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83 マニュエル・ゴドイ (Manuel Godoy)
2007年9月23日
齋藤 恵 齋藤 恵 [さいとう・さとし]

1948年埼玉県生まれ、1970年に大学卒業後、時計メーカーの輸出部門に就職。8年間の勤務の後、宮仕えには向かない自身の性格を認識して、父の経営していた小売店 (創業1912年 = 大正元年)に転身しました。歴史、風土、絵画、言語等に関心が強く、駄文ながら文章を書くことがストレス発散の手段のひとつになっています。ささやかながら、会社を経営するというのはそれなりにたいへんです。ここに書かせていただくことは、そうしたストレスの大いなる発散のためですので、お読みになる方もどうぞお気軽に。

マニュエル・ゴドイ (Manuel Godoy)


上段と中段の2枚の絵はプラド美術館(マドリッド、スペイン)が誇る名画、「裸のマハ (La Maja desnuda)」と、「着衣のマハ (La Maja vestida)」です。 美術史上でもたいへん有名な話題と謎の多い絵で、作者はフランシスコ・ゴヤ (Francisco de Goya 1746 〜 1828) です。

この2枚の絵を見て、今回の記事のタイトル、「マニュエル・ゴドイ」の名前を思いつく方は、ゴヤに関して、かなりマニアックな知識をお持ちの方だと思いますが、このあたりの謎解きはあとにして、まずこの絵を鑑賞してみましょう。まずは裸の方からいくのが自然でしょうね、やはり。

光を浴びて浮き上がる裸身。挑発的で見る者を呪縛するかのような眼差し。横たわる女性のしっかりとした存在感のみが堂々と表現されており、それ以外の余分な要素は何もない絵だと言ってよいと思います。

まったくの私見ですが、美術史上に数限りなくある裸婦の絵の中で、これほどまでに虚飾をはぎ取り、女性の魅力を遠慮なく表現した絵は珍しいのではないかと、私は思います。

この2枚の名画は昔から多くの人々の想像力をかき立ててきました。 「モデルは誰なのか?」 「なぜ同じ女性を同じポーズで2種類描いたのか?」 「着衣のものよりも、裸の方がシーツが乱れているのは何故?」 「カトリックの厳しい戒律の中で、どうしてこんな画を描くことができたのか?」 等々・・・です。まずこの絵のモデルに関してですが、主なものとしては2つの説があります。

ひとつ目は、第13代アルバ侯爵夫人、マリア・デル・ピラール・カィエターナ説。スペイン第1の家柄を誇る貴族のひとり娘で、生まれながらの侯爵だった人です。よほど魅力的な人であったに違いないと思います。「髪の毛の1本さえもが欲情をそそった」と当時の詩人が書いているほどです。

たいへん広大な領地を持ち、マドリッドの御殿から約400Km離れた地中海沿岸の別荘まで、自分の領地以外を通る必要はなかった、と記録されているそうです。

その分、奔放な性格で、宮廷のしきたりも度々無視し、王妃をも見下したので、1802年に40歳で急死した時も、当時の国王カルロス4世の王妃、マリア・ルイサが怒り狂って夫人に毒を盛ったのではないかと噂されたくらいです。

1796年にゴヤは夫人に招かれて、アルバ侯爵家のアンダルシアの別荘に約1年間滞在したこともあり、ゴヤと夫人はよく知る間柄であり、またマハの顔が若き日の夫人によく似ているからというのがこの説の根拠です。

ふたつ目はこの2枚の絵をゴヤに注文した、マニュエル・ゴドイの愛人、ペピータがモデルであったという説。この説を説明するためには、いよいよマニュエル・ゴドイについて説明しなければなりません。

1789年のフランス革命や、ナポレオンの時代にスペインに君臨していたのは、カルロス4世とその王妃、マリア・ルイサです。すでに盛りを過ぎて、頽廃、衰退の時期に入っていた王朝のトップにふさわしく、まさに腐敗と頽廃の権化のような人達でした。

下段の絵は同じくゴヤの作品で、「カルロス4世とその家族」という名画ですが、ここに描かれた王と王妃は、「まるで宝くじに当たったパン屋の夫婦みたいだ」とかつて批評家に評されたように、ゴヤの透徹した感性の前に、そのリーダーとしての資質の貧弱さが実に見事に暴かれています。

こんな絵を見て、怒らなかったのだろうか、と私は気になるのですが、それを見抜く力もなかったということでしょうか?  もっとも、この絵を納めてからは、首席宮廷画家でありながら、王族からの注文はゴヤには来なくなったと言いますから、やはりそれとなくわかったのでしょうね。

