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縁の下のバイオリン弾き
67 テーブルマナー
2013年3月1日
西村 万里 西村 万里 [にしむら・まさと]

1948年東京生まれ。大学で中国文学を専攻したあと香港に6年半くらし、そのあとはアメリカに住んでいる。2012年に27年間日本語を教えたカリフォルニア大学サンディエゴ校を退職。趣味はアイルランドの民族音楽 (ヴァイオリンをひく)と水彩画を描くこと。妻のリンダと旅行するのが最大のよろこび。
▲ チャック・コナーズ
幕末だか明治初年だか忘れてしまったが、日本からアメリカへ派遣された使節団の話として次のような逸話が残っている。

最初サンフランシスコへ行った。そこで彼らが知ったのは「アメリカ人は人前で平気でキスをする」ということだった。日本では考えられないことだったので彼らは度肝(どぎも)を抜かれた。そしてこう考えたのである。「サンフランシスコはまだ開かれたばかりの開拓地だ。だから文明の光がおよんでおらず、こういう野蛮な風習がはびこっている。しかしアメリカでもヨーロッパに近く、文明のすすんだ東部ではこんなことはあるまい」と。ところがボストンに到着してみてもやっぱり人々は人前で平気でキスをしているのでおどろいた、という事だ。

使節団の人々がボストンでがっかりしたことは想像にあまりある。文明というのは人前で自分の欲望を露骨にあらわさないことだ、と信じていたのだろう。当時の日本では家族の間ですら愛情の表現はろくになかった。

私もこれと同じことをアメリカで経験した。といってもキスの件ではない。テーブルマナーのことだ。

日本にいたとき、西洋のテーブルマナーというものを一応まなんでいた。ナイフは右手に、フォークは左手に、とか、スープは手前から向こうにすくう、とか、たくさん並べてあるナイフやフォークは外側から順にとっていけばいいのだ、とかいうようなことだ。日本で洋食を食べるときにはそのマナーからはずれないように、と気をつけていた。

香港ではめったに洋食を食べなかったから、マナーを心配した記憶はない。中国料理のマナーはじつにゆるやかで常識にしたがっていれば問題ない。たとえばみんなで鍋を囲んだ時は鍋の中に自分の箸をつっこんではならない(レンゲを使う)というような事ぐらいだった。

ところが、はじめてアメリカに来たときはめんくらった。私も最初サンフランシスコについたのだが、その時にアメリカ人はフォークを右手に持つ、ということを発見したのだ。いや、それは正確ではない。彼らは最初に右手に持ったナイフで肉を切り、そのナイフを皿において、左手のフォークを右手にもちかえて肉をつきさして口にはこぶ。だれもがそうしていて例外がない。

私はとまどった。今までにまなんだマナーはいったいなんだったのだろうか。

今考えてみるとこっけいなことに、私も昔の使節団と同じ事を考えた。サンフランシスコなんかじゃそんなこともあろうけれど、東部でならヨーロッパの伝統を尊敬しているにちがいない、と。

当時私の頭の中にはアメリカはヨーロッパの亜流で、その国独自の見るにたりるものはなく、西洋文明の精華はすべてヨーロッパにあるのだ、という考えがあった。どんな習慣もヨーロッパから来ていないものはないのだ。そういうヨーロッパの権威をもってすれば、アメリカ人だっておそれいらないわけにはいかないだろう。

だからボストンに行ってその考えがまったくまちがっていたことを知った時のおどろきは深かった。ボストンではだれもヨーロッパのマナーをかえりみなかった。

食事をするときに音をたてない、などのテーブルマナーの精神は同じだったけれど、フォークを右に持つか左に持つかなどはおかまいなしだ。それどころかヨーロッパ流のフォークの使い方を軽蔑してさえいた。サンフランシスコもボストンもない。アメリカ全土でそうなのだ。

後年私はカリフォルニアのバークレーで、 イタリアからの留学生を紹介する大学新聞の記事を読んだ。「彼女たちは、ヨーロッパ人が一般にそうするように、左手のフォークで肉をつきさし、その肉の上にさらにマッシュポテトや青豆をのせて一口で食べる」とことごとしく書いてあった。「変な事をするねえ」といいたいのだ。

アメリカ人は「たとえヨーロッパ人がどうやろうと、自分たちは断固としてこの食べ方をつらぬく」と言っているように見えた。それに誇りを抱いていた。

そのうちに私にもアメリカは決してヨーロッパのまねばかりしている国ではないということがわかって来た。アメリカにはアメリカの文化があるのだ。

実際にやってみるとわかるが、肉を切るたびにフォークを持つ手をかえるのはたいへんめんどくさい。でもアメリカ人はみな律儀にそれをやる。中にはなまけ者がいて、最初に肉を全部小片に切り離して、それからおもむろにフォークを右手に持ちかえて食べるということをやる。それでもマナー違反ではないらしい。

ナイフさえなかったなら、フォークを右手に持ってものを食べる、というのは理にかなっている。ナイフが必要ではないスパゲッティの場合はフォークを右手に持つではないか。


ナイフは右手に持つほかはないから、持ちかえないとするならばフォークは必然的に左手になる。そして肉をつきさす、という機能のため、曲がった方を下にして持たざるをえない。でも、そもそもフォークが曲がっているのはそのくぼみに食物をのせるためなのではないのか。そうでないのならフォークを曲げる必要はないではないか。それなのにこの持ち方ではつきさせない食べ物はフォークの背にのせるほかはない。

