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言葉雑感(2)子年のネズミ |
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2008年1月8日 |
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 | 雨宮 和子 [あめみや かずこ]
1947年、東京都生まれ。だが、子どものときからあちこちに移動して、故郷なるものがない。1971年から1年3ヶ月を東南アジアで過ごした後、カリフォルニアに移住し、現在に至る。 |
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▲ 京都の伏見から来たこのかわいいネズミは、どう見てもratではありません。 |
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日本から帰ってきたばかりの知人が、「京都の伏見で見つけたのよ」と、かわいいネズミをお土産にくれました。今年は子年だから、というわけです。
彼女はアメリカ生まれでアメリカ育ちのアイルランド系アメリカ人ですが、日本社会を専門とする人類学者ですから、日本社会に精通していることはもちろん、日本語に堪能でもあります。 「でも the Year of the Rat なんていやよね」と言う彼女に、私も同感。Ratなんて言わないで、nezumiと言いましょう、と意見が一致しました。
いったい誰が「ネズミ年」を「The Year of the Rat」だなんて訳したのでしょう? 英訳するのなら、「The Year of the Mouse」にしてくれたらよかったのに。もっとも、そういう英訳もあります。が、どういうわけか「The Year of the Rat」の方に多くお目にかかる。
ここまで読んで気付かれたと思いますが、日本語の「ネズミ」は英語のratもmouseも含んでいるのです。つまり、「ネズミ=rat+ mouse」ということです。中国語の「鼠」(shu)も日本語と同様に「rat+mouse」です。逆に言うと、英語には日本語の「ネズミ」や中国語の「鼠」のようにratもmouseも含めた言葉はないのです。(Rodentという言葉がありますが、これはratやmouseだけでなく、もっと広い範囲の動物を含めています。)
他の言語ではどうでしょう? 辞書を引いたり、友人に聞いたりして以下を確認しました。 英語: rat – mouse ドイツ語: Ratte – Maus スペイン語: rata – ratón フランス語: rat – souris という次第で、主要なヨーロッパの言語はratとmouseをはっきり区別していますね。
生物を分類するには上の方から界(kingdom)に始まって、門(phylum)、綱(class)、目(order)、科(family)と下っていきますね。(高校の生物の復習です!)そこまではratとmouseは同じです。その次が属(genus)で、ratはRattusに、mouseはMusに、と分かれます。その次が種(species)で、ratには56種、mouseには41種もあるそうです。そういう種類のすべて、いや、その半分だって知っている人は珍しいでしょう。 Ratとmouseのいちばんはっきりした違いはサイズで、ratは12cm以上だそうです。というと、ドブネズミはratで、かわいいハツカネズミはmouseだな、とわかりますね。(もちろん「ドブネズミ」は俗名で、ちゃんとした種類の名ではありません。)
ヨーロッパでは、中世期にratが黒死病を蔓延させて人口を激減させたという歴史があり、ratは汚くて、残虐で、ずるい、というイメージがまとわりついています。ですから、俗語で「rat」というと、「裏切り者」とか「密告者」とか「非組合員」(そして「ストライキ破り」)などの意味ですし、それが「裏切る」という意味の動詞になります。ちょっと角度を変えてみると、ratは不満の対象になるわけで、漫画「ピーナッツ」の主人公チャーリー・ブラウンは頻繁にギャフンとしたり、がっかりしたりしますけど、そのたびに、”Rats!”とぼやいてしまう。
こんなふうに、ratはどう考えても悪いイメージに包まれているのですから、子年を「The Year of the Rat」なんて訳した人の気が知れません。
でも、ratにもペット用に何世代も飼い馴らされたものがあって、猫のように箱のトイレを使うし、犬のように呼べばやって来るそうですよ。それでもネズミに家の中をウロチョロされるのは、ちょっと… やはりネズミはハツカネズミの檻の中で車をからから回してもらっていた方がいい。おっとっと、ハツカネズミはratではなくて、mouseでしたね。でも、小さくてもmouseも家の中のいろいろなものをかじって被害を起こしますよ。そればかりではありません。野生のmouseはハンタウィールス(hantavirus)というおそろしいウィールスを人間に移したりするのです。
実はこのハンタウィールス、1954年にボリビアのジャングルに入植したばかりの沖縄移民の移住地を襲い、老若男女を問わずアッという間に半数以上の移民を病床に落し込んで翌1955年の4月までに15人が死亡するという悲劇をもたらしたのです。病原は長い間わからなかったのですが、数年前になってやっと、ハンタウィールスが原因だということが判明しました。ハンタウィールスは最初に韓国で発見されたのですが、アメリカにもあり、過去15年間に375人がこのウィールスに感染して死亡しています。そんなおそろしいウィールスが、昨年暮れ、うちの近くにあるトリーパインズ州立自然保護公園(Torrey Pines State Reserve)で野生動物の定期検査のために捕まったネズミ(ratではなくてmouseです!)のうち2匹から発見されました。広い自然公園ですから、そこをハイキングしたくらいでは人間に感染しないそうですが、それでもこわいですね。私はratもmouseも絶対にお断りです。
日本語の「ネズミ」も中国語の「鼠」も「rat+mouse」だということの裏返しは、日本語や中国語には「rat」や「mouse」にピッタリ相当する単語がないということです。ためしに英中辞典を引いてみましたら、「rat」は「大鼠」、「mouse」は「鼠」とありました。でも、敢えて言えばratは「大鼠」だけれど、日常的には「鼠」と呼んでいるだろうと思います。
日本語では1つの言葉でも、英語では種類によって使い分けているものがほかにもあります。すぐ思いつくのが、「ウサギ」(rabbitとhare)と「カメ」(turtleとtortoise)。私たち日本人が「ウサギ」と言って思い浮かべるのはだいたいrabbitで、hareはもっと大型で、耳がとてつもなく大きくて、広々した草原に住んでいます。「カメ」と言えば私たちはウミガメを思い起こしますが、それはturtleで、tortoiseはリクガメです。イソップ物語の「カメとウサギ」は草原でのお話ですから、英語では「The Turtle and the Rabbit」ではなくて、「The Tortoise and the Hare」なのです。
これが家畜となると、日本語は単純なのに、英語はもっと込み入ってきます。これについては次回に。
[追記] いまでは、マウスというとコンピューターのマウスのことを考えますよね。形がネズミ(mouse)によく似ているからそう呼ばれるようになったのは言うまでもありません。英語の「mouse」(動物)の複数形は「mice」だというのはみなさんご存知ですね。それではコンピューターの「mouse」の複数形はどうかというと、完全に決まったわけではないそうですが、だいたい「mouses」に定着しています。
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