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85 カラバッジオ (Caravaggio)
2007年10月23日
齋藤 恵 齋藤 恵 [さいとう・さとし]

1948年埼玉県生まれ、1970年に大学卒業後、時計メーカーの輸出部門に就職。8年間の勤務の後、宮仕えには向かない自身の性格を認識して、父の経営していた小売店 (創業1912年 = 大正元年)に転身しました。歴史、風土、絵画、言語等に関心が強く、駄文ながら文章を書くことがストレス発散の手段のひとつになっています。ささやかながら、会社を経営するというのはそれなりにたいへんです。ここに書かせていただくことは、そうしたストレスの大いなる発散のためですので、お読みになる方もどうぞお気軽に。
カラバッジオ (Caravaggio)


地図で見ますと、北イタリアのミラノから東へ約40kmほど行ったところにカラバッジオ (Caravaggio) という名前の町があります。私自身は残念ながら、まだその町に行ったことはないのですが・・・。 そこの町の生まれのこの画家のことは、この直前、84番の記事、「一度は消えた画家」の中で予告させていただきました。この記事は、その画家、ミケランジェロ・メリジ・ダ・カラバッジオ (Michelangelo Merisi da Caravaggio 1571 〜 1610) についてのおしゃべりです。

蛇足ですが、この名前の表示法は、あのレオナルド・ダ・ビンチ (Leonardo da Vinci 1452 〜 1529) つまり、ビンチ村のレオナルドさん、と同じです。つまり、カラバッジオは、本当はカラバッジオ村のミケランジェロ・メリジさんなのです。

この画家は39歳で夭折したのですが、宗教上の人物を極めて身近な庶民の姿として迫真的に描き、それまでの伝統的な絵画技法を大きく変化させた画家として、美術史に燦然と輝く人物です。そして、また歴史に残る大画家の中で、殺人者として追われたことのある唯一の人物でもあるのです。それでは、この人物についてのおしゃべりを始めます。

上の画像はルーブル美術館蔵の彼の作品で「女占い師」です。この絵はカラバッジオが25、6歳の頃の作品で、彼は当時ローマで活躍していました。ジプシーの女性が笑いを浮かべながら若い男性の指から指輪を抜こうとしています。若い男性は気づいているのかいないのか、笑って女性を見ています。若者は指輪を抜かれていると気づきながら、スリルに富んだ恋の行く末を期待しているのではないかと言われている作品です。こうした怪しげな人物のいかさまぶりも、84番の作品と共通するものがあります。

絵画技法的に見ますと、明暗の強調、迫心的写実性を特色とする彼の画法は、「カラバッジオ様式」としてスペイン、オランダにまで強い影響を与えたと言われています。

34歳の時、1606年の5月に彼はローマで知人を刺殺しました。広場で仲間達とテニスに似た球技をしているうち、喧嘩となり、乱闘の末、剣を抜いて相手を刺し殺してしまったのです。芸術上の論争や、政治的な争いからではなく、また金品をめぐる争いでもなく、まったくのはずみで犯してしまった殺人でした。しかも30歳代半ばと、決して若気の至りとは言えない年齢でした。

カラバッジオは、やはり気性は激しかったようです。殺人事件以前の6年間だけでも、彼の起こした種々の事件が13件、ローマ市の公文書に残っているのだそうです。無許可の帯剣、けんか、警官侮辱、名誉毀損、等々。

事件の時、すでに画家としての名声を獲得していた彼は、有力な貴族や高位聖職者達の後援を受けていましたが、さすがに殺人は死刑という法律のあったローマには居られず、逃亡と流浪の旅に出ました。ナポリ → マルタ → シチリア → ナポリ とその旅は続きます。

4年後の1610年、ようやく恩赦の可能性が出てきて、ナポリからローマを目指しますが、途中マラリアに冒されて倒れ、短い生涯を終えるのです。でも殺人事件後も流浪の旅の先々で、教会や有力者からの絵の注文が絶えなかったというのですから、やはりたいした人であったのでしょうね。

流浪の旅先の中で、私がちょっと興味を持ったのはマルタです。シチリア島の南の地中海に位置するこの島は、聖ヨハネ騎士団の根拠地でした。(1798年にナポレオンに降伏するまでは、イスラム勢力と対峙するキリスト教圏の最前線として堅固な要塞を築いて厳しい規律のもとで独自の国家として存在していました。現在は聖ヨハネ騎士団の拠点はローマにあるようです。)

カラバッジオがマルタに渡ったのは、1607年のことです。殺人事件の約1年後です。ここで彼は騎士団に手厚く迎えられ、幹部の肖像画や宗教画を制作し、1年後の1608年7月には騎士の地位を与えられています。

ところが、それからが彼らしいのですが、まもなく投獄され、そしてまた間もなく脱獄してシチリアへ向かったというのです。なぜか? 現在までの研究では、投獄の理由は不明なのだそうですが、ともかく1608年10月には脱獄、無断離島、そして騎士の地位を剥奪されたという記録が残っているというのです。

彼の気性からすると、マルタ島の狭い社会での単調な日常に飽きて、またつまらぬことで争いを起こしたのだろうと推測されますが、不思議なのはその脱獄です。今でも残るマルタ島の中心バレッタの対岸にあるサンタンジェロの要塞の中にある牢獄は、岬の断崖に位置し、かなり強力な手引きがないと、脱出、シチリアへの渡航は不可能なのだそうです。そのうち私も自分の目で確かめてきたいと思っています。

それにしても、なぜこの画家、カラバッジオは、あちこちで、ならず者のように振る舞ったりしたのでしょうか? それがまた彼の作品とどのように関わっていたのでしょうか?

カラバッジオは、あの天文学の革新者、ガリレオ・ガリレイ (1564 〜 1642) とほぼ同時代人なのです。ガリレオがそうであったように、この時代のイタリアには、伝承にとらわれず、自分の目で現実を見直そうとする近代精神に近いものが芽生え始めたのではないか。そんな気がするのです。

カラバッジオの庶民性に基づく迫真性も、外面を美しく装った貴族社会よりも、心をさらけ出す民衆の中にこそ人間の真実があると考えた彼の意志の表現ではなかったのか。ですから、彼自身、市井の現実のまっただなかに生き、伝承と規範を強いる社会の強制に対する苛立ちが強くあり、それが粗野で乱暴な行動として現れたのではないかという気がします。

それにしても、自らがホームタウンと決めたローマへの帰還願望は強かったようです。もし、無事にローマに戻り、法王庁から恩赦を取り付けていたら、その後、どんな画を描いて、どんな人生を送ったかな、とちょっぴり興味があります。

1610年夏、恩赦が近いという知らせを受けて、ナポリを立ち、その途中で病死するのですが、最後の2〜3年の画はとても暗い色調です。ローマへ、ローマへという焦燥感と、なかなか実現しない恩赦への願望と絶望感、そんな気持が表現されているようです。

そういう意味では、上の画「女占い師」は、そうした苦悩をまだ知らない、彼のよき時代の作品に思えます。きっと幸せな1枚なのですね、これは。
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