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ビーズな日々の始まり |
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2004年7月10日 |
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 | 吉田 美智枝 [よしだ みちえ]
福岡県生まれ、横浜市に住む。夫の仕事の関係で韓国ソウルとタイのバンコクで過ごした。韓国系の通信社でアシスタント、翻訳、衆議院・参議院で秘書、韓国文化院勤務などを経て現在は気ままな主婦生活を楽しんでいる。著書に『朝鮮王朝の衣装と装身具』(淡交社、共著)『韓国の近代文学』(柏書房)などがある。 |
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▲ ヴィンテージビーズとスワロフスキーのネックレス |
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▲ クリスタルと紐の色をあわせてみた |
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好きなCDをかける、テーブルを窓辺に引っ張っていく。レースのカーテン越しに陽の光を浴びたビーズたちが一気に主張し始める。私の至福の時間だ。
そもそも私がアクセサリーづくりにはまったきっかけは、タイだった。滞在2年目、駐在員の妻として地域でのお役目は一通り終わり、昼食会やショッピング、プール脇での一人の読書にもとうとう飽きてしまった私は、宝石学校に通うことにした。
バンコクは宝石のメッカといわれる。タイ国内だけでなく、周辺の国々からさまざまな宝石が集まってくる。市の中心を東西に流れるチャオプラヤー河岸に立つオリエンタル・ホテル界隈は、100年以上前に日本の商社がタイでのビジネスをはじめたところだそうだ。風情のある古い通りが河に向かって何本も走っていて、布地や金を扱う店に混じって宝石店が軒を並べる。
車を店先に残して、通りをしばらく歩いてみる。枝を張った街路樹が頭上を覆い、容赦ない昼下がりの陽光をさえぎってくれる。映画「ラマン(愛人)」に出てくるインドシナがここにもある。マルグリット・デュラス原作の物語は、ベトナムが舞台だったが、雰囲気は驚くほど似ている。この通りを歩くと私は、白っぽいスーツをまとった中国系青年が、ほこりっぽい路地からふらりと現れそうな気がしたものだ。
その宝石街の混沌とした一角に私の通った宝石学校がある。へこんだ屋根、車の修理工場のような前庭のパーキングエリア、狭い教室、ガタピシした机と椅子…雨がひどく降ると雨漏りで教室は休講になった。お世辞にも立派な学校とはいいがたかった。
この学校はある宝石店の経営で、オーナーは中国系なのだろう。入り口に「福」の赤い飾り文字が逆さに貼られていた。中国系とはいっても何世代も前からタイに住むれっきとしたタイ人…きっと漢字を知らないのだろうと思い、私は今日こそいわなければとそのドアを押すたびにドキドキした。が、とうとう言い出せずにいた。
あとで知ったことだが、「福」を逆さに貼るのは、福を呼ぶための中国のおまじないなのだそうだ。言わなくて正解!自分の思い込みの激しさに気づかされるのはこういう時だ。
学校の近くには、高層ビルのバンコク宝石センターがあり、その中には立派な学校もあった。が、私は小さなこの学校を選んだ。鑑定やビジネスよりも自らデザインする楽しみに興味があったからだ。
こうして、ビーズアクセサリーにつながる日々が始った。
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