1989年創立 個の出会いと交流の場 研究会インフォネット
HOME 研究会インフォネットとは 会員規約 お問い合わせ
会員専用ページ
過去のINFONET REPORT カレンダー 会員連載エッセイ なんでも掲示板
会員紹介 財務報告
会員連載エッセイ
最近の記事 以前の記事
縁の下のバイオリン弾き
136 柿と卵焼き
2017年4月1日
西村 万里 西村 万里 [にしむら・まさと]

1948年東京生まれ。大学で中国文学を専攻したあと香港に6年半くらし、そのあとはアメリカに住んでいる。2012年に27年間日本語を教えたカリフォルニア大学サンディエゴ校を退職。趣味はアイルランドの民族音楽 (ヴァイオリンをひく)と水彩画を描くこと。妻のリンダと旅行するのが最大のよろこび。
▲ 1912年世界周航の途次、サンディエゴに寄港した日本の練習船大成丸。
明治が大正に改元されて一ヶ月後の8月31日撮影。
必要があって、私の家の過去を調べたいと思い、バルボア公園にある歴史博物館を訪ねた。というより、ここの地下にある歴史図書館がお目当てだ。この図書館の名前にある「歴史」という言葉は実は「サンディエゴの歴史」という意味であって、サンディエゴの歴史を調べようと思ったら、まずここを訪ねるのが順当な道筋だ。

我が家はあと5年たらずで築100年を迎える。建築当時の写真がないか探しているのだ。

図書館の司書の女性は我が家の住所を聞き、壁にずらりと並んでいるファイルボックスの中から「ミッションヒルズ」というラベルのある一箱をとりだした。「中に古い写真が入っています。お宅が写っているかどうかわからないけど、まあ調べてごらんなさい」と言ってくれた。

写真は全てA5判ぐらいのおなじ大きさにひきのばされ、それがアルバム風にとじられている。中を開けてみて私は息をのんだ。大量の古い写真がどっと出てきたのだ。

ミッションヒルズというのは我が家のあるあたりの名前だけど、大きい地区ではない。しかもサンディエゴ市の中心部からはかなり離れている。現代ならともかく、20世紀の始めの頃の写真がこんなに残っているとは誰も思わないだろう。それも、人間を写した写真はほとんどなく、たいていは通りの景色だとか、家の写真だ。中には1885年などという古いのもあるが、一番多いのは1910年代から40年代頃までのものだろう。いうまでもなくすべて白黒写真だ。

司書は「写真を探すのには随分手間がかかっているのですよ。個人の収蔵だったものもありますが、新聞社からの寄贈もあります」という。

サンディエゴが正式にアメリカの市になるのは1850年だけど、それから6、70年経つこの写真のころも、人口が多かったとはいえないだろう。その証拠にここに写っている景色をみると郊外の荒れ地に家がぽつんぽつんと建っている、といった感じで、ダウンタウンをのぞけば住宅が密集しているわけではない。

道路にはT型フォードが走っている。ラベルに書いてある撮影地点はもちろん現在も存在しているから、昔の眺めを知るには便利だが、その変容ぶりには驚く。もっと驚くのは20世紀初頭でも道路はほとんど舗装されていることだ。

私が子供のころ、つまり1950年代に名古屋の街並みは大通りは舗装されていたけれど、住宅街の道路に舗装なんかされていなかった。もちろん車の交通もはげしくなかったのだけれど。

町の一区画を全部写したものもあるが、特徴のある家だとそこだけ独立した写真がある。

またまれに家の内部を写したものもあって、上等のソファやピアノのある居間などが写っている。もともとはそのソファーに座っている人を写したのに違いないのに、いまや彼または彼女は添え物で、興味の中心は家の内部のたたずまいにあるわけだ。

丹念に見ていったが私たちの家の写真にはとうとうお目にかかれなかった。我が家はあたりで一番小さい家で、見た目もたいしたことないからカメラマンの興味をひかなかったのだろう。

