1989年創立 個の出会いと交流の場 研究会インフォネット
HOME 研究会インフォネットとは 会員規約 お問い合わせ
会員専用ページ
過去のINFONET REPORT カレンダー 会員連載エッセイ なんでも掲示板
会員紹介 財務報告
会員連載エッセイ
最近の記事 以前の記事
縁の下のバイオリン弾き
145 餅(もち)
2018年1月1日
西村 万里 西村 万里 [にしむら・まさと]

1948年東京生まれ。大学で中国文学を専攻したあと香港に6年半くらし、そのあとはアメリカに住んでいる。2012年に27年間日本語を教えたカリフォルニア大学サンディエゴ校を退職。趣味はアイルランドの民族音楽 (ヴァイオリンをひく)と水彩画を描くこと。妻のリンダと旅行するのが最大のよろこび。
▲ 伊勢二見浦の夫婦岩(めおといわ)
まだテレビが我が家に来る前の話だから私は10歳以下だった 。江戸時代の日本の漁船が難破してアメリカの船に助けられる、というドラマをラジオで聞いた。その乗組員たちがアメリカ人に食事をふるまわれて、こういう会話を交わす場面があった。

「ねえ、ねえ、親方。この丸くて、ふわふわしているものは何でしょうねえ」
「さあ、おれにもよくわからねえが、なんでも餅みてえなもんじゃねえか」

ラジオだからその「餅みてえなもの」が見えるわけではない。どうやって聞いている者にそれがパンだとわかったのかよくわからないけれど、この会話に達する前に、それなりの描写があったのだと思う。

このドラマの筋立てはまったくわすれてしまった。覚えているのは上の会話だけである。どうしてそれを覚えているかというと、パンを餅みてえなものと表現したのがあまりに異様だったからだ。

子供の頃の私にとって、餅といえば正月に食べる四角い切り餅だった。関東では切り餅、関西では丸い餅という違いがあった。東京生まれの私は丸い餅なんか見たこともなかった。

そしてパンといえば、四角い食パンで、丸いパンなどはこれまた見たこともなかった。

たとえ丸餅があったとしても、それがパンを理解する助けにはならないと今でも思う。子供の私は、「パンはパンで、餅は餅じゃないか。なんて変なことをいうんだろう」と思った。パンと餅では味も違えば、舌触りも異なる。そして東京ではパンも餅も両方とも四角いものだったのだから、丸くてふわふわしているものを想像のしようもなかった。

ドラマにでてくるパンは今でいうディナーロールだろう。こねたドウ(小麦粉)を手で丸めて焼いたものだ。その作り方をみれば、丸餅と同じだ。だから頭で考えればパン=もちのアイディアはなかなかすぐれている、と見ることができる。

でもパンを餅だと思うことはその当時の私には感覚的にとてもできないことだった。


大人になってから福沢諭吉の「肉食之説」(にくじきのせつ)を読んだ。肉食をひろめるためのパンフレットで、明治3年(1870年)に書かれている。そのなかでバターのことを解説して「蒸餅(むしもち)又は芋の蒸したるものへ附(つ)け平日の食事に用ふ(もちう)」と書いている。

私はこれを読んだ時も異様な感じを持った。餅や芋にバターという取り合わせがやはり納得できなかった。この感じは私だけのものではなくて、ずっとあとになって、「福沢は洋食を知らない当時の民衆に分からせるためにやむなく餅や芋を持ち出してきたのだろう」という意味のことを書いた本を読んだことがある。私もその本の著者も餅はむろんのこと、芋だってサトイモやサツマイモのイメージで、そんな純日本的な食物にバターをつけるなんてありえない、と考えたのだったろう。

しかしよくよく考えてみると、まちがっていたのは私たちのほうだった、と結論づけるほかはない。

諭吉はその10年前、万延元年(1860年)に咸臨丸(かんりんまる)にのってアメリカに行っている。その後ヨーロッパにも行き(1862年)、またふたたびアメリカを訪ねた(1867年)。たいていの日本人よりはずっと早くバターにお目にかかっているのだ。最初の訪問ではワシントンでブキャナン大統領に会見している。そういうおりの招宴で、ロールパンを食べただろう。ベークト・ポテトを食べただろう。その時に、他の招客がやっている通り、見よう見まねでそれらにバターをつけて食べたはずだ。そうしてそのパンや芋に強い印象を受けたにちがいない。

