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86 春 (La Primavera)
2007年10月30日
齋藤 恵 齋藤 恵 [さいとう・さとし]

1948年埼玉県生まれ、1970年に大学卒業後、時計メーカーの輸出部門に就職。8年間の勤務の後、宮仕えには向かない自身の性格を認識して、父の経営していた小売店 (創業1912年 = 大正元年)に転身しました。歴史、風土、絵画、言語等に関心が強く、駄文ながら文章を書くことがストレス発散の手段のひとつになっています。ささやかながら、会社を経営するというのはそれなりにたいへんです。ここに書かせていただくことは、そうしたストレスの大いなる発散のためですので、お読みになる方もどうぞお気軽に。
春 (La Primavera)


今回取り上げます絵は、ラ・プリマヴェーラ (La Primavera= 春) です。作者はルネッサンス絵画を代表する画家の一人、サンドロ・ボッティチェルリ (Sandro Botticelli 1444 〜 1510) です。

現在、この絵はフィレンツェのウフィツィ美術館に、あの「ヴィーナスの誕生 (Nascita di Venere)」 と同じ部屋に展示されています。すごいですよ、その薄暗い部屋は! 世界中で、もっとも有名な絵のうちの2枚が、こともなげに架けられているのですから。

この絵に関しては、昔から無数の解釈がなされ、寓意を読みとろうとした人々が無数に存在したことでも有名です。昔から居たのですねえ、私のように絵の意味を探ることが好きな人達が。

まず、この絵が描かれた時期と動機ですが、時は1482年、画家が38歳の時です。おそらく彼の芸術的絶頂期だったのだと思います。注文主は、当時のメディチ家の当主、ロレンツォ豪華王 (ロレンツォ・イル・マニフィコ) の「また従兄弟」にあたり、この画家の強力な後援者であったロレンツィーノ(本名 ロレンツォ・ディ・ピエロフランチェスコ・ディ・メディチ)で、この「タニマチ」がこの年に結婚したことを祝って描かれました。

ですから、この絵は基本的に結婚を賛美した愛の絵だということをまず認識しておきましょう。さもないと、無数の諸説に惑わされて、いったい何を表現した絵なのかがわからなくなってしまいます、一時期の私のように。まあ、そのくらい人々は古来、いろいろな説をこの絵に託して語ったわけで、それだけ人気があった絵なのだということが言えると思います。

それではまずこの絵の背景を見てみましょう。場所はオレンジと月桂樹を中心とした森の中です。足元には花が咲き乱れています。ここに描かれている植物を整理・分類した人がいるというのですから、世の中にはいろいろな人がいるものですねえ!

ちょっとその資料を見てみました。それはこんなふうでした。

1)樹木  主に柑橘類の森。他に月桂樹、イチイ、ミルト。

2)花の咲いていない草  240

3)花の咲いている草   190

3)のうち分類可能なものは138。様式化されており分類不可能なもの33。判別不可能なもの19 なのだそうです。そして分類可能な花のうち9割までがフィレンツェ周辺の野や林に自生しており、しかもこの絵が描かれたと伝えられるフィレンツェ近郊カステッロのメディチ家別荘の大庭園には現在でもその約半数が見られるのだそうです。そしてその花のほとんどすべてが、春に咲く花なのだというのです。

1981年の絵の修復の際に、フィレンツェ大学植物研究所のグループが調べたのだそうで、植物の知識に乏しい私などは、この資料を見て、ただため息をつくばかりです。

それでは画の登場人物を見てまいりましょう。まず左端の男性からです。今にもオレンジを木からもぎ取ろうとしているように見えるかもしれませんが、そうではなくて、彼は杖を空に向けているのです。この男性は神々の使者であり案内役のメルクリウス(マーキュリー)です。この場合は、結婚の先導者としての役割を強調しているように思えます。