ナポレオン軍によって自分の王政に危機が迫っていることも気にも留めず、もっぱら狩りにうつつを抜かしていた国王カルロス4世を尻目に、王妃マリア・ルイサは、まさにしたい放題の乱行ぶりで、マニュエル・ゴドイは、この時王妃に見そめられて愛人になった、若き近衛兵だったのです。

彼は1784年、17歳で近衛騎兵隊に入隊直後に王妃に見そめられて愛人となり、1792年、なんと25歳でスペインの宰相になってしまったのです。以後16年間にわたり、政治の実権を握り、王妃、政略結婚相手、愛人と複雑極まる女性関係の中で、スペイン王朝頽廃のシンボル的な役割を果たした男です。結局、フランス革命からナポレオン時代というヨーロッパの動乱期に、無能な国王と、したい放題の王妃、それに権力欲にとりつかれた王妃の若き愛人という奇妙な「三位一体」が衰退期のスペインのかじ取りをしたわけで、これでは滅びないはずがない、という感想を持ってしまいますね。

実は、このゴドイこそが、2枚のマハの発注者だったのです。異端審問所でカトリックの教義以外の根絶と、わいせつ物の徹底排除を目指していた当時のスペインにおいて、こんな絵の存在は決して公にはできません。万一バレたら、異端審問所による宗教裁判で、厳しい処分を科せられることは明らかでした。

そんな中で、当時の首相ゴドイは、宮廷画家としての名声を極めていたゴヤに「女性の裸を描いてくれないかね」と密かに依頼をしてきたのです。ゴヤほどの名声を持った画家なら断ることもできたはずです。でもその依頼には、お金や力ずくだけではない、芸術家の琴線にふれるところがあったのでしょうか、ゴヤは描いたのです。着飾った上辺だけの美しさではなく、無垢の本当の美を描くために。上の絵が持つ迫力には、そんな事情があったのだと私は思います。バレたら名誉剥奪、失脚や処刑までもの危険がある中で、生命をかけて描いた作品。それがこの絵なのです。

モデルに関しては、私は2番目のゴドイの愛人説をとります。王妃、マリア・ルイサの愛人でもあったゴドイが、王妃が敵視していたアルバ侯爵夫人をモデルにした絵を描かせたとは考えにくいのです。それに私の見る限り、年齢を考慮したにしても、侯爵夫人とマハは、どうしても同一人物とは考えられないのです。(ゴヤは侯爵夫人の絵も何枚も描いています)

この絵の存在が公になったのは、1808年にゴドイが失脚してフランスに逃亡した後に、彼の邸宅からたくさんの絵画が発見され(1000点以上と言われています)、その中にこの絵もあったからなのです。

現在、この3枚はプラド美術館の至宝として展示されています。2枚のマハの方は、97cm×190cm (着衣の方が縦方向が2cm短い)で、カルロス4世の家族の方は、280cm×336cm という大きな画ですから、さぞ見応えがあることと思います。

では、ゴドイの邸宅にあった時はどうだったのでしょうか? 当時の状況を考えたら、たとえ宰相といえども、裸体画を無防備に壁にかけておくというような大胆不敵なことはしなかったであろう、というのが私の推測です。もしかしたら、背中合わせに重ねられた2枚のマハが、細工された壁にはめ込まれ、どんでん返しするような仕掛けになっていたのではないかと考えてしまうのです。絵のサイズを考えたら、掛け替えはたいへんですから、こういう方法が納得がいきます。 いかがでしょうか、こういう推測は?

ともかくこの絵の存在がバレた時、ゴヤはまだスペインで存命中でしたので、結局1815年にゴヤは異端審問所に呼び出されて、宗教裁判にかけられ、このわいせつな絵は、なんの目的で、誰のために描かれたのか追求を受けました。(残念ながらこれに関する記録は残っていないようです) 結局、宮廷筋の手回しもあってか、ゴヤの判決はうやむやになりましたが、そんなこともあったのです、この絵を巡っては。

ところで「マハ (Maja)」 とは、17世紀から18世紀のスペインで流行した庶民階級の若者達の風俗名称で、いわば「おしゃれな遊び人」とでもいった意味があるのだそうです。女性が「マハ」で、男性は「マホ」と呼ばました。

ともかく上の絵は、神話の女神ではない、生き身の女性の脱衣と裸体の示威という近代の裸体画の先駆けになったことはたしかです。マハの目つきは、マネのオランピア(Olympia 1863)に通じるところがありますね。マネのオランピアが描かれたのは、マハから数えて60年以上経ってからのことでした。

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