丸いロールはトーストにするわけにはいかない。当時はもちろんトースターなんかなかったから、トーストをつくるには炭火の上に金網をのせて薄切りのパンを焼いた。しかしまるいパンではそれはできない。だから作り置きはしなかった。ドウをまるめてオーブンで焼いたらすぐさま供するのがロールだ。そのために小さく作るのである。

ベークト・ポテトもジャガイモをオーブンにいれて丸焼きにしたものだ。

好奇心が強い諭吉のことだから、スタッフに頼んでキッチンに入れてもらい、オーブンがどういうものか見学したかもしれない。

この「オーブンで焼く」という今ではあたりまえのことを当時の日本語は表現できなかった。オーブンがなかったし、オーブンをつかわなくても同様の効果のある料理法がなかったからだ。

しいていえば「蒸し焼きにする」だっただろう。タイの浜焼きという料理がありますね。 この浜焼きという名称は塩田(えんでん)でタイを蒸し焼きにしたことによる。塩田というのは塩を作るための装置だが、今はもう存在しない。海岸につくった浅い池のことで、ここに海水を引き込んで日光で蒸発させ、濃い塩水を作る。その塩水を大釜で煮たてて塩の結晶をとる。

その熱い塩(120℃になるそうだ)の中にとれたてのタイを埋め込む。海岸でタイを蒸し焼きにするから「浜焼き」だ。オーブンがない日本の料理としてはめずらしい作り方だろう。

そういうふうに「蒸し焼き」ということばがあったから、水分で「蒸す」わけではないオーブンでもこのことばが流用されることになった。

したがって諭吉がパンのことを日本人に説明するために餅と呼んだとしたなら、この「蒸餅」はロールだと解するべきだろう。蒸した芋はもちろんベークト・ポテトだ。

パンにバターをつけるのはだれでもすることだが、私が日本を出るまで知らなかったのがこのベークト・ポテトにバターをつける、ということだ。そのためにサトイモなんぞを連想して誤解してしまったのだ。

餅は焼くもので蒸すものではない。たとえ蒸餅という食べ物が古来日本にあったにしたところで、一般的なたべものとはいえない。バターを日本人に食べさせようと躍起(やっき)になっている福沢諭吉がそんな特殊な食べ物を持ち出すはずはない。これはやはりパンをパンと言えないところから 餅といい 、「オーブンで焼く」と言えないところから「蒸餅」とした、ということだと思う。

明治天皇が宮中ではじめて肉食をして国民に肉食をすすめたのは明治5年のことだ。天皇が模範を示さなければ肉食は普及しなかったのだ。その2年前に「肉食之説」を書いた諭吉は、欧米での バター体験をどのように日本人につたえようかと思い悩んだにちがいない。蒸芋、蒸餅は苦心の末の表現だっただろう。

16世紀のキリスト教の宣教師がローマに報告した文書の中に、日本人の食事のことを描写した文章がある 。「日本人のパンは米なのです」と書いている。要するに主食は米だ、といいたいのだが、主食ということばも概念もない当時、パンと米では大違いなのは重々承知の上で、そう書かざるをえなかったのだ。ほかにどのような書き方があっただろうか。それを読んだ時、私ははじめてパンと餅のたとえに納得がいったのだった。 米の飯をパンと表現するぐらいなら、餅のほうがまだしもパンに近い。その逆もまた真なり、だ。



何年か前に堅焼きせんべいを食べて、歯冠(クラウン)をこわしてしまったことがあった。メキシコの歯医者(料金が安いので私はよくメキシコの歯医者に行くのです)に「何を食べてこんなことになったんだ」ときかれてやむなく「日本のクラッカーを食べたから」と答えた。でもアメリカのふつうのクラッカーはビスケットの一種で固くない。クラッカーがせんべいの訳として適当かどうかもわからないけれど、クラッカーには(固いくるみを)「割るもの」=くるみ割り人形、という意味もあり、それが頭にあったのだろう。

