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M.ハスケルを探して 1 |
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2004年8月6日 |
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 | 吉田 美智枝 [よしだ みちえ]
福岡県生まれ、横浜市に住む。夫の仕事の関係で韓国ソウルとタイのバンコクで過ごした。韓国系の通信社でアシスタント、翻訳、衆議院・参議院で秘書、韓国文化院勤務などを経て現在は気ままな主婦生活を楽しんでいる。著書に『朝鮮王朝の衣装と装身具』(淡交社、共著)『韓国の近代文学』(柏書房、翻訳)などがある。現在、文化交流を目的とした十長生の会を友人たちと運営、活動している。 |
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▲ ハスケルの色を探して… グリーンばかりのまとめ売りのビーズでつくった。珊瑚色の部分はヴィンテージビーズ、グレーに光る部分は淡水パール。 |
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▲ ビーズをシルバーのスペーサーで挟み、それぞれ金属のピンに通して繋いだ。 |
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−ハスケルとの出会い−
その男性はごく普通のサラリーマンのように見えた。
今年の春先、私は郷里の福岡で、妹の押し花絵展の会場の片隅を借りる形でささやかな展示会を開いた。帰り際、物静かなその男性が口にしたのが「ミリアム・ハスケル」ということばであった。
展示会、作品というにはおこがましいとしかいいようがないが、一応私自身がデザインを考え、手作りしたアクセサリーだけを並べた。男性は時間をかけて1つずつ丹念に見たあと、私のつくったもののなかにハスケルのものと似たものがあるというようなことをいった。
そのことばは、なぜか心にかすかに刺さったまま、名前だけは以前から耳に覚えがあったハスケルという人と作品について、私は詳しく知りたいと思うようになった。
私が手に出来た彼女に関する資料は、「The Jewels of Miriam Haskell」。そして日本では「渡辺マリのミリアム・ハスケルコレクション」。これだけである。インターネットで検索すると、ミリアム・ハスケルデザインのコスチューム・ジュエリーはかなりたくさん世に出回っていることがわかったが、その人となりを知ろうとしても、資料はほとんどないこともわかった。
わずかな資料からわかったことは、彼女がユダヤ系アメリカ人で、24歳の1924年にトウモロコシ畑ひろがるインディアナの片田舎から父親がくれた(多分貸してくれたであろう)500ドルを手にニューヨークに出て、ジュエリービジネスでアメリカン・ドリームを実現させた女性ということ。
そして金髪でもない栗毛の、とりたてて美人でもない、ごく並みの体型の彼女が、多くの男性たち(それも資産家や著名人たち)と浮名を流したこと、しかし本当は同性愛者だったかもしれないという噂…。
華やかな前半の人生とはうらはらに後半はほとんど精神を病み、病院で一人過ごしたということ…。
彼女の人生が謎めいて見えるのは、彼女についての記述が断片的なことと、そこから垣間見える彼女の人生の振幅の大きさのためだろう。彼女は、ただ自分の夢をまっしぐらに走りぬけただけなのかもしれないのに…。
ハスケルジュエリーは、ぶどうなど植物の葉や花、蝶といったどこにでもある自然のモチーフを多く使い、細工は編むよりは、ただ繋ぐか台座にワイヤーで留めたものが多いようだ。
「どこかで見たような…」と感じるのは、意識するしないにかかわらず、彼女の作品に影響を受けたジュエリーが世に多いためかもしれない。
しかしM.ハスケルのジュエリーを見ているとなつかしいようでいて、なぜかいつも新鮮な気持ちになるものばかりである。
そして、彼女が亡くなってまだ20数年しか経っていない。(つづく)
(追記) ヴィンテージビーズとは30〜99年前につくられたビーズをいい、100年以上前のものはアンティークビーズと呼んで区別されている。
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