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2004年2月26日 |
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 | 中山 俊明 [なかやま としあき]
1946年4月23日生まれ。東京・大田区で育つが中2のとき、福岡県へ転校。70年春、九州大学を卒業後、共同通信に写真部員として入社。89年秋、異業種交流会「研究会インフォネット」を仲間とともに創設、世話人となる。91年春、共同通信を退社、株式会社インフォネットを設立。神奈川県・葉山町在住。 |
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▲ 4月5日から、毎日新聞ニュースサイトはこう変わる。 |
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26日午後2時の毎日新聞公式ウェブサイトのトップニュースは
●マイクロソフト:独禁法違反で立ち入り検査 OS内特許権巡り 「パソコンの基本ソフト(OS)で世界最大のシェアを持つ米国マイクロソフト社が、OS搭載を望んだ日本のパソコンメーカーに対し、不利な条件で契約を結ばせたとして、公正取引委員会は26日、独占禁止法違反(拘束条件付き取引)の疑いで立ち入り検査に着手した。」
4月5日から「マイクロソフトネットワーク・毎日インタラクティブ」として再登場する毎日新聞サイトでこういう記事がトップに載ることはあるだろうか。たぶんない、だろう。なぜなら新サイトはマイクロソフト社主導のサイトであって、あくまで毎日新聞はコンテンツ(情報の中身)の提供者に過ぎない位置になるからだ。
となるとこのニュースサイトの登場は、これまで大衆が漠然と抱いてきた新聞というメディア全体への信頼性を脅かす要因にならないだろうか(もっとも編集権をどちらが握るのかは報道されていないので現時点ではなんともいえないのだが。おそらく編集権は毎日が握るだろうが、アウンの呼吸で「大家」への「遠慮」が働くであろうことはまちがいない)。
「客観性、中立性と言ったって、商業ベースで運営されるかぎりそんなものは幻想だ、現に新聞自体が広告収入で成り立っているじゃないか」という意見もあるだろう。「今の読者は賢明だから、新聞も数ある情報源のひとつとしてしか捉えていませんよ、あまり神経質になる必要はないんじゃない」という声も聞こえてきそうな気がする。
一般企業やプロバイダーサイトに新聞・通信社のニュースが「切り売り」されるケースは現にある。僕自身が新ニュースサイトに特に注目するのは、マイクロソフトという企業1社と新聞1社ががっちりと組み合わさる点だ。新聞の広告が全紙面同一企業の広告だけで埋め尽くされたら読者はどう思うか。または手にとる新聞の題字下広告が、日々変わらぬ一企業のみ、となったとき、読者はどう考えるか。新聞社に特定一般企業の資本がはいったのと同じことになるのではないか、と危惧するのは僕だけだろうか。
新聞社でいちはやく公式ページをスタートさせたのが毎日新聞だった。その毎日が特定企業と組んで「第2段階」にはいった。毎日では全社的に今回の提携がきっちりと議論されたのだろうか。とにかくやってみる、という毎日の「身のこなしの早い」体質が反映されていて、とても面白いのではあるが、一方、新聞好きの元マスコミ人としては今後の推移がとても気にかかる。
「インターネットは過去の産業革命に匹敵する影響を人類に与える」とはインターネットバブル崩壊前によく聞いた言葉だ。50年後、100年後の人類が現代とインターネットをどう分析し、位置づけてくれるのか、それは渦中に生きるわれわれには分からない。
テレビが登場したとき「これは新聞の脅威だ」という危機感をいだいた人が多くいたという(同時に「こんな電気紙芝居はたいしたメディアにはならない」とバカにしてひともいたらしいが)。しかし新聞はなくならなかった。今度はインターネットの登場が、紙と文字で生きている人々に危機感を与えている。「やがて新聞が消える」というひともいる。
新聞とテレビは共存できた。しかしインターネットと新聞は共存できるのか。これもまた面白いテーマだと思うが、自分が生きている時代になんらかの結論がでるのか。それとも結論が出るのはずっと遠い先のことになるのか。
この数日、日経を読んでいて「コンテンツ(情報の内容)」となっていることにふと気付いた。他紙はおおむね「コンテンツ(情報の中身)」。たしかにコンテンツという言葉の定義はあいまいだが、新聞だけがいつまでも意味不明のカッコ付き訳語にこだわるのはなぜだろう。
僕自身はこのカッコ付きの言葉のなかに「新聞というものが今後影響力が低下しても、いやたとえなくなっても、情報自体(コンテンツ)を発信する者の優位性は揺るぎませんよ」という新聞社のあせりのようなものを感じるのだ。それはおごり、虚勢、またはいい知れぬ不安感、がごちゃ混ぜになったものかもしれない。
ちょっと話はそれるが、先日近所に駐車場を借りようとオーナーをたずねた。こういうご時世だから仕方がないにしても、身元には特に神経質な人物らしい。開口一番「銀行にお勤めではないですよね」と聞かれた。「銀行員なら信用があるのでしょうが、私はやくざなインターネット関連ビジネスでして…」と苦笑せざるをえない。
ところが意外にもオーナーは「じゃ、お貸してもいいですよ」ときた。それから延々「銀行は信用できない」と嫌な思い出を語りはじめた。「銀行員=堅物=信用できる」という社会的通念のようなものがここ10年ですっかり壊れてしまったのを感じた。サービス業のトップに君臨した銀行ブランドも落ちたものである。現代は20世紀型信用ブランド崩壊の時代なのか(続く)
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