日本では洋食を注文すると「パンにしますかライスにしますか」と聞かれる。「ライス」というとご飯が皿にのって出てくる。これをどうやって食べるべきか。日本ではご飯をナイフでフォークの背にのせて食べるのが正しいマナーだ、とされているようだ。きっと誰かがそういう食べ方をヨーロッパのどこかで見て来たのだろう。あるいはご飯ではなく、マッシュポテトやグリンピースだったのかもしれない。

こんなことができるのは日本のご飯がねばりのつよいジャポニカ種であるためだ。外国で食べるご飯は日本でいう「外米」であって、さらさらしているからフォークの背にのせてもすぐにこぼれてしまう。だからご飯をフォークの背にのせる、というのがヨーロッパで確立しているマナーだとはとても思えない。日本でこてこてといそがしげにご飯をフォークの背にのせて食べている人を見ていると、ひょっとしたらこれも日本のお家芸、「ガラパゴス的進化」のひとつなのではないかという気がしてくる。


それではサラダだけを食べる、という時のマナーはどうだろう。昔はサラダはコースの一皿だったからサラダだけを食べる、ということはなかったのだろう。でも健康志向のためにいまやそれはふつうのことになった。アメリカではもちろんフォークを右手に持って食べる。ヨーロッパではどうなのだろう。サラダを食べる時も右手にナイフ、左手にフォークで食べるのだろうか。

ダスティン・ホフマンとエマ・トンプソンが主演した「新しい人生のはじめかた」(2008年)という映画がある。娘の結婚式のためにロンドンに来た初老の(というよりかなり老齢の)アメリカ男がイギリス女性と恋に落ちる、という話だ。トンプソンがひとりでサラダを食べる場面がある。彼女は左手にフォークをもってそれだけでサラダを食べている。そら見ろ、と思いましたね。エマ・トンプソンは英国を代表する大女優だ。彼女ぐらいイギリス人らしいイギリス人はいないのではないだろうか。テーブルマナーだって非の打ちどころがないだろう。それが左手だけでサラダを食べているのだ。私の直感は正しかった。ヨーロッパではナイフを使わない時でもフォークを右手に持つなんてアメリカ人みたいなはしたないまねはしないのだ。

ところがこれが全くの見当はずれだった。この映画を見たあとでトンプソン主演の古い映画「ハワーズ・エンド」をテレビでやっていたので注意して見てみたら、彼女は左利きなのでありました。

それでヨーロッパ人がサラダだけを食べる時にフォークを右手に持つか左手に持つかの探究をする気力が失(う)せてしまった。だからいまもって知らない。


映画といえばハリウッドでは礼儀知らずのがさつな男を表現するのにスプーンの持ちかたであらわす、ということをごぞんじですか。ふつうスープを食べる(と英語でいうのでここではそれにしたがう)ときにはスプーンをえんぴつを横に持つような感じで持つ。

しかしテーブルマナーを知らない、という事をあらわす時には役者にスプーンをわしづかみにさせる。つまり、短刀を持つようにスプーンを真横からがっしりとつかみ、腕全体を動かして口に持ってくる。そして首をがっくり落としてスプーンの横っちょからスープをすする。こんなことは通常のマナーではけっしてやってはいけないことだ。それをあえてさせることで貧困、孤独、劣悪な生育環境、周囲の無理解、親の愛情の欠如、恋人との別離、友とのいさかい、うだつのあがらない仕事、今までのうらみつらみ、etc., etc.をあらわす(ことができると思っている)。

これが版で押したようにくりかえされる。「レ・ミゼラブル」のジャン・ヴァルジャンは前科者だから当然このカテゴリーに入る、とされているのだろう。ミュージカル映画(2012年)のヒュー・ジャックマンも劇映画 (1997年)のリーアム・ニーソンも司教館で夕食をごちそうになる時「わしづかみ」をやっている。

ほかにも数えきれないほどたくさんの映画でこれを見た。これこそ「クリシェ」でなくてなんだろう。「きまり文句」という意味だがあきもせずに同じ事をやっている、という意味で使われる。

古い例は「大いなる西部」(1958年)に出演したチャック・コナーズだろう。チャック・コナーズといってピンとくる方はもうそうとうのお歳とお見受けする。そう、テレビの「ライフルマン」だ。

学校の教師をしている美しいジーン・シモンズに横恋慕(よこれんぼ)するのが牧場主のどら息子、チャック・コナーズだ。ある日呼ばれもしないのにシモンズの家にぬっと入ってくる。彼女が自分の昼食に準備したスープをみつけて、「おっ、スープだな」といいざまどっかと座り込んでそれを食べだす。その時の食べ方が「スプーンわしづかみ」だ。それでこの男のお里のほどが知れる、とウィリアム・ワイラー監督は思ったのかもしれないが、残念な事にそれは計算ちがいだった。なぜかというと、こういう場合、ただスプーンをわしづかみにさせるだけでは十分ではない。ぜひとも大口をあけてぴちゃぴちゃ音をさせたり、舌なめずりをさせたりしてほしい。そうでなければ本当に素性が悪いという印象にはほど遠い。

それなのにコナーズは一口スープを口に入れるごとに神妙に口を閉じて、音を立てないようにして味わっている。そこだけは実にりっぱなテーブルマナーなのだ。演技でスプーンをわしづかみにしたものの、きっと教養がじゃましたんだろう。育ちがいい人なんですね。


私がはじめてヨーロッパに行ったときはアイルランドに行った。ダブリンの空港の食堂で若い男が四角四面にいすに腰掛けて右手にナイフ、左手にフォークをにぎり、作法正しくカレーライスを食べていた。それを見て、はるばるヨーロッパにやってきたんだなあ、という実感がふつふつとわいてきた。
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