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コンテンツ(5) |
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2004年3月28日 |
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 | 中山 俊明 [なかやま としあき]
1946年4月23日生まれ。東京・大田区で育つが中2のとき、福岡県へ転校。70年春、九州大学を卒業後、共同通信に写真部員として入社。89年秋、異業種交流会「研究会インフォネット」を仲間とともに創設、世話人となる。91年春、共同通信を退社、株式会社インフォネットを設立。神奈川県・葉山町在住。 |
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週刊文春の出版差し止め事件ではいろいろな識者コメントがでているが、鳥越俊太郎さんのがいちばんおもしろい。
http://www.1101.com/torigoe/2004-03-26.html
(前略)取材の過程で真紀子さんの娘さん側はもっと大変な記事が出ると思い込み「これは何としてでも止めなきゃあ・・・」と異例の出版差し止めと言う強硬手段に出た。ところが実際記事になったのはあまり大したことではなかった。で、あれれれ!!??という感じじゃなかったのかなあ?ちょっと拍子抜けという感じかな?一方週刊文春側も娘さん側が恐れていた記事に関しては裏を取りきれないなど踏み込めないと判断して「固いところ」つまり娘さんの私生活で生じたある問題(もう出てるので言いますが、離婚問題)に関してきっちり事実に限定して書いた。だから、まさかこんな記事で差し止めが飛び出して来るなんて予想もしていなかった。こうした双方の読み違いの結果衝突事故が起きてしまった。だが、事故は重大だ。(後略)
なんとなく、今回の「見出しに著作権なし判決」にも似たような趣きがある。文春を提訴した田中真紀子さんのお嬢さんは、「プライバシー保護」が目的であったのに、もしこんな騒ぎさえなければ「へえ、そう」程度の、一般庶民にしてみればさして関心のない彼らの「離婚」があまねく世間に知れ渡ってしまった。被告「文春」側は売り上げ部数を上げで営業上の損失なし。ただし、判決のもたらす結果は、文春だけにとどまらず、マスコミ全体にとてつもなく重くるしい結果を招いた。
読売サイドには「苦労して作った見出しを断りもなくただで使うとはけしからん。大新聞が裁判を起こせば震えあがって自主規制するだろう」という驕りがあったのではないか。「本気で6800万円もいただく気はないけどさ。ま、一罰百戒、わかってくれればいいのよ」。勝つのがあたりまえ、だれが考えたたって相手の信号無視、事故責任は100%向こうにある、と。ところが提訴だけで怖気づくと思っていたデ社が予想に反して「見出しに創作性はない」と堂々と反論を展開、結果なんとデ社が全面勝利してしまった。これまでは「だいじょうぶかなあ。文句が来ないかな」とはらはらしながら(想像だが)はらはら事業を営んできたデ社は今後堂々と胸を張って営業できる。
いっぽうは思わぬ被告の「出版差し止め」、いっぽうは思わぬ原告の「完全敗訴」と、結果は違うにしても、双方とも「小さな出会い頭事故」で、場合によっては示談、調停ていどで済んだかもしれないのに、結果的には社会全体に大きな影響をおよぼすとんでもない判例をつくるきっかけを提起してしまった、という意味では同じだ。また双方の判決とも主眼の「プライバシー」「著作権」問題はかすんでしまって、判例自体が別の意味をもってひとり歩きする危険を生んだ、という意味でも似ている。
まずいことに読売は、デ社の見出しサービスと、電光掲示板サービスは同価値である、と自ら宣言してしまった。すると新たな電光掲示板向け文字サービス会社が登場し、「各社の見出しを適当に集めて電光掲示板用に文字ニュースを配信します。料金は新聞社の半分です」というような商売を始めることだって考えられる。
こういった新種ビジネスの発生も今後ありうることを考えると、「記事見出しに著作権はない」とする今回の判決は新聞社にとってはかなり大きな衝撃を与えたのではないか、と僕は思うのだが、各紙紙面で大きくとりあげられた形跡がない。そのうち解説記事等で深く突っ込むつもりならよいのだが、もし軽く考えているとしたら、少々感度が鈍いのではないですか、とあえて言いたい。
