1989年創立 個の出会いと交流の場 研究会インフォネット
HOME 研究会インフォネットとは 会員規約 お問い合わせ
会員専用ページ
過去のINFONET REPORT カレンダー 会員連載エッセイ なんでも掲示板
会員紹介 財務報告
会員連載エッセイ
最近の記事 以前の記事
縁の下のバイオリン弾き
58 ブレーキ
2012年10月15日
西村 万里 西村 万里 [にしむら・まさと]

1948年東京生まれ。大学で中国文学を専攻したあと香港に6年半くらし、そのあとはアメリカに住んでいる。2012年に27年間日本語を教えたカリフォルニア大学サンディエゴ校を退職。趣味はアイルランドの民族音楽 (ヴァイオリンをひく)と水彩画を描くこと。妻のリンダと旅行するのが最大のよろこび。
▲ 「曽我物語」のさし絵。菱川師宣画。1663年。
10月9日の東京新聞(電子版)にドイツ南部の観光地ノイシュバンシュタイン城で観光馬車が暴走し、日本人観光客4人を含む8人が重軽傷を負った、との記事がのった。馬が下り坂で暴れだし、壁に激突した。客は馬車から投げ出されたそうだ。

そんなことが起こるなどと思う観光客はまずいないだろう。ノイシュバンシュタイン城はいわゆる「ロマンチック街道」(ローマへ続く道、という意味)の終点で、ドイツ屈指の観光名所だ。

馬車にはシートベルトなんかないからはげしい動揺がおこれば乗客は簡単に投げ出されてしまう。ことに日本人は馬車に乗ったことなどないのがふつうだから、馬車がどんなに危険な乗り物かということがまったくわかっていない。特に下り坂があぶない。

昔から日本には馬車がなかった。馬車が走ったのは明治になってからで、それもやがて汽車や自動車に取って代わられた。

1860年に咸臨丸(かんりんまる)に乗って日本人がはじめてアメリカに行ったとき、馬車を見てもなんだかわからなかった。一行のひとり福沢諭吉は書いている。「ところがこっちはいっさい万事不慣れで、たとえば馬車を見てもはじめてだから実に驚いた。そこに車があって馬がついていれば乗り物だということはわかりそうなものだが、一見したばかりではちょいと考えがつかぬ。ところで戸をあけてはいると馬が駆けだす。なるほどこれは馬のひく車だとはじめて発明する(納得する、という意味)ようなわけ」(「福翁自伝」)。

そのくせ馬に乗る事はサムライだから心得ている。咸臨丸の艦長の木村摂津守(せっつのかみ)が馬を借りて走っているとアメリカ人が驚いて、「日本人が馬に乗る事を知っている」と不思議がった、という。

馬に乗る事を知っている者がなぜ馬車を発明できなかったのだろう。

この疑問が解けたのはつい最近のことだ。

サンディエゴのオールドタウンに馬車のミュージアムがある。古い馬車や荷車がおいてある。それをみると、自動車というものが突然ああいう形をとって出現したのではないことがよくわかる。

昔の自動車、たとえばフォードのモデルTなどを見ると車輪なんか大型で細いスポークがついていて、なるほど馬車の車輪とそんなに違わないんだ、ということが分かる。また、馬車は夜走るときにカンテラをぶら下げている(どれだけ明るくなったものだろう)。それが自動車のヘッドライトの起源だった。

タイヤは19世紀末にならなければ実用化されないが、車体の振動をやわらげるスプリングは馬車の時代から工夫がこらされていた。その一番原始的なものとして、ヨーロッパの王室のものだったと思うが、はばの広い皮のベルトで座席を宙づりにした馬車を見たことがある。

オープン・カーというものがふつうの自動車にくらべてぜいたくで値段の高いものだということは承知していたが、どうしてそうなのか私にはわからなかった。しかし、昔のヨーロッパの貴族はふつうの箱馬車にも乗っていたけれど、ごく小型の屋根なし馬車にも乗っている。つまりそういう実用的でないものを乗り回すのが金がある、ということなのだろう。

