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皇太子発言 |
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2004年6月1日 |
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 | 中山 俊明 [なかやま としあき]
1946年4月23日生まれ。東京・大田区で育つが中2のとき、福岡県へ転校。70年春、九州大学を卒業後、共同通信に写真部員として入社。89年秋、異業種交流会「研究会インフォネット」を仲間とともに創設、世話人となる。91年春、共同通信を退社、株式会社インフォネットを設立。神奈川県・葉山町在住。 |
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皇太子の発言(5月10日)が世間を騒がせている。
雅子さんの体調について「この10年で自分を皇室の環境に適応させようと思いつつ努力してきましたが、そのことで疲れ切っているように見えます」と語ったあと、「それまでの雅子のキャリアや、そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です」。記者からこの発言の背景を問われ「なかなか外国訪問もできなかったということなども含めて、雅子も、私もとても悩んだということを一言お伝えしようと思います」と公式会見としては「異例の」というよりは「前代未聞」の「穏やかならぬ」発言だ。
案の定、テレビ、週刊誌が騒ぎ始めた。おおむね「またあの宮内庁がまた陰険なことを」という論調を展開しているのは皆さんご存知のとおり。湯浅・宮内庁長官は「欧州からご帰国後、殿下に至急お会いし、真意をうかがったうえでその内容を明らかにする」と約束した。
が、24日の皇太子帰国後も「お召し」がない。だからいまだに皇太子発言の真意は分からない(本日6月1日現在)。「至急会ってください」というお願いに対して「嫌だもーん」状態にある、とまあ、こういうことですね。
さて、マスコミは発言の真意を聞きたい、と迫るわけだが、いったい皇太子のどんな「お言葉」を聞きたいのだろう。
「雅子は皇室に嫁ぐにあたって大いに悩みました。でも、皇族になれば外遊の機会も多い。それならこれまでの外交官キャリアも生かせる。それが決断の大きな理由でもあったわけです。ところが実際のところ、これまでたった5回しか海外にはいけなかった。これは話が違うと、私はいま雅子から責められています」
「宮内庁のものたちは、『殿下、いまはお世継ぎのことだけをお考え下さい。海外旅行などもってのほかですぞ。雅子さまに男のお子さんを産んでいただかなければ、天皇制は崩壊です。秋篠宮・紀子さまの第三番目のお子様が男子だったらどうされますか。雅子さまは皇太后になれませぬぞ』と私を責めます。こういった言葉がどれほど雅子の心を傷つけたことでしょう」
というような発言を待っているのだろうか。だとしたらそんな発言はありえようがない。事実のほどは知らないし、あまり興味もない。「直接うかがったうえで、殿下のご真意を明らかに」します、と言いきってしまう宮内庁長官も理解不能だし、「宮内庁はあいかわらず変わっていない」といういつものとおりの責めかたをを繰り広げるマスコミもどうかしている、と思う。
またこういうときマスコミの求めに応じ、コメントを発する皇室ジャーナリスト、元宮内庁関係者の発言にも首を傾げざるを得ない。「殿下は会見を開き、国民に語るべきだ」。「開かれた皇室、人間的な天皇制をめざすべきなのに、隠蔽体質はかわらない」―はっきりいって僕には???の連続なのである。
皇太子に上記のような言葉を語れ、というのだろうか。それは非現実的だし、そんなことをすべきではない、いやする必要もない。「開かれた皇室」「人間的な天皇制」―それは言葉遊び、感覚論、感情論にすぎない。だったらマスコミ、いや国民のひとりひとりに問いたい。「皇室典範」という法律があるのをご存知ですか、と。
第1条 皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する。 第9条 天皇及び皇族は、養子をすることができない。
日本において、天皇および皇族だけがこの法律の対象になる。つまり彼らは「ふつうの人間であってはいけない」「天皇および皇族は非人間的人間でなければならない」ということを法律が定め、国民も同意しているのだ。
となると「人間的な天皇制」という言葉、概念自体が自己矛盾を起こす。「開かれた皇室」これも意味不明。なにを、だれに対し、どういう風に「開く」のか。そういう「論理的」「法的」な議論がなされないまま、世論、マスコミは宮内庁だけを袋だたきにし、「皇太子さまと雅子さまがおかわいそう」と悲憤慷慨し、一方的に溜飲を下げるのである。(関連テーマしばし続く)
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