見出しはふつう記者自身ではなく、提稿された原稿に手を入れる、編集部のいわゆる「デスク」といわれるひとがつける。読者の目をひきつけ、しかも内容を適確に短い文章で表現するのだから、それなりの熟練を要する仕事だ。素人にはできない。もちろんだれが書いても似たような見出しになってしまう場合もあるし、わずか1行の見出しに「うーん」と思わず唸るようなケースもある。だから「見出しに創作性はない」と断言する今回の判決には、僕自身は少々??という部分は残る。
以下は読売の訴状に具体例として提示された、同じ事件に関する新聞社系ウェブサイトの見出しである。
[ホームレスがアベックと口論?銃撃で重傷](ヨミウリ・オンライン) [路上生活者の男性,2人組男女に撃たれ重傷 東京・品川](朝日コム) [殺人未遂:ホームレスの男性撃たれ重傷 東京・大崎](毎日インタラクティブ) [大崎ニューシティで男性撃たれ重傷](産経ウェブ)
これだけ違いがあるものに「創作性はない」とはたして断言できるものかどうか。デ社が運営する「ライントピックス」というサイトのサービスをもう少し詳しく眺めてみよう。
http://linetopics.d-a.co.jp/
デ社のスクロール画面から随時流れる記事見出しをクリックすると、当該記事にジャンプする。その画面というのはあのYAHOO!NEWS。ここには読売や毎日の公式サイトに掲載された記事が転載されている。額はいかほどか分からないが、YAHOO!はこれら新聞に月ぎめの記事使用料=契約料を払っているはずだ。
デ社はYAHOO! NEWSの画面を見ながら適当に見出しを選別し、コピーして自社のサービスサーバーにアップする。そしてデ社のプログラムを組み込んだサイト上にこの見出しが流れる。デ社はYAHOO!に記事使用料を払ってはいない。なぜなら黙っていてもデ社の「ライントピックス」をクリックした読者がそのままYAHOO!NEWSになだれ込んでくる。ニュースを見に来てくれたお客がYAHOO!NEWSの広告をみてくれれば、YAHOO!はそれだけでハッピー、露出度が増せばYAHOO!NEWSの広告掲載料がアップできる。YAHOO!にとって、デ社は強力なお客誘導営業マンの役割を果たしていることになる。だからYAHOO!はデ社に対しては「どうぞどうぞ、どんどんただでお使いください」という立場になる。
となると、読売はなぜYAHOO!の方にこそ文句を言わないのか。またはYAHOO!との契約書に、なぜデ社のようなサービスを禁じる条項を盛りこまなかったのか、ということの方が問題になりそうだ。不思議なことにYAHOO!NEWS上に読売とどうようの記事サービスをしている毎日新聞はデ社に対してクレイムをつけていない。
この連載「コンテンツ(2)」で書いたように、新聞、通信社の公式サイトはほとんど赤字である(日経だけは黒字になったという説があるが)。当たり前の話だ。多額な設備および回線費を使い、広告収入は予期したほど入らない。
大赤字でも続けられるのは、コンテンツ(つまり記事そのもの)の仕入れ費がただだからだ。記事は新聞でいっかい使命を果たしたあとの2次使用。つまり使っても「減るもんじゃない」。それだけにウェブサイト部門は社内の冷たい視線を浴びざるをえない。金食い虫のうえに、苦労して書いた貴重な記事をただで見せるとはなにごとだ、と記者たちから文句がでるのは想像に難くない。これはデスクも同じだろう。苦労してつけた見出しを、わけのわからん会社が、無断でしかもただで使っている、けしからん!読売提訴の背景には、こういった社内一部の突き上げもあったのではないか(これも僕の想像です)。
判決の一部に以下のような記述がある。
「原告自身がインターネット上で無償で公開した情報であり,前記のとおり,著作権法等によって,原告に排他的な権利が認められない以上,第三者がこれらを利用することは,本来自由であるといえる。」
ここで新聞社系ニュースサイトは「なにを目的に運営されているのか」という問題があらためてクローズアップされてくる。新聞社のニュースウェブサイトの目的は営利ではないのだとすると、宣伝広報活動だと考えられる。つまり新聞社名を閲覧者の頭に刷り込むのが目的(文化への貢献活動といってもいい)なのだ、と考えざるをえない。
裁判官に代わってそのホンネをくだけて言うと、こういうことになりはしないか。
「だってあなたち、ただを承知で公開した情報でしょ。つまりなるべくたくさんのひとに見てもらえれば満足なんでしょ。被告は自らの斬新な仕組みを使い、ほんらいならあなたの記事を読まなかったかもしれない読者をご親切にも誘導してくれ、結果的には記事を読んだ読者は、最後に(読売新聞)のクレジットをみる。つまりあなた方が本来目的とする新聞社名の宣伝広報活動に被告は寄与しているのです」。(続く)
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