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89 八点鐘 (はちてんしょう)
2008年1月15日
齋藤 恵 齋藤 恵 [さいとう・さとし]

1948年埼玉県生まれ、1970年に大学卒業後、時計メーカーの輸出部門に就職。8年間の勤務の後、宮仕えには向かない自身の性格を認識して、父の経営していた小売店 (創業1912年 = 大正元年)に転身しました。歴史、風土、絵画、言語等に関心が強く、駄文ながら文章を書くことがストレス発散の手段のひとつになっています。ささやかながら、会社を経営するというのはそれなりにたいへんです。ここに書かせていただくことは、そうしたストレスの大いなる発散のためですので、お読みになる方もどうぞお気軽に。

八点鐘 (はちてんしょう)


ウィンズロウ・ホーマー (Winslow Homer 1836 〜 1910) というアメリカ人の画家がいました。雑誌の挿絵画家としてスタートし、南北戦争 (1861 〜 1865) の報道にもあたった画家だそうですが、後年、海を題材とする絵を数多く発表しました。

上の絵は、ホーマーの代表作のひとつ「八点鐘 (Eight Bells)」です。世界の海洋画の傑作のひとつと言われている作品です。

アメリカ東海岸の北の果て、メイン州で生涯独身を通し、フランスに渡っても当時興隆しつつあった印象派の影響もさして受けず、無口でやりたいことを自分の流儀でやったという、ひと昔前のアメリカ東部のヤンキー男の典型と言われている画家です。

きっとアメリカが本格的に工業化する直前に生きた人なのでしょう。新大陸の開拓はほぼ終わり、人々の生活にはある程度の余裕が生まれていたのですが、自然もまだそれほど損なわれてはいなかった時代だったのでしょう。

この絵、「八点鐘」では、船員2人が甲板に立ち、天文測量で船の位置を割り出している光景が描かれています。左側の男は、六分儀を構えて、太陽の高度を測定しようとしているのでしょう。右側の男も六分儀を持っているようです。

時化(しけ)は、おさまりかかっているのでしょうか、それともこれから激しくなるのでしょうか? 2人の船員の帽子やコートは、波しぶきと雨でぬれています。 波しぶき、風の音、エンジンのにおい、暗い雲からのぞく青空の鮮やかさ、足元から突き上げてくるような船の上下動。北の海のすごさをたっぷりと感じさせてくれます。

最初にこの絵を見た時に私が感じたことは、こうした自然の力強さに加えて、なぜこの絵に「八点鐘」という題名をつけたのかなあ、ということでした。

というのは、かつて(正しくは高校生の時)、「アルセーヌ・ルパン」シリーズを堀口大學の訳で、ほぼすべて読破した、若き日の「ルパン愛好家」の私が、この名前を聞いて思い出すのは、ルパンシリーズの中の 「八点鐘 (Les huit coupe de l’horloge)」 だからです。

ルパンの「八点鐘」では、ルパンが1人の女性の気を引くため、出会った日の3ヶ月後に大時計が八点鐘を打つまで、8つの冒険をともにするというという、ちょっと変わった短編集でした。この短編集では、怪盗ルパンは何も盗みません。逆に、人命救助・無実の人の救済・犯罪の処罰など多くの善行をするのです。密室殺人や雪の足跡、遠隔殺人など、当時としては画期的だろうと思われるトリックをいくつか見せているもので、詳細は忘れましたが、この題名だけは今でもはっきりと覚えています。

この中では、「八点鐘」は、大時計が8時を打つということを意味していたわけで、特殊な時計や、意味があったわけではないのですが、昔からなんとなくこの名前は気になっておりました。

実は何年か前の夏、福岡にある妻の実家に出かけた時に、偶然「八点鐘」というシーフード・レストランに出くわしました。場所は博多湾にある、「海の中道」という場所にある「海の中道ホテル」というリゾート・ホテルの中でした。(管理人さんをはじめ、インフォネットに関わりのある方には、福岡の方々がかなりおられますよね。実は妻は久留米からほど近い、筑後市という所の出身でして、久留米、柳川、大川などはとても身近に感じます。余談ですが・・・)

