鮮王朝の衣装と装身具』(淡交社、共著)『韓国の近代文学』(柏書房、翻訳)などがある。現在、文化交流を目的とした十長生の会を友人たちと運営、活動している。 |
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▲ タイ人の子どもに間違われた姪たち。アパートの玄関のサワディー人形の真似をしてみました。 |
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▲ 道端で卵やちまきなどを売る女性。 |
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「タイはほんとうに微笑みの国だろうか?」 タイに住みはじめた頃、私はこの言葉についてしばしば考えるようになった。 「微笑の国タイ」…ガイドブックでよく見かける言葉である。
旅行者たちは、機内のタイ人スチュワーデスたちから、そしてホテルやレストランの従業員たちから、微笑みをともなった“ワイ(前で手を合わせる)”のあいさつを受け、タイ人の人当たりの良さや物腰のやわらかさに魅了される。私もまた、その1人であった。 ところがタイに住むようになった私がしばらくして身近に接するタイ人たちに抱いた印象は、「暗い目をした、激情の人たち」というものだった。 1996年11月、私は夫の転勤に伴いバンコクに住むことになった。それから7ヶ月後、タイ通貨であるバーツが暴落し、バブルが崩壊した。タイ庶民の暮らしが大変厳しくなったのはいうまでもないが、それよりずっと以前から、彼らの生活は決して楽なものではなかったと想像される。 タイ人というのはもともと、自然の恵みであるマンゴーやバナナや魚を食べて充分に豊かに生きてきた楽天的な人たちである。 一方でタイには、同じタイ人ではあっても、中国やインドから流入し、土地や資本を手にした中国系、インド系タイ人たちがいる。 現代のバンコクという大都会では、現金収入を得てこそ生活が成り立つが、私が想像するに、バンコクに住む庶民の苦しさというのは、お金さえあればなんでも手に入り、溢れるモノに囲まれながら、それらを手に入れられない苦しさなのかもしれない。
消費社会の豊かな果実を享受しているのは、インド系、中国系のタイ人の中で成功を収めた約5%といわれる金持ちたちと、近年日本などから稼ぎに来た企業の外国人たちなのである。いささかこれは図式的すぎる見方かもしれないが・・・。 実際に私が身近に接したタイ人というのは、家のメイドや運転手、アパートの従業員たちだった。彼らの多くはもともとタイに住み着いている肌の浅黒い人たちで、多民族国家といわれるタイの人口の約30%がこれらの人たちだといわれる。
金持ちたちに仕え、常に自らの非力さを認めなければならない悲しみや怒り。私はバンコクで暮らす間に、それらこそが私の目に映った絶望の色をまとった彼らの目であり、感情の激しさなのかもしれないと思うようになった。 しかし、3年ほどのタイ滞在の間に、私のタイ人への印象はまた微妙に変化していったのである。そして、帰国を前に私は、「それでもタイは微笑みの国である」と思うようになった。現実は現実としてあるがままを受け入れる明るい諦念のようなものを、彼らから感じたからである。 タイ人の微笑み・・・それは、ときに自分の体面を大切にするばかり、人の体面を傷つけることを怖れてつい“イエス”といってしまう微笑み、生活水準や価値観の違う人たちを甘受する微笑み、そして見知らぬ旅人を歓迎しもてなす微笑み・・・。 我が家のメイド“ノイさん”はよくいったものだ。 「出世や金儲けなんてどうでもいい。毎日がサヌックで(面白くて)、サバーイ(心地いい)なら・・・」。 誰に仕えようが、他の人たちがどう生きようが自分には関係ない、とでもいうように。 タイ人たちの微笑み…。 それは、自分の状況を受け入れ、アクセクせず少しでも楽しく暮らしていこうとする南国の人々のおおらかさ、強さを象徴しているように思える。
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