歯まで割ってしまうような強力な「クラッカー」は、しかし、日本のせんべいぐらいじゃないだろうか。

そのせんべいだけど、漢字は「煎餅」と書く。「焼いた餅」という意味だ。つまりせんべいもおかきもあられも、もとは餅なのだ。どうりで歯をこわしてしまったはずだ。乾燥した餅ぐらい固い食べ物もないだろう。それをくだいて小さくして醤油をつけながら焼いたものが欠(か)き餅、すなわちおかきだ。


ビスケットは「2度焼いた(パン)」という意味だ。保存性を高めるために2度あるいはそれ以上焼く。長旅にも耐えるようにと考え出されたものだ。

長旅といえば船の旅におよぶものはない。サンディエゴ港に係留してある「スター・オブ・インディア」号はもともと茶の買い付けに中国まで往復した快速船だけれど、今は海洋博物館になっている。その中に船員用のビスケットが展示してあった。クラッカーのような外見で、見るからに固そうだ。ふつうに貯蔵しておけば何年も持つという。

ビスケットとは呼ばず、「ハードタック」という。タックは「食べ物」という意味の俗語で、要するに「固い食いもの」という意味なのだが、ほかにも呼び方がいろいろあったのだと書いてあった。「犬のビスケット」「鉄板」「歯のやすり」「ウジ虫城」などなど。その中にmolar breaker、つまり「奥歯破り」というのがあって笑ってしまった。ほんとうなのかどうか知らないが、あんまり固いから奥歯が割れてしまった、という思い入れである。私の「堅焼きせんべい」とおんなじではないか。


せんべいはともかく、日本で餅といえばやわらかいものの代表だ。だからこそパンは餅だという連想も生まれたのだ。特に餅菓子はやわらかくなくてはならない。

妻のリンダはもともと「あんこ」が大好きなのだが、最近「おはぎ」を発見してファンになった。私はといえば日本を出てから50年近くおはぎなんて食べたことはなかった。酒飲みだったから、甘いもの、中でもあんこなんか頭からバカにしていた。ところがリンダが買ってきたおはぎを食べてみて、年のせいかなつかしさのあまりか、舌がふるえるような感動を味わった。

私がいかに甘いものに無縁だったかという証拠として、今回インターネットで調べるまで、おはぎとぼたもちが同じものだということを知らなかったことがあげられよう。おはぎは現物を知っていたが、ぼたもちは「棚からぼたもち」という表現を知っているだけで、それがどんなものか知らなかった。説はいろいろあるようだが、おはぎもぼたもちも半つきの餅をあんこでつつんだもので、要するに同じものだったのだ。季節にちなんで春分に牡丹餅(ぼたんもち=ぼたもち)を食べ、秋分にお萩(はぎ)を食べるのだそうだ(って、知らないのは私ぐらいなのかもしれない)。

それだけではない。半つきではなく完成品の餅をあんこでつつむのが「あんころ餅」(あん+ころも+もち)だという知識もなかった。そういえば中学の修学旅行で伊勢の二見浦(ふたみがうら)にいって名物の「赤福」を食べたなあ、とおぼろな記憶をよみがえらせた。あれが日本で甘い餅を食べた最後ではなかっただろうか。

