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84 一度は消えた画家
2007年10月9日
齋藤 恵 齋藤 恵 [さいとう・さとし]

1948年埼玉県生まれ、1970年に大学卒業後、時計メーカーの輸出部門に就職。8年間の勤務の後、宮仕えには向かない自身の性格を認識して、父の経営していた小売店 (創業1912年 = 大正元年)に転身しました。歴史、風土、絵画、言語等に関心が強く、駄文ながら文章を書くことがストレス発散の手段のひとつになっています。ささやかながら、会社を経営するというのはそれなりにたいへんです。ここに書かせていただくことは、そうしたストレスの大いなる発散のためですので、お読みになる方もどうぞお気軽に。

















一度は消えた画家


上の絵は「ダイヤのエースを持ったいかさま師 (Cheater with Ace of Diamond)」と名付けられたルーブル美術館蔵の有名な画です。いったい、いつ頃の時代に製作されたものと、あなたはお感じになりますか?

これは17世紀のドイツ30年戦争 (1618 〜 1648) の頃に、その舞台の一部となったロレーヌ地方出身の、ジョルジュ・ド・ラ・トゥール (Georges de La Tour 1593 〜 1652) という画家によって描かれたものです。

宗教改革後のプロテスタントとカトリックの対立の総決算となる30年戦争がドイツで始まり、それがロレーヌ地方に及んでいった頃のことでした。この地方はフランス軍、ドイツ軍、北方の新教徒軍が入り乱れて町を奪い合い、ひとつの町が攻め落とされるたびに、虐殺、略奪、放火の惨禍が渦巻くという惨憺たる状況が続きました。

さらにそれに加えて、ペスト(黒死病)が繰り返し発生したこともあり、いくつかの町は消滅し、17世紀の初めには約100万人ほどもあったロレーヌの人口は、半世紀の間に半減したと伝えられております。

そんな悲惨な時代に画家として活躍したのが、ラ・トゥールなのです。ところが、この画家は17世紀半ばに亡くなると、その記録がことごとく消され、作品も散逸し、完全に忘れ去られてしまいました。突然の復活は1915年のことです。なんと260年以上も美術史の世界からは姿を消し、そして美術史上でもまれにみる、鮮やかな復活劇を演じたのです。

1915年、ドイツの美術史研究者、ヘルマン・フォッスが論文を発表し、フランスの地方美術館にあった作者のはっきりしない3枚の画を1人の画家に結びつけて、「17世紀フランスには、ジョルジュ・ド・ラ・トゥールという画家がいたのだ。オランダにレンブラント、スペインにベラスケスがいたその時代に、フランスにはラ・トゥールという巨匠がいたのだ。」 と結論付けました。そしてそれを機に、この画家が急速に掘り起こされることになりました。

田舎の修道院から、パリの骨董屋から、個人宅の物置から、オランダからスイスから、ぞくぞく作者不明扱いであった彼の作品が発見されました。作者不明でなかった場合でも、18世紀フランスの画家、モーリス・カンタン・ド・ラ・トゥール (Maurice Quentin de La Tour 1704 〜 1788) の作品と見なされていたものもありました。ジョルジュは、それほど完全に忘れられていたのです。

どうしてそんなことになってしまったのか? その謎解きが今回のおしゃべりの主目的です。

彼は1593年ロレーヌ地方の小都市でパン屋の息子として生まれました。日本では豊臣秀吉が全国を統一し、さらに朝鮮半島に文禄の役として出兵した頃 (1592年) の話です。ヨーロッパでは、イギリスがスペインの無敵艦隊を破り (1588年)、世界に進出を始めんとしていた頃ですね。

画家としての修行をどうやったのかは、まったく記録も残っておらず、不明なのですが、画風からは、ほぼ同時代のイタリアの画家、カラバッジオ (Michelangelo Merisi da Caravaggio 1571 〜 1610) の影響が見てとれます。カラバッジオについては、また後日、あらためて書き込ませていただきますね。この人もなかなかの変人で、歴史に残る大画家のうちで、殺人犯として追われたことのある唯一の人です。

まず、上の画像をご覧ください。絵の左側3人の <いかさま師達> が右端のカモをだます算段をしているわけですが、なんとずる賢そうな目つき、顔つきでしょうか。長く続いた戦乱と疫病のために、人々の心がすさんでいたのかもしれません。乱暴さやずるさが生存のための必要条件だった可能性はありますね。

画家として成功したラ・トゥールは、富を蓄え、貴族のような暮らしに入っていきました。事実、彼の息子は、父から画業の手ほどきを受けてはいたのですが、父の死後は画業を完全にやめて、貴族の称号を取り、実際に貴族になってしまいました。そして、父の名を画家として後生に残すことは一切しませんでした。画家は職人であり、貴族の仕事としてはふさわしくないと考えたのでしょうか。この息子が父の記録を故意に消したということも考えられます。

それからもうひとつ、ラ・トゥールが没した頃、フランス文化は大きな転換点を迎えたのです。1661年、太陽王ルイ14世が即位すると、ベルサイユ宮殿に象徴されるような絢爛たる宮廷文化が開花し、優雅に洗練された趣味が主流になっていきました。そうすると、どちらかと言えば骨太の、がっしりした、ラ・トゥールの作品は時代に合わなくなり、見向きもされなくなったのではないか、ということも考えられます。

それから、もうひとつ考えられるのは戦争と疫病です。町々をめぐる戦争と、繰り返し襲うペストによって町は恐慌に陥り、多くの建物とともに作品の多くが燃えてしまったということもあると思います。ラ・トゥールは生涯に300点から500点を描いたであろうというのが現代の美術史の推測です。でもこれまでに判明した作品は、息子、弟子達による模作を含めても70点余り。彼自身の手になる真作となると、その3分の1程度、という意見もあるくらいです。

そして最後の推論は、彼自身の性格です。幸いヨーロッパの多くの都市には公証記録や公文書、洗礼の記録などが残されています。ここからラ・トゥールの誕生、洗礼、結婚、訴訟、死亡等の記録が読み取られてきたのですが、これらから推測できるこの画家は、なかなかに複雑な性格であったようんなのです。

畑を荒らした男を杖で打って大けがをさせた。召使いに豚を盗ませて隠した。貸したお金を手荒く、乱暴に取り立てた、等々、かなり町の人々から恨まれていたようなのです。

こうした記録からは、作品を被う神秘的な静けさとは、かけ離れた、けっこう粗野な性格を読みとることができます。これも現代の尺度では測れない、厳しい時代の影響があったのかもしれません。

こういう時代背景を知って、上の1枚を見ると、ちょっと違って見えてきませんか? これが絵画を見る楽しみのひとつですね。しかし、悪いことをしようとしている人間の目つき、何百年経っても変わらないものですね。

一度は美術史から完全に消えたのに、2世紀半以上も経ってから、見事に生き返った不思議な画家、ジョルジュ・ド・ラ・トゥールについての一席でした。

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