「海の中道」とは、博多市内から「志賀島」(しかのしま、江戸時代に、邪馬台国時代の『漢委奴国王』とういう金印が発見された、あの島です。現在は海水浴場として有名です。ちなみに、金印公園という名の公園もありました。)に向かう時に通る、細い半島のことです。

とても素敵な場所にある、雰囲気のよいホテルでして、私たちもすっかり気に入ったのですが、そこに「八点鐘」というレストランがあったのです。

昔からなんとなくこの名前が気になっていたものですから、支配人さんにお聞きしました、八点鐘の意味を。そして、ついに長年の謎が解けたのです。(無精をせずに早く調べればとっくに済んだことなのですが・・・。)

日本語の「八点鐘」とは、元来は、船上で使われる時計(クロック)= シップ・ベルのことなのだそうです。航海中の船では、操舵室での当直 = ワッチ(Watch のことですが、船舶用語ではワッチと発音するのだそうです)は、4時間交替で行なわれるのだそうです。これは、帆船の昔から、今でも同じなのだそうですね。知りませんでした。

ワッチの時間は操舵手が、30分経過する度にシップベル(船鈴=八点鐘)を鳴らし、ワッチの担当者や船内の他のクルーに時刻を知らせていました。その方法は最初の30分が経過したときに1つ、次の30分が経過したときに2つと言う具合に鳴らし、ワッチの終了する4時間後には、8回のベルを鳴らすというものでした。シップベルが日本語で「八点鐘」と呼ばれるのはそのためです。

そして8回のベル、つまり八点鐘が鳴ると、きつかった当直から解放され、やれやれとホッとするのだそうで、その博多湾のレストランは、その「ホッとする気持」を提供したいと考えて、その名前を付けたのだそうです。

ちなみに、1日のそれぞれの時間帯のワッチは、こんなふうに呼ばれているのだということも教えてくれましたよ。

イヴニング・ワッチ(ファースト・ワッチ)  午後8時から午前零時
ミドル(ミッド)・ワッチ           午前零時から4時
モーニング・ワッチ             午前4時から8時
フォアヌーン・ワッチ            午前8時から正午
アフタヌーン・ワッチ            正午から午後4時
ファースト・ドッグ・ワッチ         午後4時から午後6時
セカンド・ドッグ・ワッチ          午後6時から午後8時

最後のドッグ・ワッチは、毎回ではないのですが、必要に応じてシフト数が奇数(7回)になるように2分割され、2時間単位になることもありました。意図的にずらすことによって、特定の人が夜中ばかり担当するという不公平が無いように考慮されていたのです。

その説明を見聞きしながら「ホーマー」の絵と、「アルセーヌ・ルパン」を思い起こしていた私は、そこではじめて納得したのです。

つまり上の絵は光の具合から見て多分、正午の八点鐘(フォアヌーン・ワッチの終わり)を聞きながら、船の位置の確認作業をしているところだったのです。そうか、絵を見ながら、風と波の音に気を取られていましたが、鐘の音もあったのですね。

八点鐘とは、そんな意味があったのです。とすると、ルパンのストーリーの方は、航海とは関係ありませんから、単なる大時計の報時音のことでした。

何か気になっていることは、無精せずに早く調べてみるものですね。夏の博多湾と広い庭園にひろがるプールを見ながら、私はそんな反省をしました。それにしても、思わぬところで思わぬ謎が解けるものです。

私自身は、ホーマーという画家は、それほど好みではないものですから(ある種の一徹さには共感するのですが・・・)、絵に関するおしゃべりがあまり出来ませんでしたが、こんな雑知識を持って上の絵を見てみると、何か新鮮な感じがしました。

八点鐘とは、海の仕事が終わった喜びのことも意味するのでした。シーフード・レストランの名前としては、よくできていると思います。ご繁昌を祈ります。

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