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縁の下のバイオリン弾き
68 レ・ミゼラブル
2013年3月15日
西村 万里 西村 万里 [にしむら・まさと]

1948年東京生まれ。大学で中国文学を専攻したあと香港に6年半くらし、そのあとはアメリカに住んでいる。2012年に27年間日本語を教えたカリフォルニア大学サンディエゴ校を退職。趣味はアイルランドの民族音楽 (ヴァイオリンをひく)と水彩画を描くこと。妻のリンダと旅行するのが最大のよろこび。
▲ ヴィクトル・ユーゴー
今年のアカデミー助演女優賞は下馬評の通りアン・ハサウェイにきまった。「レ・ミゼラブル」でファンティーヌに扮し「夢やぶれて」を歌った。

「レ・ミゼラブル」の話はご存知だろう。地方の木賃宿にあずけてある娘コゼットに養育費を送るためファンティーヌは懸命に働き、街娼に身を落とし、最後は施病院で息絶える。

ヴィクトル・ユーゴーが「レ・ミゼラブル」(「あわれな人々」という意味)を書いたのは1862年だ。ファンティーヌが亡くなるのは1823年と設定されている。本は150年前の出版、話は190年前のことだ。私たち日本人からすれば場所も時代も遠くはなれた物語、だからこそファンティーヌの悲惨な話を過ぎ去った過去のこととして惜しみない同情の涙をそそぐことができる。

でも私は映画でハサウェイの歌を聴きながら、つい最近見たもう一本の映画のことを思い出さないわけにはいかなかった。どうしてかというとファンティーヌの運命は決して過去のことではない、ということを改めて感じさせられたからだ。

その映画はドキュメンタリーで、制作は2009年。”Which Way Home” というのが原題だ。日本では「僕の居場所はどこ?」という題名でNHKの衛星第一で放映されたそうだからご覧になった方もあるかもしれない。

これは信じられないようなおそろしい話だ。毎年大変な数の少年少女が中米の国々 ― ホンジュラス、グァテマラ、エルサルバドル、ニカラグアなど ― からメキシコを通ってアメリカに密入国しようとやってくる。メキシコの子供もそれに加わる。アメリカの国境警備隊に保護される数だけで年に八千人になるというから全体の数はもっと多いだろう。

それがほんとにがんぜない子供なのだ。メキシコに忍び込むと、貨物列車のてっぺんに乗って二千四百キロという旅をする。もちろん違法行為なのだがどの貨車にも移民が鈴なりになっているからこれをとりしまることはできない。

貨車の上で寝起きする。雨が降ればずぶぬれになる。トンネルや突き出した木の枝から身を守るために始終注意をおこたってはならない。ひどい時はそれが2ヶ月も続く。緊張がそう続くものではない。一瞬の油断が生死を分ける。

この貨車から振り落とされて死んだり大けがをする人がたくさん出る。そのためにこの貨車は「猛獣列車」と呼ばれている。

もちろん不法移民の大部分はおとなだ。アメリカ在住の不法移民の数は千百万人という。80%はメキシコとその他の中米諸国からの移民だ。

汽車から落ちて車輪に両足を切断され、病院に収容された若い母親が映される。子供が何人もいるから何としてでも働き続けなければならないという。

アメリカでは彼らを犯罪者とみなす人が多い。確かに移民法に反して侵入する、という点から言えば犯罪を犯しているにはちがいない。けれどその大部分はまっとうに仕事をする善良な人々で、ただ合法的にアメリカに移民するすべを奪われているからやむなく不法移民になってしまうにすぎない。仕事がみつかれば税金だって払う。

合法的に移民するには正式に大使館にいって申請しなければならないが、ヒスパニックと呼ばれる彼らメキシコ・中米人に許可はめったにおりない。そもそもわくが小さすぎるだけでなく、永住権はアメリカ政府が意識的に許可しないのだ。

