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縁の下のバイオリン弾き
65 二人松浦
2013年2月1日
西村 万里 西村 万里 [にしむら・まさと]

1948年東京生まれ。大学で中国文学を専攻したあと香港に6年半くらし、そのあとはアメリカに住んでいる。2012年に27年間日本語を教えたカリフォルニア大学サンディエゴ校を退職。趣味はアイルランドの民族音楽 (ヴァイオリンをひく)と水彩画を描くこと。妻のリンダと旅行するのが最大のよろこび。
▲ 松浦武四郎
▲ 松浦栄

リンダと私が現在の家に引っ越したとき、台所につづいている狭い空間があるのに首をひねった。何のための部屋かわからなかったからだ。広さは2畳半ぐらいだろう。

そこには元の持ち主が置いていった大きな冷蔵庫があった。家の手直しをしてくれる職人さんに「ただで進呈するから持っていってくれないか」と頼んだらこころよく承知してくれたけれど、いざ動かす段になるとその冷蔵庫は巨大すぎて部屋のドアから出すことができず、最後は3人がかりで解体して出さなければならない始末だった。いったいどうやって入れたものだろう。それぐらい狭い空間だ。

私はこの部屋を自分の書斎とした。貧乏性のせいか、せまい空間に座ると落ち着くのである。

その時に松浦武四郎の一畳敷(いちじょうじき)の書斎のことが頭をよぎった。幕末の探検家、松浦武四郎は晩年東京神田の自宅の敷地内にたたみ一畳の広さの書斎をたてた。たたみ一畳というのは究極のせまさだ。柱や天井板には日本全国から集めた古材を使ったという。その建物は今でも三鷹の国際基督教大学の敷地内に保存されている。私は見たことはない。いつかぜひ見てみたいと思っている。

同じサイズとはいえないまでも松浦武四郎にならってせまい書斎を持つということにある満足感があった。

松浦武四郎(まつうら・たけしろう、1818-1888)は伊勢の人で、日本全国を歩いた。学者で歌人で大変な著述家であり、画家でもあった。一時仏教の僧侶だったことさえある。蝦夷地(えぞち)、つまり今の北海道の探検で有名だ。6度の探検をもとにくわしい地図を作り、アイヌ民族の習俗を記録した。

江戸時代に生まれ、明治22年に死んだ。

彼がその当時として型破りだったのはアイヌになみなみならぬ興味と同情を持ち、かれらを抑圧していた松前藩の行政を批判したことだ。武四郎はアイヌ語をまなび、それに習熟した。そんな人間は江戸時代を通じていなかった。

松前藩はニシン・サケ漁や昆布など海産物の採取にアイヌを使い、苛酷な搾取(さくしゅ)をした。そのありさまは南北アメリカで侵略者の白人が先住民に対してとった政策と非常によく似ている。アイヌを未開の土人ととらえ、労働力として使い捨てにし、かれらの社会と文化を破壊した。武四郎はそのような非道をはげしく責めた。

アイヌと生活を共にし、かれらを愛し、またかれらから愛された。彼が明治になってから登用された北海道開拓判官の職を6ヶ月でやめてしまうのには心をうたれる。むろんアイヌに対する新政府の方針---松前藩と変わらぬアイヌの扱い---に絶望したのだろう。しかしそれと同時に奇矯(ききょう)なふるまいの多い彼自身の個性がまわりの人との調和を許さなかったのでもあろう。これは私には身近に感じられる悲劇だ。外国に入れあげてしまうと同国人とはそりがあわなくなるのだ。特にその外国人が自国民によって抑圧されているとき、憤激は押さえられないものだったにちがいない。

武四郎は蝦夷地に北海道という名前をつけた人として知られているが、実はかれの考えた名前は北加伊道というものだった。「アイヌは自分たちの国のことをカイという」というのでその名前を入れた北加伊道という名前を政府に提案したのだ。「北のアイヌたちの国」という意味だ。かれは蝦夷地がアイヌのものであるべきだと思っていた。しかしそれは政府の取るところとはならず、この土地は以後北海道と呼ばれることになった。土地はとりあげられ、アイヌは居留地におしこめられた。これもアメリカ合衆国の先住民がたどった運命と同じだ。

武四郎は吉田松陰とか藤田東湖とか当時を代表する知識人と交遊があった。頼山陽の息子、頼三樹三郎(らい・みきさぶろう)が蝦夷地に来たとき、意気投合したふたりは一日百印百詩というデモンストレーションを行った。日照時間の一番短い冬至の日を選んで三樹三郎が漢詩を百作り、武四郎はその題名を石に彫(ほ)って印(はんこ)を作り、詩を書いた紙に押した。印を彫ることを篆刻(てんこく)というがこれはなまなかの学識・技術でできるものではない。それを一日に百作るなど、神わざに近い。

頼三樹三郎はいわゆる幕末の志士で、「安政の大獄」の時に34歳で刑死した。武四郎は明治になってから三樹三郎をしのんでこの時の百編の詩を出版している。

蝦夷地についての本を多数出版しているが、その中でアイヌの風俗を絵で紹介した「蝦夷漫画」という本は民俗的なスケッチ集といってよく、彼の画家としての側面をあらわしている。