サンディエゴの全地区についてこのようなファイルが作られていて、だれでも見ることができる。また家々の売買記録も公開されている。江戸切絵図ふうの地図もある。


アメリカは建国してから240年という短い時間しかもっていないから、人々は古いものを集めてそれを「歴史」と呼びたがる。

我々日本人の考える歴史はどんなものでも古代から連綿とつづく時間の堆積をもっている。たとえばどこかの町のお祭りを考えるとして、昭和60年代の写真をしめして「これがこの祭りの歴史だ」とはいわないだろう。むしろ「江戸後期に発生したこの祭りは数ある祭りのなかでは歴史が浅いといえる」などということになるのではないだろうか。

しかしアメリカの場合、そんな悠長なことはいっていられない。「オバマ大統領も参加したパレード」なんてことになればもうれっきとした歴史扱いだ。しかもその240年の大部分は写真が発明された後のことになるから、勢い歴史イコール写真ということになる。たいていの人にとって、目でみることができない歴史は、歴史というより漠然と存在する太古の記憶のようなものだ。

だからサンディエゴの歴史をヴィジュアルにとどめたいという欲望は、我々が考える歴史とはちょっと違うのではないかという印象はいなめない。この偏執狂的に写真を集める情熱は日本人には理解するのがむずかしい。

日本にだってしかるべきところにいけば古い町の写真が残っているだろう。たとえば横浜なんかだと開港時代からの大量の写真が集められ、本に編纂されて出版されている、などと想像できる。出版されていないまでも、全国の市町村でこのような写真を集める努力はされているはずだと推察する。また写真はともなわないかもしれないが、売買契約の記録などは残っているだろう。

でもなんのへんてつもない、つまりふつう我々が考える「歴史的価値」のない家々の写真がいくら残っていても、そのいちいちの家について、何年に建てられ、番地は何番だった、持ち主は最初はだれで次はだれだった、そのオリジナルの外見はこのようだったけれど、改築されてこのように変わった、などと詳しく紹介することはないだろうと思う。そもそもそんなことをして何になる、という声が聞こえそうだ。

しかしサンディエゴ市としては、建築当時の様子を知りたい、などという私のような変人が来ることを予期して、市民の要望にこたえるべく万全の準備をしているのだ。それが彼らの考える歴史なのだ。


私は昨年の秋に日本に帰った時のことを思い出してしまった。私は東京の三鷹市で生まれた。病院ではなく、自分の家だった。その家で7歳まで暮らした。その頃の記憶はあまりないけれど、駅から我が家までの道筋や家のまわりのありさまは漠然とおぼえている。当時この家には水道がなく、母は井戸水で洗濯をしていた。

大学生の時に一度見に行ったが、その時にはそれほど変わっているようには見えなかった。

今度妻のリンダと一緒に日本に帰って、突然三鷹をたずねたいと思った。日本のすべての市町村とおなじく、市街は激変しているだろう。自分が生まれた場所が見つかるかどうか、こころもとなかったが、ともかく電車に乗った。新しいりっぱな駅をでてみると、大通りは昔と同じ位置にあった。それで歩いてこのあたり、というところまで行ったのだけれど、なにひとつ見覚えのあるものがない。

どこだったかなあ、と思いあぐんでいる私の目に一軒の家が目に入った。そこには大きな柿の木が生えていた。それを見て、突然ある記憶が頭の中によみがえった。私の家は借家だったが、大家さんはとなりのうちで、その家には柿の木があったのだ。

柿の木には実がたわわになった枝が垣根をこえて我が家の屋根近くまで伸びていた。私はいくつぐらいだったのだろう、2歳下の弟とぐるになってその柿の実をとることを思いついた。要するに盗もうと思ったのだけど、それが盗みだという意識は私にはなかった。幼児だった弟はもちろんである。屋根にのぼれば柿はすぐ手の届くところにある。だからとろう、ということだった。

我々はひんぱんに屋根にのぼっていたらしい。どこをどうやってのぼったのか、苦もなく屋根の上に出て、柿をとろうとした瞬間に下からやさしい母の声がきこえた。「まっちゃん、何やってんの?」というすこし間延(まの)びした声だった。私たちは勇んで「柿をとってるんだよ!」と答えたが、母は「そう、でもあぶないからおりてちょうだい」という。我々は母のいうことにはさからえない年代だったから、「はーい」と返事をして猿のようにおりてきた。