そうかとおもうとトラックは昔の荷車の延長なのだということが二つを見比べてみるとよくわかる。荷車には御者のすわるところと荷台しかない。そういう馬車は労働には必需品だった。それが現代のトラックになったのだ。

日本にだって荷馬車があればどんなに労働が楽になったことかはかりしれない。しかし農業に馬を使っていたにもかかわらず馬車はなかった。どうしてだったのだろう。

私が思うにそれはブレーキがなかったからだ。

昔の日本馬は小さくて力がなかったから、とか道が悪くて馬車なんか走らせたら危険だったから、などと説かれることがあるが、同じ悪条件のもとで中国には馬車があった。だから日本だけに馬車がなかったことの理由にはならない。

西部劇を見るとよくわかるのだが、昔の馬車にはブレーキがついていた。それは御者台のわきに取り付けられた長い棒で、それを引くとその先端が車輪にふれてブレーキがかかる。まことに原始的だが原理的には現代の自動車のブレーキと同じなのだ。

これがなければ馬車というものは実現しない。馬にむちを当てて走らせるのだ。うまく彼らを制御して止めることができなければ危険きわまりない。しかし何頭もいる馬を手綱(たづな)だけで止めることはたやすくできることではない。最終的にはブレーキがあってはじめて確実に止めることができる。

また、止めてある馬車にブレーキがなければ馬が勝手に動いてどこかに行ってしまうおそれがある。

特にブレーキが必要なのは下り坂だ。ブレーキがなければ馬車の車体が走る馬にぶつかってしまう。

自動車のブレーキというものはそういう前史があってはじめて考え出された。馬車というものがなければ自動車は成立しなかっただろう。要するに馬というエネルギーを石油に変えただけなのだ。だから何馬力の車というのだ。

日本には平安時代に貴族が乗るものとして牛車(ぎっしゃ)というものがあった。名前のとおり牛にひかせる車だ。着物の柄などにある御所車という模様をご存知の方も多いだろう。

あれには御者台はない。そのかわり、御者が牛のかたわらを歩いて牛の動きをコントロールした。一頭しか使わないのでむちで打って歩かせ、手綱をひきしめて止める。馬と違って手綱は鼻を通してあるから制御しやすい。

どのみち牛がひくものだから人間の歩く速度と変わらないか、あるいはむしろそれより遅い速度で移動するものだった。それに乗るのは貴族の権威を示すのが目的で、スピードなど問題にならなかった。都大路をねり歩くにはそれで十分だったし、坂のあるところなどには行かなかったのだろう。

もっとも記録によると牛の暴走で人間が蹴殺された、などということもまれにはあったらしい。

御者が座っていないのだから、牛車の中はすどおしで、乗るときは後から、降りるときは牛を外したあとで前から、ということがきまっていた。木曾義仲がその事を知らず、後から降りようとしてすってんころりんと転げ落ちたことが平家物語に書いてある。

馬車というものは牛車とは根本的に思想が異なる。馬車の目的はスピーディーな移動である。また荷車としては幅広い荷台が必要で、そこに物資をたくさん乗せたら一頭の馬では力が足りないからいきおい何頭ものひき馬が必要になる。そばをあるいてコントロールするなんてことはできない。当然馬車の上にのって手綱とむちで馬をさばかなければならない。止める時はまず減速してから最終的にブレーキをかける。

馬に乗っている時には馬をとめることは比較的たやすい。しかし馬車の操作にはブレーキが必要だ。日本人はブレーキを発明しなかった。そういう発想がなかった。だから馬車なんか考える事も出来なかったのだ。

秦始皇帝の兵馬俑(へいばよう)を見ると中国ではあの頃(紀元前3世紀はじめ)すでに馬にひかせた戦車があったことがわかる。エジプトやメソポタミヤやギリシャでも戦車があった。世界各地で同じようなものが使われていたのは不思議なようだが、これは馬に兵士が直接乗って戦う騎兵というものがまだなかったからだ。馬具もなく、馬術も未熟だったから、馬に直接乗るより戦車に乗るほうがまだしも安全だった。当然そのころからブレーキはあった。しかしその後、騎兵戦術が発達するにしたがって戦車はすたれた。