彼の心は終始しいたげられたアイヌと共にあった。幕府に提出した報告書に「明日のご開拓より今日のアイヌの命を」と書いた。

「 私は一生を北海道にささげたといってもよい。人間はひとつのことに一生をささげるべきものだ」ということばを残している。



松浦といえば私にはもう一人忘れられない人がいる。

もう何年前になるだろうか。サンディエゴのバルボア公園にある写真美術館でのエドワード・カーティスによるインディアンの写真展を見に行った。カーティスは20世紀初頭にたくさんのアメリカ先住民、つまりいわゆるインディアンの写真を撮った。これらの写真はもうすでに滅び去った文化の証言としてたいへん貴重だ。現在北米の先住民の写真があればたいていはカーティスの撮った写真だ。

ところがその展覧会ではカーティスだけではなく、ほかにもインディアンの写真をとった写真家たちの作品が展示されていた。私の目にすぐれた作品と映った写真を撮った人の名前がFrank Matsuraとなっているのが興味をひいた。誰だか知らないが、名前から見るとひょっとして日本人ではないかと思われた。それらの写真はインディアンの生活を愛情をもって記録している。

あとでわかったことだが、この人はたしかに日本人だった。本名を松浦栄(まつうら・さかえ、1873-1913)といい、明治6年に与力の子として東京で生まれた。1901年、単身アメリカに渡り、北西部ワシントン州のシアトルでしばらく暮らしたあと、オカノガンという町で写真屋を開業した。先住民の写真を撮ったのはそのころだ。そしてそこに落ち着いてから7年ぐらいで結核のためになくなった。1913年、39歳だった。彼がなくなってから、今年で100年になる。

短い生涯だったけれど、かれは町の住人や先住民から愛された。その葬儀には300人以上の人が参列したそうだ。現在でもオカノガンという町は2000人そこそこの人口しかない小さな町で、地図をみればわかるがワシントン州のとんでもない奥地だ。インディアン居留地のはずれに位置している。20世紀初頭に300人以上の会葬者というのは住民のほとんど全部だったのではないだろうか。白人もいればインディアンもいた。私はその話を読んだ時に自分の葬式に何人の人が来てくれるだろうと思わずにはいられなかった。

彼については「フランクと呼ばれた男」(栗原達夫著、1993年刊)という伝記が出版されているが、私はまだ読む機会がないので、なぜ彼がアメリカに来たのか知らない。たぶん結核を治療するためだったのだろう。シアトルはサンフランシスコとならんで当時日本人がアメリカで最初に到着する場所だった。永井荷風(ながい・かふう、1879-1959)も1903年ワシントン州タコマで暮らし、その時の見聞を小説にして「あめりか物語」を書いた。

それにしてもオカノガンのような奥地に住みついたというのはなぜだかわからない。その地はちょうど彼がやってきた頃に町としての成立を見たから、自然に町の記録者となった。先住民や開拓民やカウボーイの生活を細大漏(も)らさず写真にした。何にでも興味をもっていたにちがいない。商売気をはなれて撮影した事があきらかだ。その写真は現在残っているものだけで1300枚以上にのぼる。それを絵はがきにして売った。肖像写真もたくさんとっている。当時の事でカメラは大きく、三脚にのせて撮影しなければならなかった。その大きな器械をかついで大草原や原始林のなかにわけいった。

松浦は昔ながらのガラスの乾板に映像を保存した。その原板を死ぬ前に知人に託したのが死後何十年もたってから発見され、写真集として出版された。その本は私も読んだ。アメリカ人にしてみれば誰が撮った写真であろうとも自分たちの過去をうつす鏡として珍重したにちがいないが、それが東洋の小国から来た若者によってなされたということは驚きをもってむかえられたのではないだろうか。

松浦が生きたのは西部開拓の最後の幕がおろされようとするころだった。アメリカ先住民の生活様式がまだ維持されていたから彼の写真はこの人々のまれな記録となった。

松浦はアメリカに来た当座はMatsuuraと署名しているが、いつのころからかMatsuraと書くようになった。どう書こうがアメリカ人には「マツーラ」としか発音してもらえないことに気がついてつづりを簡単にしたのだろう。

松浦武四郎も松浦栄も先祖は九州平戸の松浦氏から出ているということだ。九州のあのあたりでは「松浦」という名称は「まつら」と読まれる。私は母が唐津の出身だからそのことはよく知っている。松浦半島は「まつら」半島だし、恋人の出征を悲しんで石になったと伝えられる松浦姫は「まつら姫」だし、鯨の軟骨を漬けた「松浦漬」は「まつら漬け」だ。奇(く)しくも松浦栄は先祖の書き方で自分の名前を書くようになったのだ。

写真を見るといかにも機知に富んだ、なんでもしゃれのめしてしまう江戸っ子らしい顔つきをしている。大きなアメリカ人とくらべるとびっくりするぐらい小柄だが、それだけに「山椒(さんしょ)は小粒でぴりりと辛い」といったふぜいがある。ワシントンの草深いいなかに移り住んでも都会人の生まれはあらそえない。

亡くなったとき「オカノガン・インディペンデント」紙はこう報じた。

「出しゃばらない、飾り気のない、謙虚で小柄な日本人だったが、オカノガン市におけるフランク・マツーラの存在をつぐ人はいないだろう。腕のたつ写真家で創設7年のこの町と周辺のくわしい写真記録を自分のスタジオに残した。フランクは常に仕事をしていた。なにかあればきっと写真機をかついでやってくる彼の姿が見られた。オカノガン市と我々の渓谷を世に知らしめるために彼ほど尽くした人物はいない。それだけではない。フランク・マツーラは言葉の真の意味で紳士であった。彼を知る誰からも尊敬された。人気者で、広いオカノガン郡の端から端まで彼を知らない者はいなかった」
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