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韓国文化院 開院40周年 |
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2019年5月10日 |
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 | 原田 美佳 [はらだ みか]
東京都出身。学生時代から長年関わった韓国文化院を2015年末に退職。現在は、日本ガルテン協会の広報部長の仕事をしながら、これまで関わってきた韓国文化を日本に紹介するための著作、交流活動を中心に自分のライフワークを模索中である。共著書に『コンパクト韓国』(李御寧監修)、『読んで旅する韓国』(金両基監修)、「朝鮮の王朝の美」、『朝鮮王朝の衣装と装身具』などがある。 |
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▲ 韓国語講座案内、韓国文化院ブローシュ、韓国文化院友のニュース |
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韓国文化院も1979年5月10日に開院し、ちょうど40周年を迎えた。 私が最初に勤務したのは池袋のサンシャイン60ビルだった。4階から階段を上がると踊り場に大きな看板もあり、5回の廊下には華城行幸図がパネルにしてあった。サンシャイン60ビルは78年にオープンしたが、図書室はオープン最初から計画されていて、図書の重量を計算して建てられているといわれた。 韓国は文化の国であり、文化で世界に、といった雰囲気があった。 巷でよく言われる韓国や朝鮮のイメージとは全く違う感じであった。当時の尹鐸院長は見るからに両班を思わせる人で、院長に会いに来る日本の文化人も多かった。職員は10名だったが、私のほかに日本人職員も2名いて、受付には美しい安岡さんが訪問客をさばき、韓国語講座の運営を担当しながら、レセプションの時には通訳もされていた。 事務室には、金重相文政官、李載俊事務官、鄭鎮永さん、李錫在さん、ミス崔とともに、大国さんがおられ、毎月出す「韓国文化院友のニュース」の編集を主に担当されていた。昼食をいつもご一緒したり、図書室で一人いる私に何くれとなく気遣って下さった。 池袋の時に韓国文化院に行ったことがありますと聞くこともたまにあるが、すでに尹鐸院長、映写室の李徳さん、大国未津子さんも逝かれて、池袋時代からの職員もいなくなり、少し寂しい思いもある。サンシャイン60ビルから、麻布十番の民団中央会館ビルを経て、いまは四谷のKOREA CENTERとして立派な自社ビルが建っている。 今日、小さな唐辛子の会の上野さんから、文化院での採用を担当された李載俊さんご夫妻の最初の「写真と絵画の同伴者」展示会の案内が届いた。5月22日から仁寺洞で行われる。 四谷庁舎でも記念の伝統舞台公演や伝統工芸デザインの展示会が行われる。 https://www.koreanculture.jp/
#韓国文化院 #한국 문화원
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