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ボーダーを越えて
117 やって来た山火事(2)第1日目の夕方
2007年11月11日
雨宮 和子 雨宮 和子 [あめみや かずこ]

1947年、東京都生まれ。だが、子どものときからあちこちに移動して、故郷なるものがない。1971年から1年3ヶ月を東南アジアで過ごした後、カリフォルニアに移住し、現在に至る。ボリビアへの沖縄移民について調べたり書いたりしているが、配偶者のアボカド農園経営も手伝う何でも屋。家族は、配偶者、犬1匹、猫1匹、オウム1羽。
▲ お隣のフランクとシェリーの家。日没1時間半前。
ラモナ市東の農園には労働者用のトレーラーハウスが2つある。1つは出稼ぎ労働者用、もう1つは常住の労働者アントニオと彼の家族のためだ。日曜の午後なので、出稼ぎ労働者は全員のんびりテレビを見ている。トーマスは彼らに、ラモナのすぐ近くでも火事が発生していて、もしかしたらこちらの方に広がって来て避難することになるかもしれないと警告して、テレビをつけて火事の中継放送を見せた。

常住のアントニオの姿が見えない。妻と幼い子ども3人の家族をトレーラーハウスに置いたまま、彼はどこへ行ったのだろう? 「きっと友だちと一緒にどこかで飲んでるんだろう」と、トーマスは言う。このごろのアントニオはビール消費量が増え、仕事にも無責任なことが多くなってきた。そんな彼のことが気になる。トーマスはアントニオの携帯に電話して、火事が広がる危険性があるからすぐ帰って来るように言った。

それからすぐ、トーマスはパームの林の中に止めてあったクレーンをお隣の空き地に移動することにした。新居を建てたばかりのお隣さんのフランクとシェリーの夫婦は、広い敷地の半分以上はまだ空き地のままにしてある所にクレーンやトラックを置いていいと言ってくれたばかりか、何かと助けてくれて、クレーンの移動にも手を貸してくれると言う。

その間、私は親しくしているホセとサンディの夫婦の家へ行ってみることにする。(ホセは2年前のトーマスの大事故のとき、毎日病院に来てくれるほど、親切な人だ。そのことはこのエッセイ欄の「思わぬ道草(18)人は孤島にあらず」に書いた。)彼らは何度電話しても出て来ないし、携帯にも応答しない。遠出をするとは聞いていないけれど、留守なのだろう。火事が迫っているのを彼らは知らないだろうから、念のために彼らの家の周りに水を播いておこう。彼らの家までは片道2kmもないので、犬の運動も兼ねて歩いて行こう。そう思って農園を犬たちを連れて出た。

風が強い。ときには突風で吹き飛ばされそうになる。おまけに空気に煙や灰が混ざっていて、のどが痛くなってくる。車で来ればよかったと思ったくらいだ。ホセたちは案の定留守だった。家の外には水道の蛇口が2カ所にあったが、さて、どうやって家に水をかけたらいいものか、全然わからないことに気が付いた。トーマスによく教えてもらっておけばよかった。家の南側にはプールがあるからいいが、裏側にはホースが届かない。仕方がない、家の前の部分にだけ水を流して、また後で来よう。

帰り道を歩いている途中で携帯電話が鳴った。ホセとサンディだ。ホセがロサンジェルスでハープの演奏をしたので、演奏中は携帯電話を切っていたのだそうだ。これから帰るところで、家に着くのは6時半頃になるだろうと言う。家に水を播こうとしたけれど、どうやったらいいかわからなかったと言うと、ホセは「そんな心配はしなくていいよ」と言う。サンディは「それより、フルートを持ち出してくれない? 写真も持ち出してほしいけど、どこにあるかをどう説明したらいいかわからないわ。どうしよう」と少々動揺しているような声で言う。
「大丈夫。現時点ではそれほど緊急じゃないから、あなたたちが家に着くまでには多分何事もないでしょう」と、私は彼らを落ち着かせた。
「空の様子はどうなってる?」とホセが聞くので、私は立ち止まって空を見上げた。私の立っている地点の北半分は青空だ。南半分はどんどん西に向かって流れる灰色の煙に覆われて、青空のかけらも見えない。私はホセたちに30分おきに状況を知らせると約束して電話を切った。

農園に戻ると、トーマスがトレーラーハウスの中で、火事が広がって来た場合にはどうすべきかについて労働者たちに説明している。もう1つのトレーラーハウスからはアントニオの子どもたちが私を見て、手を振っている。私も手を振り返す。でも、肝心のアントニオの姿が見えない。トーマスが再び彼に、早く帰って来いと電話する。テレビではラモナで馬の避難が始まった情景を映しているけれど、どこまで火事が広がって来て、どっちの方向に向かうのかはわからない。しばらく様子を見るほかない。お隣さんの家に寄って、それからラモナの町で夕食を取ってからまた農園に戻ってくることにした。

フランクとシェリーは私たちを待っていた。彼らの家は、今年の春に完成したばかりだ。外部には一切木を使わず、換気口もなく、床は大理石で、火事が広がって来ても多分燃えないだろう。でも、もし火事が広がって来たら避難するつもりだとシェリーは言う。彼らの巨大なテレビで火事情報を見ても、火事がこっちに来るのか、来るとしたらいつ頃なのかはわからない。来るとしたら、東の山の間の渓谷からだ。風も水と同じで、狭まった所を急速に流れる。私は東側の大きな窓に立って、その渓谷の方を眺めた。いまはいつもと変わらない風景だ。彼らが植えたパームの葉が強風に流されて、ビューン、ビューンと音を出している。
「本当にあそこから火事がやって来るのかしらねぇ」私の隣にやって来たシェリーが呟いた。私も同じことを考えていた。
「来るとしたら、私たち、いやにのんびりしているわね」そう言ってシェリーは笑った。半信半疑なのは誰も同じだ。

それからトーマスと私はお気に入りのメキシコ料理のフィッシュ・タコス(fish tacos)を食べに、ラモナの中心へ出た。既に暗くなった街にはパトカーや消防車が何台も通り、緊張した雰囲気が漂っている。それでもレストランの入りはいつもと変わらない。
「本当に火事がこっちに来るのかしら」
「さぁ…」もちろんトーマスにも確信はない。「来るとしたら夜中過ぎかなぁ」

農園に戻る前にホセとサンディの家に寄って、念のためにできるだけ水を播いておくことにした。彼らの携帯に電話すると、家まであと5分の距離にいると言う。彼らの家に着くと、彼らは私たちより1分早く家に着いたところだった。2人とも緊張して顔がこわばっている。これから荷物をまとめて避難するつもりだと言う。

ホセたちの家の前の道路のちょっと先にもパトカーが止まり、マスクをした警官が交通制限をしている。現時点の住民対策はどうなのか、その警官に聞いてみたら、「この地域の住民はいますぐ避難してください」と言うではないか。労働者たちを避難させなければ…。私たちはすぐ農園に向かった。

農園の入り口に来て、びっくりした。背後の山の渓谷の上空が真っ赤だ。火事がこっちにやって来る!
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