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M.ハスケルを探して 4 |
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2004年8月26日 |
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 | 吉田 美智枝 [よしだ みちえ]
福岡県生まれ、横浜市に住む。夫の仕事の関係で韓国ソウルとタイのバンコクで過ごした。韓国系の通信社でアシスタント、翻訳、衆議院・参議院で秘書、韓国文化院勤務などを経て現在は気ままな主婦生活を楽しんでいる。著書に『朝鮮王朝の衣装と装身具』(淡交社、共著)『韓国の近代文学』(柏書房、翻訳)などがある。現在、文化交流を目的とした十長生の会を友人たちと運営、活動している。 |
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▲ 白蝶貝とガラスビーズのネックレスとピアス ネック部分は白蝶貝(あこや貝)のビーズを ワイヤーでひとつずつ留めてつないだ。
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▲ ハスケルは、接着剤は一切使わず、すべてワイヤ ーでビーズを直接台座に留めた。
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−ハスケルとシャネルー
ヘスは兵役に出るとき、会社が当分困らないだけのデザイン画を残していったといわれる。私は、このフランク・ヘスという男性にも興味を覚える。
資料によると、ヘスは才能も教養もあり、洗練さているだけでなく、もうひとつの仕事であるインテリアデザイナーとして強力なビジネスコネクションをも備えた魅力ある男性だったようである。
人と人の関わりとは不思議なものである。ミリアム・ハスケルという名の下でジュエリーデザイナーとしての才能を開花させ、ハスケル・カンパニーを支えた男、ヘス。そして壊れていくハスケルを世話し続けたのもまた…彼女が亡くなるまで…彼だった。ハスケルにとってヘスは仕事でも実生活でも代えがたいパートナーだったのである。晩年の彼女がそれを理解していたかどうかはわからないが…。
ハスケルは1937年、意気揚々とヨーロッパに乗り込んだ。その旅は販路拡大と、新たな材料の調達とアイデアをもとめての旅で、実り多い旅だった。彼女はこの旅で長年憧れてきたシャネルにも会っている。シャネルのジュエリーに影響されてスタートした彼女が、今やコスチュームジュエリーの世界でシャネルとならぶ存在になろうとしていた。
だが、この船旅の途中、彼女は何気なく発した「私はユダヤ人」ということばが原因でとても不愉快な経験をする。それ以来、彼女はなにがあってもその船には乗ろうとしなかったといわれる。
ミリアム・ハスケル・カンパニーには多くのユダヤ人たちが職人として働いていた。チェコや東ドイツからアメリカに逃れてきたユダヤ人難民たちを、ハスケルは進んで雇い入れている。ハスケルジュエリーは、この職人たちの手に支えられていたのである。
シャネルもまたコンプレックスを抱えていた。シャネルは、1883年にフランスの田舎の貧しい行商人の娘として生まれる。12歳で母親を亡くして以後は修道院(一説には孤児院)で育ったといわれている。
自分を捨てた父親への恨みと、惨めな環境から脱出したいと願うシャネルの思いは、上流階級への強い憧れと上昇志向、そして彼女を拒んだ階級に対するすさまじいまでの闘争心となる。ある時自分を一介の洋服屋と扱ったある伯爵を、後にジュエリーデザイナーとしていったんは雇い入れるものの、折を見て解雇通告をしたというエピソードもある。
シャネルは、お針子や愛人としての生活も経験するが、経済的、精神的自立への執念は生半可なものではなかった。下層階級の出でありながらやがて上流階級が出入りするサロンという形で自分の世界を築いていく。シャネルは、多くの上流階級の男たちを愛したが、その愛情さえも時には自分を貫くために犠牲にしただろう。
宝石も模造石もごちゃまぜにデザインしたシャネルのジュエリーは、ある意味で特権階級である貴族たちへの挑戦状だった。ジュエリーといえば、宝石の大きさや希少性によって富と力をひけらかすものだったが、シャネルのジュエリーはその魅力で貴族階級の女性たちを惹きつけ、特別な場所でしか身につけなかったそれまでのジュエリーの常識を壊し、日常のアクセサリーとしての位置を築いた。
シャネルはジュエリーのことをこういっている。 「本物だろうと偽物だろうと単なる装身具(アクセサリー)」
ハスケルの生涯にはいくつかの一見矛盾とも思える側面が見える。大衆消費文化が花開いた当時、世の中はスピードと機械化による大量生産の時代に入っていたにもかかわらず、彼女のジュエリーはすべてハンドメイドだった(金属に穴を開ける作業を除いては)。実生活では、姉にその生活ぶりを“奔放”“無責任”と非難されたようにリベラルでモダンだったが、性格的には内気で控えめ、マスコミや社交界とは距離を置き、どこか貴族的な面があった。
田舎の両親や姉弟やその子供たちを時には呼び寄せ、彼らと一緒にすごす時間を愛しながら、自分の家庭を持とうとはしなかった。華やかな自分の生活を維持するために湯水のようにお金を使う一方で、困っている人たち…アメリカへ移住しようとするロシアのユダヤ人捕虜たち、故郷インデイアナ州で洪水被害にあった人たち、見知らぬ若い人々…のため援助を申し出た。
ユダヤ人としてのプライドとコンプレックスに揺れたハスケル。彼女がシャネルほどの深い絶望を経験し、世の中に対する強い怒りと闘争心を持ち合わせていたら、彼女の人生はあるいはもっと違ったものになっただろうか。
だが、私は石を強固な金属の型に埋め込んだシャネルのジュエリーよりも、立体的でありながらも女性たちの手によってビーズひとつひとつが繋がれた、どこか優しさの漂うミリアム・ハスケルのジュエリーに惹かれる。それは、容貌や外見の美しさを超えた彼女の華やかさや優雅さ(ときに脆さをも併せ持った)、そしてヘスの人間としての優しさに支えられた魅力なのかもしれない。(つづく)
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