続いてその右の3人の女神、3美神です。3美神は古代神話に登場するもっともポピュラーな女神達で、中央の1人だけが背中を向けているというのも、よくある典型的な構図です。彼女達が象徴しているのは、左から「愛」「純潔」「美」です。

左の女神はつけているブローチも大きく、髪は乱れ、衣服ももっとうねりが大きいので、愛とか愛欲を表現しています。

中央の女神は質素な衣装、端正な横顔からして純潔の象徴です。でもよく見てください。彼女の左肩の衣装が少し脱げ落ちています。左に立つ愛の女神の誘いに応じていると見てよいと思いますよ。そして中央の上に浮かんでいるクピド(キューピッド)の矢は、実は純潔を象徴する彼女の、少しはだけた胸に向けられているのです。どうですか、こんな解釈。

そして右端の女神は、この相対する2人をとりもち、統合させている美の女神です。髪を整え、小さめのブローチをつけた彼女は、他の2人の手を持っています。ことに左端の愛の女神の手を高く掲げているのは、結婚を暗示し、祝福しているのだと思います。女神の格としては3美神の中では彼女がもっとも高いらしいとわかるのは、中央のヴィーナスにもっとも近い位置にいるからです。

中央の女神は言わずとしれたヴィーナスです。古代神話でも代表的な神ですが、ルネッサンス期にはさらに多くの意味が付け加えられ、愛をあらわすだけでなく、人間の美点をすべて備えた完全なる姿の象徴でした。この画の中では、人間的、地上的ヴィーナスとして描かれ、画の注文主ロレンツィーノが花嫁を迎えることへの最高の祝福として描かれたことは間違いないと思います。なお、この絵と同じ部屋に展示されている「ヴィーナスの誕生」のヴィーナスは、反対に天上的存在として描かれていると言われていますが、私も同感です。

ヴィーナスの頭上に浮いているクピド(キューピッド)は、ご存じ愛の神です。純潔の女神に愛の矢を放とうとしていることで、結婚をほのめかしています。でもよく見ると、クピドは目隠しをしていますね。これでは目標が見えないのでは、と心配するのは私のような俗人の考えでして、これによって盲目的な愛を暗示しているのだそうです。ウーム、なるほど。

さてヴィーナスの右に、花柄の衣装を着ている女神がいます。彼女はフローラ。花の女神です。実は彼女はその右にいる半裸の女神、クロリスの変身した姿なのです。つまり時間的な経過を経て、右から左へ変身したのです。フローラは右側の処女、クロリスが右端の西風の神と結婚し、成熟した女性に変身した後の姿です。「春」の絵は、この部分だけはアニメふうに変身を描いているのです。

さてそのクロリスですが、大地をあらわす女神です。古代神話では、クロリスは西風ゼフュロスに捕まり、結婚して花々を産んだとされています。この画の中では、いままさに西風ゼフュロスに捕まり、花を口から産み始めています。でもまだその姿は、かたくなな処女のままで、花嫁に変身する前なのだということをあらわしています。そう言えば、左の変身後のフローラは、安定し、自信に満ちた顔つきと同時に、おなかも大きいですね。子供を宿しているのか、はたまた「3段腹」なのか、皆様のご想像にお任せします。

というわけで、右端の不気味な色の神は、西風の神、ゼフュロスです。西側に大西洋という大海を持つヨーロッパの人々にとっては、西からの風は春の訪れのしるしなのです。この画の中では、風の神らしく木々をざわめかせながら登場し、彼の妻となるクロリスの身体に手をかけ、今にも捕まえようとしています。長かった冬が終わり、大地にあたたかい風が吹き始める早春の瞬間を表現しています。

とまあ、こんなところが私の理解です。あまり突飛な絵解きではありませんが、まあこんなところが無理のない解釈なのではないかと思っていますが、ご意見がありましたら、ご遠慮は要りません、ぜひお気軽にご感想を聞かせてください。

またまた、ながーいおしゃべりにおつき合いいただき、ありがとうございました。

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