つまり馬に乗れなかったから馬車があったのだ。

アメリカ大陸にはもともと馬はいなかった。馬はスペイン人が持ち込んだものだ。メキシコのアステカ文明もペルーのインカ文明も、数十頭の馬に乗り銃を持ったスペイン人の侵略者に滅ぼされた。

しかしアメリカ先住民はすぐに馬をのりこなすようになった。ご存知のようにアメリカ合衆国のインディアンは鞍もあぶみもないはだか馬に乗っていた。ずいぶんたいへんだったことと思う。どうしてそんなことをしなければならなかったのか、中国人やギリシャ人と同じように戦車をつくればよかったではないか、という疑問は当然だと思うけれど、その答えは「彼らには車輪がなかったから」だ。

インカやマヤ、あるいはアステカのように高度に発達した文明が車輪を知らなかった、というのは信じられないようなことだ。車輪がなかったのだからもちろん戦車なんかつくりようがない。しかも、たとえ戦車を発明することができたとしても車輪の軸受けに鉄を使わなければはげしい回転に耐えられずばらばらになってしまったことだろう。アメリカ大陸の文化は鉄の使用を知らなかったから、どのみち戦車はできなかったのだ。

日本では馬に乗る事ができるのは武士階級だけだった。木村摂津守は旗本で毎日馬に乗って登城していた。だからアメリカでも馬に乗る事ができたのだ。

庶民は乗馬を禁じられていた。もし馬車があったとしても、武士が自分で馬車を御(ぎょ)すことは考えられないからそうなると馬にも乗れない階層が御者にならなければならない。日本で馬車ができるはずがない。

牛車は貴族階級のものだとして、江戸時代の日本で乗り物と言えばかごしかなかった。明治になると人力車というものができた。どちらも人間の力が動力だ。馬を使えばあんな重労働を人間にさせることもなかっただろうに、馬が使いこなせなかったばかりにああいう物ができたのだ。

馬を使わなかったから人を使った、というのは交通における人海戦術だ。馬より人間のほうが安上がりで使い捨てにできた。実際、かごかきも人力車夫も長生きができたとは思われない。

人力車は日本の発明だ。だから日本語がそのまま英語になってRickshaw(リックショウ)ということばになっている。

人力車はアジアにひろまった。中国の作家老舎(ろうしゃ)の代表作「駱駝祥子」(ロートシャンツ=らくだのシャンツ、1936年発表)は北京の人力車夫の悲惨な運命を描いた小説だ。

私が住んでいた1970年代の香港にはまだ観光客相手の人力車があった。年寄りの人力車夫が炎天下、観光客をのせてよろよろと走っていた。

人にひかせればブレーキがなくても車を止められる。そういう発想がなかなかなくならない。日本に「過労死」などという言葉があるのはブレーキ(いろいろな意味での)がないばかりに人間を酷使した結果なのではないだろうか。「馬車馬(ばしゃうま)のように働く」という表現もあることだし。

