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言葉雑感(3)ブタ年生まれ |
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2008年1月30日 |
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 | 雨宮 和子 [あめみや かずこ]
1947年、東京都生まれ。だが、子どものときからあちこちに移動して、故郷なるものがない。1971年から1年3ヶ月を東南アジアで過ごした後、カリフォルニアに移住し、現在に至る。 |
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▲ キューバのブタ。涼しい水溜まりの泥の中でしあわせそうにお昼寝。 |
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▲ イギリスのブタも泥んこが好き。 |
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▲ この独特なしっぽがブタのご愛嬌。
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去年は私の年でした。つまり、イノシシ年生まれなのです。若い頃の私は「猪突猛進」という言葉がピッタリで、これはやらねば、と思うとそれに向かって全力で突き進んで行く傾向がありました。そんな私も歳とともにいい加減になってきて、このごろはもう自分に甘くて、猛進する気などまるでありません。(それで連載エッセイも数週間滞ってしまいました。スミマセン。)でも、イノシシも年を取ってくれば、多分そう猛進はしないでしょうから、こんな私でもイノシシには違いないだろうと思います。
ところが、イノシシ年のことを英語ではなんと、the Year of the Pig(ブタ年)だなんていうのです。「ブタ(pig)じゃない、イノシシ(wild boar)よ!」と憤慨したのですが、前回のthe Year of the Ratと同様にその訳が定着しているので、いくら抗議してもダメです。
どうして英語では「イノシシ年」のことを「ブタ年」なんて言うんでしょう? The Year of the Wild Boar と言うべきなのに、と憤然と、中国語の先生に言いましたら、先生曰く、「でも、猪(zhu)はブタ(pig)ですよ」
あっ、本当だ… 中国語のレッスンで、レストランで食事を注文する練習には、当然のことながら猪肉(zhurou)がたくさん登場してきます。猪肉は豚肉のこととわかっていたのに、食べることに関心が集中しているのでしょうね、「猪」はブタのことだとすぐ気が付かなかったのです。我ながら呆れ返ってしまいました。中国語でイノシシのことは「野猪」というそうで、中国では十二支には登場しません。「ブタ年」は正しかったのです。
十二支はもともとは古代中国で考え出された年や時刻を示す数詞だったそうですね。後漢の時期にその観念を一般民衆に浸透させるために、民衆に馴染み深い動物を当てはめたのだとか。龍は想像上の動物ですが、牛、馬、羊、鶏、犬、猪(ブタ)は六畜と言われる中国では大事な家畜です。その中で一番重要なのはブタでしょうね。
ところが、この考えが日本に入ってきた頃には、日本ではすでに仏教が浸透していて、弥生時代に飼育していたブタを食べなくなっていたとか。でもイノシシはいっぱいいたので、「猪」の字をイノシシにあてた、ということのようです。沖縄では中国同様、ずうっとブタを飼育して食べ続けていましたし、薩摩地方でもそうだったようです。
ここでちょっと、十二支に登場する動物たちを英語で何と言っているか見てみましょう。
日本語: 英語: ネズミ(子・鼠) rat, mouse ウシ(丑・牛) ox トラ(寅年・虎) tiger ウサギ(卯・兎) hare タツ(辰・龍) dragon ヘビ(巳・蛇) snake ウマ(午・馬) horse ヒツジ(未・羊) sheep サル(申・猿) monkey トリ(酉・鶏) rooster イヌ(戌・犬) dog イノシシ(亥・猪) pig, boar
