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やって来た山火事(9)いとおしい木々 |
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2007年12月10日 |
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 | 雨宮 和子 [あめみや かずこ]
1947年、東京都生まれ。だが、子どものときからあちこちに移動して、故郷なるものがない。1971年から1年3ヶ月を東南アジアで過ごした後、カリフォルニアに移住し、現在に至る。 |
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▲ 爆撃を受けたかのようなパーム園。 |
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▲ 黒焦げになったアボカドの木(前方)とパーム(後方)。 |
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▲ 葉が焼け落ち、焦げたパイナップルのように見えるソテツ。
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10月26日、火事発生から6日目。快晴。私たちは、トーマス同様にドイツからの報道陣に待ちぼうけをくわされたマイク・デイヴィス氏も誘って、農園へ出かけた。私の役目は被害状況の写真を撮ること。
ラモナへ通じる道路は前日の午後7時に封鎖が解除されていたので、避難所から家に戻る車や、馬を載せたトレーラーや、物資を運ぶトラックで混んでいた。それでもだれも苛々せず、どこか明るい気分が漂っているような感じだ。やっと家に帰れるとか仕事が再開できるとかでホッとした気分がみなぎっているのか、それとも待つことから解放された私の胸の中の反映かしら…
でも、ちょっと弾んだ私の気分は、ラモナ湖に面した農園の中に入った途端、吹っ飛んだ。焼けこげたアボカドが地面いっぱいに落ちているし、いつも青々としていたアボカドの林が茶色のまだらになっている。そしてパームは葉がすべて燃え落ち、幹は灰色だったり真っ黒だったり… 前日、この農園の姿を見たときのトーマスにはどんなにショックなことだったろう。「火事の被害は、アボカドもパームも、想像してたよりずっとひどい…」と電話して来たときの彼の声が、彼の性格には不釣り合いなほどに沈んでいたのを思い出す。
が、きょうの彼はもう立ち直って、注文しておいた灌漑用パイプの配達を見届け、労働者にテキパキと仕事を指図している。農園修復が彼の励みになっているようだ。そうしてマイク・デイヴィス氏を案内しながら、彼自身の仕事を進めている。私も自分の役目を果たさなければ。
私は被害状況をイメージで伝えやすいようなアングルを求めて、農園の中を歩いた。辺りはシーンとしている。音のしない農園なんて、奇妙な感じだ。いつもだったらパームの葉がちょっとした風にも大きく揺れて、サワサワと音を立て続けているから。
まずアボカドの写真を撮る。枝からぶら下がっている緑のアボカドも、よく見ると半分黒焦げになっているのが多い。炎で焼けたというより、熱に煽られたのだろう。炎で焼けると全体が茶色に萎んでしまう。それでもまだ枝にしがみついているのがある。それは地面に落ちたものよりもっと無惨に見え、いとおしい。
パームはサイズや種類がいろいろあるので、アボカドよりもっとたくさん写真を撮った。焦げたパームを見ながら、28年前にこの農園を始めたときのことを思い出した。クィーンパーム(Queen palm)という種類が一番多いが、このパームは街路樹としてもよく植えられている。そこでこのパームの種を求め、日曜日ごとにトーマスとサンディエゴの街のあちこちへ出かけて行ったものだ。種は熟して落ちると路上が汚れる。だから落ちる前に市の清掃局が種の房を切り落としてしまう。そうされる前に種を戴いてしまおうというわけだ。あるときは種の房が背の高いトーマスにも届かなくて、私が彼の肩車に乗って叩き落としたこともあった。当時のトーマスはもっと頑丈だったし、私はもっと軽かったのだ。
またあるときは、知人を空港に送り届けた帰りに、滑走路沿いの道路にたくさん植えられたパームの下にオレンジ色のクィーンパームの種がいっぱい落ちているのを見つけ、一人でせっせと拾ったこともある。そのうちお昼休みの時間になって、近くのビルから人が流れ出て来た。それでもお構いなしに種を拾い続ける私に、「その種をどうするの?」とか「食べられるんですか?」とか聞く人が結構いたっけ。
そうやって集めた種が芽を出し、ぐんぐん伸びて大きなパームになったのだ。それが28年後のいま、燃えてしまった。なんだか不思議な気持がする。私はアボカド園の中を歩くのは大好きだったのだが、パームは格別好きではなかった。大きなパームの林の中では、サンディエゴではなくてもっと別世界の熱帯にいるような気がして来て気持よかったが、パームそのものには愛着を感じたことはなかった。パームの種をせっせと拾ったのはトーマスの農園の手助けのためでしかなかったのだ。なのに、いま、こうして黒焦げになってじっと立っているパームを見ていると、いとおしい気持で胸がいっぱいになる。炎が迫っているのを察知しても、木は逃げることができない。ただじっとしているしかない木が、我慢の象徴のように見えてきた。
胸が詰まってきて、歩けなくなった。あれっ?私に似合わず感傷的になっているのかな…と思ったら、そうではなかった。空気が濁っているのだ。木や葉っぱが燃えただけでなく、灌漑用パイプや若い木が1本ずつ植えてあったプラスチックの容器が高熱で溶けたので、農園の中はおかしな匂いがいっぱいだなのだが、実際に空気の中は細かい灰がいっぱいだったのだ。それを吸い込むと肺を痛めるので、きちんとマスクをするようにとテレビで盛んに言っていた。私は甘く見ていてそんな注意を無視していたのだ。「無理はしないできょうはこれで切り上げよう」と私は歩き回るのは中断した。そしてその翌日、今度はきちんとマスクをして、また写真をたくさん撮った。
(追記) マイク・デイヴィス氏はトーマスの農園で考えたことをまとめ、『ロンドン・レヴュー・オブ・ブックス誌』(London Review of Books)11月15日号に掲載しました↓。興味のある方は是非読んでみてください。 http://www.lrb.co.uk/v29/n22/davi06_.html
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