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美しかった日曜日 |
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2020年3月7日 |
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 | 雨宮 和子 [あめみや かずこ]
1947年、東京都生まれ。だが、子どものときからあちこちに移動して、故郷なるものがない。1971年から1年3ヶ月を東南アジアで過ごした後、カリフォルニアに移住し、現在に至る。 |
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▲ ニコニコ(愛犬)とタトゥー(24年前に卵から孵ったばかりの頃から飼っているオウム)を同時に撫でるトーマス。 |
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あの日はちょっとだけ特別の日曜日だった。いつもの日曜日は、トーマスは午前中日曜版ニューヨークタイムズを読み続け、午後はお昼寝をした後で庭仕事をする。朝寝坊の私はのんびりと起き、コーヒーとクロワッサンの朝食と取りながらニューヨークタイムズを拡げて、スタイル欄の「ソーシャルQ」という相談欄と「モダンラブ」という読者投稿のエッセイを読み、午後はメールの返事を書く。何も特別なことはしないで1日が過ぎていく。
でも2019年10月6日のあの日曜日は、私たちは近くの小劇場へ「アマデウス」のマチネーへ3人の友人たちと観に行くことになっていた。それで、簡単な昼食の後、愛犬ニコニコに「ちゃんと留守番しててね」と言い聞かせて、私たちは隣町ソラナビーチの劇場へ行った。入り口で友人の1人が待っていて、私はそこにトーマスを下ろし、ちょっと離れたところに駐車した。そして数分後には中に入ると、別の友人夫婦は私が予約しておいた席に着いて私たちを待っていた。前から2番目の真ん中に席で、小さな舞台は私たちの目線にあり、舞台で繰り広げられることがとても身近に感じられた。
演劇は上出来の制作だった。見事な演技で、最小限の舞台装置は小さなスペースを有効に使い、衣装は大袈裟すぎずにいて各人物に適切に18世紀のウィーンをよく表し、背景の音楽はもちろん効果的で、ボリュームもちょうどよく、小劇場には何もかもぴったりだった。私たちはみな大変な満足感に浸りながら、劇場を出た。
観劇の後は皆それぞれ別行動で、トーマスと私はまず家に帰って休息を取り、夕方からニコニコを連れて友人夫婦の家に夕食に行くことになっていた。トーマスは劇場の前に残り、私は車まで歩いて、それから彼の待っているところまでゆっくり車で戻っていった。劇場の前に置いてあるいくつか椅子には、トーマス以外には誰もおらず、ひっそりしていた。暖かい秋の日をいっぱいに浴びて静かに私を待っている彼の姿は、この平穏なひとときに満足している彼の幸せそのものを表しているようだ。彼のその姿に、私も幸せを感じて、彼との一体感に、私はにっこりせずにはいられなかった。どうやってこの幸せな地点に到達したのだろう。
家に帰るまでの15分の道のりの間、私たちはほとんど口をきかなかった。トーマスは話好きだけれど、決しておしゃべりではない。私たちは話すときは話したけれど、二人だけで一緒にいるとき、私たちはそれぞれの思いに耽っているか、自分の気分に浸っていて、ほとんど何も言わないでいることも多かった。彼はそういう性格だったし、私もそういう性格で、似ていたのだ。私たちはお互いの沈黙を心地よく感じながら、この素晴らしい日曜日について沈黙のまま語り合っているのを感じた。
家に帰ってから、トーマスは長い間昼寝をした。この頃の彼はあまりスタミナがない。1時間以上が経ってから、私は彼を起こした。彼は穏やかな性格なので、深い眠りから起こされても機嫌が悪いことなどなかった。
友人の家に行く途中、先日隣人からもらったワインがおいしかったので、それと同じものを買おうと、トレーダージョーというお店に寄った。トーマスはまだ疲れているかもしれないから、もうちょっと眠りたいかもしれないので、「車の中で待ってる?」と彼に聞いた。いつもだったら彼はお店の中を歩くより、車の中で待っている方を選ぶ。でもその日は、私といっしょに来るという。彼はトレーダージョーにはほとんど行かないので、興味があったのかもしれない。日曜日の夕方だったから、お店の中は賑わっていた。目当てのワインは見つからなかったけれど、トーマスが好きに違いないと思ったポテトチップのようなチョコレートがあったので、それを買った。それから車に戻って5分で友人の家に着いた。愛犬ニコニコは玄関へ跳んで行き、ドアを開けてくれと言わんばかりにカリカリと引っ掻いた。よく行くその家は彼に取っては自分の家のようなものなのだ。
友人夫婦はその数日前に近くのリンゴの産地ジュリアンで買ってきたアプルサイダーを出してくれて、静かに、楽しく、夕食が進んだ。それをグラスの半分も飲まないうちに私は頭が朦朧としてきて、大きな椅子に休ませてもらった。私がそこに身を沈めて目を閉じると、そのうちにトーマスも眠くなり、ソファに横になったら、と言ってもらってその通りにした。ニコニコも庭に出るドアの前に置かれたマットの上で眠り込んでしまった。そんな私たちを寛容な友人夫婦はそのままにしておいてくれた。
充分休んで目を覚ますと、私の頭は完全にスッキリしていた。トーマスはまだソファに寝ている。ニコニコは眠ってはいなくて、私が起きたことがわかっていたけれど、おとなしくしていた。熱いお茶を入れてもらい、しばらくそのままおしゃべりをしていて、時計を見ると、9時半近くなっていた。なんだかずいぶん長い間、そこで眠って過ごしてしまったのだ。 「トーマス」と、私は彼を起こした。「そろそろ帰らなくちゃ」 「今晩は泊まっていってもいいんですよ」と、友人は冗談めいて、でも半ば本気で言ってくれた。それじゃあ、そうします、と私たちが言ったとしても、彼は気にしなかっただろう。
トーマスはゆっくり起きた。ニコニコも起き上がって、尻尾を振りながら私の方に来て、私たちは車に乗り込んだ。友人がジュリアンのリンゴと梨の入った紙袋をお土産にと持たせてくれた。「お休みなさい」と言って、私たちは友人の家を離れた。
「きょうはほんとに素晴らしい日曜日だったわね」 表通りに出るとすぐ、私はトーマスにそう言った。 「ほんとうにそうだね」彼も満足そうに答えた。そしてすぐ眠りに落ちていった。ニコニコは後ろの座席で既にぐっすり眠っている。車はフリーウェイ(高速道路)に入った。といっても、たった4キロを行くだけだ。フリーウェイから出るために私は一番右側の車線(日本とは逆です)に車を進めた。家まであと2キロだ。フリーウェイを降りるとすぐ大通りとの交差点に到達する前に、緑の信号が赤く変わるのが見え、私は停車するためにスピードを落とした。
私の記憶は、そのとき、その場で、消えてしまう。そして、平穏で美しい私たちの日曜日も、消えてしまった。永遠に。
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