法律なんだからしかたないだろ、というのがアメリカ人の立場だけれど、ここに無視できないのは表向き不法移民を非難するアメリカが、裏では彼らなしにはやっていけない、という事情だ。

ことあるごとに不法移民がアメリカ人の仕事を奪っている、と非難するが、実はかれら不法移民に与えられる仕事をまじめにやろうと考えるアメリカ人はまずいない。日本でいう3Kの仕事だからだ。

特に農業はその畑の作業をほとんどすべて不法移民に負っているといってよく、もし本当に不法移民を追い出してしまったらアメリカの農業は一日もたちいかない。安い賃金でよく働く彼らがいるからこそ、雇い主は競争力のある産物を市場に出すことが可能なのだ。いや、農業だけではない。アメリカのほとんどすべての産業に同じ事がいえる。縫製工場のお針子やレストランのコック、ウェイターはヒスパニックであるのがふつうで、その大部分が不法移民だ。

国がそんなに必要としている労働を犯罪として「とりしまる」というのは矛盾している。しかし国境警備員は国境を巡回して、不法移民を見つけるたびにメキシコに送り返している。国境には高い壁が作られている。

移民のほうも死力をつくしてこの警戒網を突破しようとする。金をとってこれを助ける組織があってその案内人を「コヨーテ」という。自動車に特別な空間をつくったり、トンネルを掘ったりと考えられるあらゆる方法を使って移民を密入国させる。テキサスではリオ・グランデ川が国境だからそれを渡る手助けもする。国境警備員とはいたちごっこだ。

国境をこえてもそれで苦難がおわるわけではない。不法移民は見つからないように人のあまりいないところを通るわけだけれど、アリゾナやニューメキシコでは砂漠をこえるということになる。その砂漠というのが国境をはさんでほとんど無限と思われるほどつづく。夏にここをこえようとするのは死にに行くようなものだ。気温は40度を軽く超す。持てるだけ水をもってもすぐに飲み干してしまう。 安全な地に導いてくれるはずのコヨーテに途中で見捨てられてしまう事もある。強盗になけなしの金をまきあげられる。

悲惨な話がいっぱいある。警備員の目をくらますためコヨーテに貨車の中に閉じ込められた不法移民たちがそのまま忘れられ、炎天下にほとんど全員が死んでしまった、という話。結婚したばかりの新妻をつれて冬のさなかに砂漠超えを試みた若者がコヨーテに見捨てられ、嵐の中をさまよううち妻は死んでしまった、という話。

何のためにそんな無謀なことをするかといえば金のためだ。生まれ故郷での貧しい生活に耐えられず、少しでも希望のある生活を獲得したいがためにどんな危険をもかえりみず密入国する。移民局に知られればすぐさま国外追放だ。アメリカで仕事がみつかっても常に日陰者でいなければならない。

彼らはわれわれの想像を絶する勇気を持った人たちだ。断崖にふみとどまってあとがない状況でも戦いをやめない人々だ。

しかし、大人でもしりごみするこの究極の大冒険を年端もゆかない子供たちが敢行する、それを描いたのが「僕の居場所はどこ?」だ。

2006年にソニア・ナザリオというジャーナリストが書いた「エンリケの旅」という本がある(邦訳はまだない)。ホンジュラスの17歳の少年がアメリカに密入国する体験を密着取材で書いたものだ。その話を読んだだけで頭をガツンとやられるような衝撃を受けるけれど、彼はそれでも17歳だ。でも「僕の居場所はどこ?」にあらわれるこどもたちは13歳前後、中には10歳にならない幼児幼女もいる。こども同志グループをつくって「神様のおめぐみさえあれば」アメリカに行く事ができるだろう、という。