母は近所の人(たぶん大家さん)からきいて急いで外に出てみると兄弟二人が軒端(のきば)にしゃがんでいる。ここで大声を出しては逆にあぶないとおもって、しいて間延びした声を出したとあとで言っていた。その時の母のショックが思いやられる。

その柿の木がこれかもしれない、と思った。でもその時から60年以上たっている。当時だって大木だったのだ。あの柿の木がそんなに長生きするものだろうか。

私は家の番地を覚えていなかったので、4歳上の兄に電話した。兄はたちどころに番地を教えてくれた。それは私たちの立っている場所だった。しかも兄は大家さんの名前を覚えていた。柿の木の生えている家の表札を見ると、なんとその大家さんの名前だった。つまりあの大家さんの家族は、代が変わっても同じところに住んでいたのだ。

建て替えられて見も知らないとなりの家が、すなわち私の生まれたところだった。私はぼうぜんとした。60年たって、生地にもどったのだ。これこそ還暦(生れた暦の年に還る)ではないか。リンダは話の一部始終をきいてふきだした。「屋根にのぼって柿をとろうなんて、昔から悪知恵が働いたのね」


私とリンダはそこから禅林寺にむけて歩き出した。禅林寺は森鴎外と太宰治の墓があることで有名なお寺だ。

その道すがら、昔かよった幼稚園のそばを通った。

「この幼稚園ではね、昔ヤギを飼っていたんだ」
「へえ、どうして?」
「乳をしぼって園児に飲ませていた。戦争直後だったからね」
「なるほど」
「だからヤギには恩があるといっていいんだけど、実は僕はそのヤギに恨みがある」
「恨みって?」
「弁当を食べられた」
「おやまあ」
「ある日先生が『今日は天気がいいからおそとでごはんをたべましょう』といったんだ。僕は合図があり次第、一番に飛び出すつもりでお母さんの作ってくれた弁当を持って待っていた。先生が『さあ、みなさん』というと同時に教室から飛び出した。ところが出たとたん、松の根にけつまづいて、ひっくりかえってしまった。痛さで目をつぶっていたんだけど、ようやく目を開けるとヤギが僕のすぐそばまで来ていて、その大写しになった顔が弁当箱から飛び出した卵焼きをもぐもぐ食べている。あの時ぐらい悲しかったことはない。僕は大声で泣き出した」
「かわいそうに」
「先生が同情してアンパンを買ってくださったんだけど、僕にはその味さえろくにわからなかった。卵焼きのおいしそうな黄色い色が今でもまぶたの裏に残っている」


現在ではインターネットで世界のどの地点でも、地図はおろか、360度回転するあたりの風景にいたるまで目にすることができる。インドで家族とはぐれ、オーストラリアに養子にいった子供が、成人ののちネットで生まれ故郷の母を探し出す、という実話を基とした映画さえできている(「Lion/ライオン〜25年目のただいま〜」)。

でもそのインターネットのマップも過去の映像を差し出すことはできない。私だって兄が番地をおぼえていなければ、また大家さんが同じところに住んでいなければ、自分が生まれたところを確定することはできなかったにちがいない。

そう考えると、サンディエゴの歴史図書館の意義も理解できる。ファイルの写真には小学校も写っている。古ぼけた校舎にすべり台のある校庭だ。昔通った幼稚園と同じようなイメージだ。私にはヤギが弁当を食べているそばで寝っ転がって泣いているおさない自分が見えるような気がした。