いや、こんな無知の告白をするつもりではなかった。正月に縁があるものを、と思って餅について書き出したのだが、餅菓子については何にも知らない、ということを思い知る結果になった。「餅は餅屋」ということわざはこういう「縁なき衆生(しゅじょう)」には痛切にひびく。
最近の記事 ページトップへ 以前の記事
ボーダーを越えて
雨宮 和子
かくてありけり
沼田 清
葉山日記
中山 俊明
寄り道まわり道
吉田 美智枝
僕の偏見紀行
時津 寿之
ぴくせる日記
橋場 恵梨香
縁の下のバイオリン弾き
西村 万里
やもめ日記
シーラ・ジョンソン
きょう一日を穏やかに
永島 さくら
ガルテン〜私の庭物語
原田 美佳
バックナンバー一覧
153 教会の犯罪
152 ドナル・ホードのこと
151 さしみについて
150 ルピータ
149
148 エマ・ゴンザレス
147
146 書くということ
145 餅(もち)
144 「外国人」
143 微妙なたわみ
142 黒い雨
141 ベーコン
140 根付
139 プリーズ
138 キャベツあれこれ
137 スピリチュアル
136 柿と卵焼き
135 移動と定住
134 ベジタリアン
133 王女と真珠
132 七人
131 イディオムということ
130 平等
129
128 名誉殺人
127 ラフカディオ・ハーンのこと
126 楽器
125 ビスケット
124 動物
123 アイヌ
122 ヘクター・ザ・ヒーロー
121 レッツ・リヴ・ア・リトル
120 果実の皮
119 コンニャク問答
118 安岡力也の生涯
117 事実は小説より奇なり
116 レイルウェイマン
115 火を起こす
114 ふし穴
113 ジュリー・デューティー
112 目玉焼き
111 歌に歌われる
110 組織
109 人種差別
108 丸い足
107 宗教と女性
106 ディーベンコーン
105 神の味噌汁(みそしる)
104 健さんと平戸
103 バグパイプ考
102 ないです
101 聖地
100 マッカンチーズ
99 再造の恩(2)
98 再造(さいぞう)の恩(1)
97 行水
96 かまわぬ
95 本場もの
94 グーリックさんのこと
93 ケセラセラ
92 日本人の肖像
91 センス・オブ・ワンダー
90 カティ・フラードのこと
89 屋根瓦(やねがわら)
88 一人っ子政策
87 文化の違い
86 干し野菜
85 恐れを知らないギター
84 銀シャリ
83 ターナー
82 デリシャス
81 モハメッド・アリの大勝負
80 ハンマーダルシマー
79 白無常(はくむじょう)
78 アメリカいれずみ事情
77
76 ひつじ
75 ひげにまつわる話
74 ぐちゃぐちゃ
73 宗教の周辺(2)ヘズース
72 宗教の周辺(1)翼と銃
71 となりの芝生
70 ピンピンパンパン
69 帯とバックル
68 レ・ミゼラブル
67 テーブルマナー
66 朝の穀物
65 二人松浦
64 好きこそものの上手なれ
63 パイについて
62 Xのこと
61 琴棋書画(きんきしょが)
60 爪紅(つまべに)
59 絵に描いた餅(もち)
58 ブレーキ
57 シャーロック・ホームズとカレー
56 ポール・マッカートニー
55 野蛮な茶
54 パサディナ
53 複数たち
52 玉米(ぎょくまい)
51 それにつけても
50 はしとさじ
49 ローズバーグ
48 ジャカランダ
47 サンドイッチの話(2)「O.J.シンプソンとハンバーガー」
46 バンジョー
45 ジャージー・リリー
44 工夫
43 かゆのいろいろ
42 ホイットニー・ヒューストンと「ボディガード」
41 イニシャルについて
40 無用の人
39 具眼の士
38 天使も踏むをおそれるところ
37 ビスカイーノ
36 サンドイッチの話(1)「センス・オブ・プロポーション」
35 パトリシア・ハイスミス
34 茶飲み話
33 柴五郎とジョニー・ビーハン
32 戦場のゴムぞうり
31 やきもの
30 記憶としての絵
29 アイリッシュ・ミュージック
28 乳と蜜の流れる土地
27 レディ・ハミルトン
26 Mto.
25 『チャイナタウン」
24 ドライ・ランチ
23 プリンス談義
22 帽子の話(3)「新撰組」
21 アメリカの大学から
20 帽子の話(2)「衣冠を正す」
19 帽子の話(1)「男はつらいよ」
18 マイ・バレンタイン
17 理想
16 ビリー・ザ・キッドの恩赦
15 おらんだ正月
14 シャーベット(下)
13 シャーベット(上)
12 カナダロッキーへの旅―最終回
11 カナダロッキーへの旅―11
10 カナダロッキーへの旅―10
9 カナダロッキーへの旅―9
8 カナダロッキーへの旅―8
7 カナダロッキーへの旅―7
6 カナダロッキーへの旅―6
5 カナダロッキーへの旅―5
4 カナダロッキーへの旅―4
3 カナダロッキーへの旅―3
2 カナダロッキーへの旅―2
1 カナダロッキーへの旅―1
ページトップへ
Copyright(C) FORUM INFONET, All rights reserved. Copyright(C) FORUM INFONET, All rights reserved.
掲載の記事・写真・イラスト等、全てのコンテンツの無断転載・複写を禁じます。
0 9 1 1 8 2 5 1
昨日の訪問者数0 4 4 3 5 本日の現在までの訪問者数0 2 0 1 1