最近の記事 ページトップへ 以前の記事
ボーダーを越えて
雨宮 和子
かくてありけり
沼田 清
葉山日記
中山 俊明
寄り道まわり道
吉田 美智枝
NEW
僕の偏見紀行
時津 寿之
ぴくせる日記
橋場 恵梨香
縁の下のバイオリン弾き
西村 万里
やもめ日記
シーラ・ジョンソン
徒然.... in California
明子・ミーダー
きょう一日を穏やかに
永島 さくら
ガルテン〜私の庭物語
原田 美佳
バックナンバー一覧
144 「外国人」
143 微妙なたわみ
142 黒い雨
141 ベーコン
140 根付
139 プリーズ
138 キャベツあれこれ
137 スピリチュアル
136 柿と卵焼き
135 移動と定住
134 ベジタリアン
133 王女と真珠
132 七人
131 イディオムということ
130 平等
129
128 名誉殺人
127 ラフカディオ・ハーンのこと
126 楽器
125 ビスケット
124 動物
123 アイヌ
122 ヘクター・ザ・ヒーロー
121 レッツ・リヴ・ア・リトル
120 果実の皮
119 コンニャク問答
118 安岡力也の生涯
117 事実は小説より奇なり
116 レイルウェイマン
115 火を起こす
114 ふし穴
113 ジュリー・デューティー
112 目玉焼き
111 歌に歌われる
110 組織
109 人種差別
108 丸い足
107 宗教と女性
106 ディーベンコーン
105 神の味噌汁(みそしる)
104 健さんと平戸
103 バグパイプ考
102 ないです
101 聖地
100 マッカンチーズ
99 再造の恩(2)
98 再造(さいぞう)の恩(1)
97 行水
96 かまわぬ
95 本場もの
94 グーリックさんのこと
93 ケセラセラ
92 日本人の肖像
91 センス・オブ・ワンダー
90 カティ・フラードのこと
89 屋根瓦(やねがわら)
88 一人っ子政策
87 文化の違い
86 干し野菜
85 恐れを知らないギター
84 銀シャリ
83 ターナー
82 デリシャス
81 モハメッド・アリの大勝負
80 ハンマーダルシマー
79 白無常(はくむじょう)
78 アメリカいれずみ事情
77
76 ひつじ
75 ひげにまつわる話
74 ぐちゃぐちゃ
73 宗教の周辺(2)ヘズース
72 宗教の周辺(1)翼と銃
71 となりの芝生
70 ピンピンパンパン
69 帯とバックル
68 レ・ミゼラブル
67 テーブルマナー
66 朝の穀物
65 二人松浦
64 好きこそものの上手なれ
63 パイについて
62 Xのこと
61 琴棋書画(きんきしょが)
60 爪紅(つまべに)
59 絵に描いた餅(もち)
58 ブレーキ
57 シャーロック・ホームズとカレー
56 ポール・マッカートニー
55 野蛮な茶
54 パサディナ
53 複数たち
52 玉米(ぎょくまい)
51 それにつけても
50 はしとさじ
49 ローズバーグ
48 ジャカランダ
47 サンドイッチの話(2)「O.J.シンプソンとハンバーガー」
46 バンジョー
45 ジャージー・リリー
44 工夫
43 かゆのいろいろ
42 ホイットニー・ヒューストンと「ボディガード」
41 イニシャルについて
40 無用の人
39 具眼の士
38 天使も踏むをおそれるところ
37 ビスカイーノ
36 サンドイッチの話(1)「センス・オブ・プロポーション」
35 パトリシア・ハイスミス
34 茶飲み話
33 柴五郎とジョニー・ビーハン
32 戦場のゴムぞうり
31 やきもの
30 記憶としての絵
29 アイリッシュ・ミュージック
28 乳と蜜の流れる土地
27 レディ・ハミルトン
26 Mto.
25 『チャイナタウン」
24 ドライ・ランチ
23 プリンス談義
22 帽子の話(3)「新撰組」
21 アメリカの大学から
20 帽子の話(2)「衣冠を正す」
19 帽子の話(1)「男はつらいよ」
18 マイ・バレンタイン
17 理想
16 ビリー・ザ・キッドの恩赦
15 おらんだ正月
14 シャーベット(下)
13 シャーベット(上)
12 カナダロッキーへの旅―最終回
11 カナダロッキーへの旅―11
10 カナダロッキーへの旅―10
9 カナダロッキーへの旅―9
8 カナダロッキーへの旅―8
7 カナダロッキーへの旅―7
6 カナダロッキーへの旅―6
5 カナダロッキーへの旅―5
4 カナダロッキーへの旅―4
3 カナダロッキーへの旅―3
2 カナダロッキーへの旅―2
1 カナダロッキーへの旅―1
ページトップへ
Copyright(C) FORUM INFONET, All rights reserved. Copyright(C) FORUM INFONET, All rights reserved.
掲載の記事・写真・イラスト等、全てのコンテンツの無断転載・複写を禁じます。
0 7 7 9 1 3 7 1
昨日の訪問者数0 5 8 7 1 本日の現在までの訪問者数0 1 6 3 6