最近の記事 ページトップへ 以前の記事
ボーダーを越えて
雨宮 和子
かくてありけり
沼田 清
葉山日記
中山 俊明
寄り道まわり道
吉田 美智枝
NEW
僕の偏見紀行
時津 寿之
ぴくせる日記
橋場 恵梨香
縁の下のバイオリン弾き
西村 万里
やもめ日記
シーラ・ジョンソン
徒然.... in California
明子・ミーダー
きょう一日を穏やかに
永島 さくら
ガルテン〜私の庭物語
原田 美佳
バックナンバー一覧
144 「外国人」
143 微妙なたわみ
142 黒い雨
141 ベーコン
140 根付
139 プリーズ
138 キャベツあれこれ
137 スピリチュアル
136 柿と卵焼き
135 移動と定住
134 ベジタリアン
133 王女と真珠
132 七人
131 イディオムということ
130 平等
129
128 名誉殺人
127 ラフカディオ・ハーンのこと
126 楽器
125 ビスケット
124 動物
123 アイヌ
122 ヘクター・ザ・ヒーロー
121 レッツ・リヴ・ア・リトル
120 果実の皮
119 コンニャク問答
118 安岡力也の生涯
117 事実は小説より奇なり
116 レイルウェイマン
115 火を起こす
114 ふし穴
113 ジュリー・デューティー
112 目玉焼き
111 歌に歌われる
110 組織
109 人種差別
108 丸い足
107 宗教と女性
106 ディーベンコーン
105 神の味噌汁(みそしる)
104 健さんと平戸
103 バグパイプ考
102 ないです
101 聖地
100 マッカンチーズ
99 再造の恩(2)
98 再造(さいぞう)の恩(1)
97 行水
96 かまわぬ
95 本場もの
94 グーリックさんのこと
93 ケセラセラ
92 日本人の肖像
91 センス・オブ・ワンダー
90 カティ・フラードのこと
89 屋根瓦(やねがわら)
88 一人っ子政策
87 文化の違い
86 干し野菜
85 恐れを知らないギター
84 銀シャリ
83 ターナー
82 デリシャス
81 モハメッド・アリの大勝負
80 ハンマーダルシマー
79 白無常(はくむじょう)
78 アメリカいれずみ事情
77
76 ひつじ
75 ひげにまつわる話
74 ぐちゃぐちゃ
73 宗教の周辺(2)ヘズース
72 宗教の周辺(1)翼と銃
71 となりの芝生
70 ピンピンパンパン
69 帯とバックル
68 レ・ミゼラブル
67 テーブルマナー
66 朝の穀物
65 二人松浦
64 好きこそものの上手なれ
63 パイについて
62 Xのこと
61 琴棋書画(きんきしょが)
60 爪紅(つまべに)
59 絵に描いた餅(もち)
58 ブレーキ
57 シャーロック・ホームズとカレー
56 ポール・マッカートニー
55 野蛮な茶
54 パサディナ
53 複数たち
52 玉米(ぎょくまい)
51 それにつけても
50 はしとさじ
49 ローズバーグ
48 ジャカランダ
47 サンドイッチの話(2)「O.J.シンプソンとハンバーガー」
46 バンジョー
45 ジャージー・リリー
44 工夫
43 かゆのいろいろ
42 ホイットニー・ヒューストンと「ボディガード」
41 イニシャルについて
40 無用の人
39 具眼の士
38 天使も踏むをおそれるところ
37 ビスカイーノ
36 サンドイッチの話(1)「センス・オブ・プロポーション」
35 パトリシア・ハイスミス
34 茶飲み話
33 柴五郎とジョニー・ビーハン
32 戦場のゴムぞうり
31 やきもの
30 記憶としての絵
29 アイリッシュ・ミュージック
28 乳と蜜の流れる土地
27 レディ・ハミルトン
26 Mto.
25 『チャイナタウン」
24 ドライ・ランチ
23 プリンス談義
22 帽子の話(3)「新撰組」
21 アメリカの大学から
20 帽子の話(2)「衣冠を正す」
19 帽子の話(1)「男はつらいよ」
18 マイ・バレンタイン
17 理想
16 ビリー・ザ・キッドの恩赦
15 おらんだ正月
14 シャーベット(下)
13 シャーベット(上)
12 カナダロッキーへの旅―最終回
11 カナダロッキーへの旅―11
10 カナダロッキーへの旅―10
9 カナダロッキーへの旅―9
8 カナダロッキーへの旅―8
7 カナダロッキーへの旅―7
6 カナダロッキーへの旅―6
5 カナダロッキーへの旅―5
4 カナダロッキーへの旅―4
3 カナダロッキーへの旅―3
2 カナダロッキーへの旅―2
1 カナダロッキーへの旅―1
ページトップへ
Copyright(C) FORUM INFONET, All rights reserved. Copyright(C) FORUM INFONET, All rights reserved.
掲載の記事・写真・イラスト等、全てのコンテンツの無断転載・複写を禁じます。
0 7 7 9 1 4 7 1
昨日の訪問者数0 5 8 7 1 本日の現在までの訪問者数0 1 7 3 6