目的は仕事ではない。母親だ。何年も会っていないから、それこそ「母をたずねて三千里」なのだ。

これにはわけがある。アメリカでフェミニズムが力を持つにつれて女は外で仕事を持つようになり、夫婦共働きになった結果、家事と育児をだれかに託さなければならなくなった。金がある階層は不法移民の女性をそのためにやとう、という結果になった。それがアメリカではどんなにふつうのことか、他国の人には想像できないだろう。クリントン時代、検事総長に女性を任命したところ、以前不法移民を家政婦に雇ったということが発覚してその女性は地位を棒に振った。その代わりに指名された女性も同様の批判を受け、3人目でようやく女性を検事総長にすることができた(男の場合は「そんなことは知らない」と言えばそれですむ)。一定以上の階層なら、ワシントン一円で不法移民をやとっていない家庭はないのではないか、と当時私は思ったものだ。

そういう仕事があるから、メキシコや中米の女性たちが大量にアメリカに流れ込む。彼女ら自身の子供たちを少しでも人間らしい環境で育てるために、アメリカで他人の子供を育て上げ、家事労働をし、安い賃金を仕送りする。 その金で祖父母と暮らす子供たちは服を買ってもらったり学校に行かせてもらったりする。その代わり、母親とは会えなくなる。母親は「今度のクリスマスには」国に帰る、と子供たちに約束するのだが、その約束が守られることはない。来る年も来る年も母親は帰らない。帰れないのだ。 電話で話すことしかできず、母も子も切なさに涙にくれる。それが10年以上続く。子供たちは母恋しさのあまり、ある時ついにアメリカに行くことを決意するのだ。

子供たちもおとなと同じく警備員や強盗に怯え、コヨーテに報酬を差し出し、警察にわいろを贈る。

たとえ首尾よくアメリカに入国できてもそれで問題が解決するわけではない。母親に会えてもいっしょに住めるという保証はない。母親の住所・電話番号をなくしてしまった子もいる。映画では何人もの子供が「アメリカ人の養子になれれば…」と夢のようなことを言う。それは地位を保証されたいからだ。母親に会いたい、という動機とは矛盾しない。

砂漠で亡くなった少年のなきがらを引き取る家族の映像がある。「死ぬにきまっているものを、なんでこんな子供を家から出すのだ」となじる国境警備員もでてくる。ある少年は艱難辛苦(かんなんしんく)のあげく国境を越えることに成功するのだが、それほどの不屈の勇気を持つ彼も大砂漠を前にしてはさすがに生命の危険を感じ、国境警備隊に自首し、強制送還される。

「猛獣列車」の沿線にはところどころにこれら不法移民の旅路をすこしでも楽にしてやりたいとベッドや食事を提供するグループがいる。まったくのボランティア活動だ。「ことの善悪は問うところではない、生命の危険にさらされている人々を助けたい」と願うメキシコ人の熱意には胸をうたれる。

そういうグループのリーダーが移民たちを集めて演説する。汽車の旅の危険、警察や警備員による迫害、コヨーテの裏切りなどを力説する。砂漠をこえようとすることは死を意味する、とかんでふくめるように説明して、「前途をあきらめてここで汽車をおりる者はいないか」と聞いても誰も手をあげない。自分だけは、と思っているのだ。そう思わなくてはこんな旅に出はしない。恐怖にふるえる子供たちですら手をあげないのだ。


日本では「なにはともあれ法律を犯すのはよくない」と考える人が多いと思う。日本のように法治国家としての社会がよく機能して、人々が国家に帰属意識を持っているところでは「きまりをやぶる」というのは一番やってはいけないことだ。

でもその伝(でん)でいけばファンティーヌは街娼になった段階で法律を犯している。飢えた妹の子供のためにパンを盗んだジャン・ヴァルジャンはもちろんだ。

「レ・ミゼラブル」はそういう考え方に真っ向(まっこう)から反対した小説だ。ユーゴーは社会の偽善を徹底的に批判した。

その本が映画になり、ミュージカルになって興行される。みんなが高い金をはらってそれを見に行く。アカデミー賞のきらびやかな舞台でファンティーヌを演じた女優が賞賛される。

しかしその陰では何百人、何千人のコゼットが今日も母恋しさのあまり命をまとの絶望的な旅に出るのだ。
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