前回のエッセイで、子年は英語で「the Year of Rat」が普通だけれど、「the Year of the Mouse」と言われることもあること、またratとmouseは属が違うということをお話ししましたね。同様に、亥年を英語で言うのに、「pig」の代わりに「boar」が使われることもあります。(ただし、頻度は少ない。)この2つの言葉はどちらも「ブタ」の意味なのですが、実はboarは「去勢されていない牡ブタ」のことです。それに対して牝ブタはsowといいますが、特に子どもを産んだことのある牝ブタを指します。こういう細かい言葉の使い分けが生まれたのな、飼育を続けるためには飼い主が繁殖をコントロールすることが大事だからでしょう。英語の十二支を見ていて、家畜を表す言葉にはこういう使い分けがたくさんあることに思い当たりました。
来年は丑年。The Year of the Oxと訳されていますね。Oxは「牛」全般のことですが、「去勢された牡牛」という意味のときもあります。でも、oxは現在の口語ではアメリカでもイギリスでもあまり使われず、せいぜいオックステール(oxtail)のスープかシチューに登場して来るぐらい。「牛」というとすぐ、cowという単語が思い浮かびますね。俗に言う「狂牛病」をMad Cow Disease(正式にはbovine spongiform encephalopathy = BSE) と呼ぶように、cowは牛を代表するような言葉ですが、実は牝牛のことです。もちろん、狂牛病にかかるのは牝牛だけというわけではありません。牝牛でまだ子どもを産んだことのないのはheiferといいます。牡牛は去勢されないまま成熟すると、bull。闘牛はbullfightといいますが、これがcowfightだったら、のどかで意気が揚がりませんね。農場の牡牛が闘争心いっぱいだったら困りますし、bullの肉は硬いでしょうから、子牛(calf)のときに去勢してしまいます。そうして成長した牡牛はsteerになり、最終的にはbeef(牛肉)になってしまう。Oxが「去勢された牡牛」の意味になるのは、去勢されて成熟し、農耕などの労働をさせられる牡牛を指すのだろうと思います。
同様にヒツジは、一般にはsheepですが、去勢されていない牡のヒツジはram、牝はewe、子羊はlamb、とそれぞれ違う単語で呼ばれます。ふと、気が付きました。去勢された牡ヒツジを指す単語がない! ヒツジは去勢しないのでしょうか? イギリスの農園を親から受け継いだ連れ合いに聞いてみると、牡の子羊は生後2週間ぐらいのときに輪ゴムを使って睾丸の成長を止めるそうです。春の始めに生まれたlamb(子羊)は、おいしい若草を食べた母親(ewe)のお乳を一杯飲んでスクスク発育し、夏にはlamb(子羊の肉)になってしまう。そういう運命から免れるのは、特に体格のいい少数だけ。生殖の任務を与えられて、輪ゴムからも逃れ、成熟していくのです。でも、普段はeweからは隔離されて独身男生活をし、eweといっしょになれるのは秋の生殖シーズンだけ。ということは、イギリスやニュージーランドやオーストラリアの草原で群れを成して草を食む羊たちは、みんな牝なのです。(村上春樹はこのことを知っていて『羊をめぐる冒険』を書いたのでしょうか。)
馬は一般に言うとhorseではありますが、細かく言えば以下の通りにもっと複雑。去勢されたかどうかで呼び名が変わるだけでなく、年齢でも違う呼び名になります。競馬のせいでしょうか。 ・foal = 1歳未満の子馬(牡・牝) ・yearling = 1歳以上2歳未満の馬(牡・牝) ・colt = 4歳未満の牡馬 ・filly = 4歳未満の牝馬 ・mare = 4歳以上の牝馬 ・stallion = 4歳以上の去勢されていない牡馬 ・gelding = 去勢された牡馬 日本語ではぶり(鰤)が年齢によって名前が変わるのとちょっと似ていますね。去勢された鰤というのはないけれど…
六畜の残りの鶏と犬ですが、roosterは雄鶏。同じ雄鶏の意味でcockという言葉もあり、闘鶏のことはcockfightといいます。同じ雄鶏でもroosterの方がおとなしい感じがします。農家で「コケコッコー!」と鳴くのはroosterです。雌鳥(鶏に限らず雌の鳥)はhen。イヌは雄も雌もdog(canineという言葉もありますが)。雌犬を指すbitchという言葉は、アメリカでは犬には使われなくなりました。(人間に対して使われるのですが、これについては後日触れます。)
こうして見ると、動物という自然の征服にせっせと努めて来たヨーロッパ人の歴史が感じられるような気がしませんか。そして人間の支配下に置かれてもけなげに生きている家畜たちが、いとおしく感じられてきます。と思うと、私はイノシシ年でなくてブタ年に生まれたというのに文句が無くなってきました。もっとも、同じブタでも体重120kg以上のhogではいやですけど…
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