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メナムの夕日 |
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2004年9月23日 |
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 | 吉田 美智枝 [よしだ みちえ]
福岡県生まれ、横浜市に住む。夫の仕事の関係で韓国ソウルとタイのバンコクで過ごした。韓国系の通信社でアシスタント、翻訳、衆議院・参議院で秘書、韓国文化院勤務などを経て現在は気ままな主婦生活を楽しんでいる。著書に『朝鮮王朝の衣装と装身具』(淡交社、共著)『韓国の近代文学』(柏書房、翻訳)などがある。現在、文化交流を目的とした十長生の会を友人たちと運営、活動している。 |
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▲ 琥珀のネックレス、ブレスレット、ピアス。 友人に頼まれてつくった。 この琥珀チップはロシア土産だという。 |
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▲ 花形に編んだリング。
テキーラ・サンライズというカクテルがある。オレンジ色のグラデーションが美しい。テキーラ・サンセットというのもあれば…。このテラスにはカクテルが似合う。
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バンコクに行くとよく立ち寄る天然石ビーズの材料店がある。その店は、チャルンクルン(英語名でニューロード)という古い通りにある。この通りはバンコクの西に位置し、銀製品や宝石、小物、タイシルクなどを売る店が立ち並ぶ。
この一帯の中心は、なんといってもザ・オリエンタル・バンコクであろう。チャルンクルンの通りからソイを200メートルほど入った河岸に立ち、作家サマセット・モームが定宿としていたホテルとして知られる。そのホテルの脇を、地元バンコクの人たちがただ“メナム(河)”と呼ぶチャオプラヤ河が流れる。
ホテル旧館の瀟洒な建物は、外観も客室も100年以上前から変わっていないそうで、建物をとりまく熱帯の樹木が美しい。ブーゲンビリアがホテル玄関をアーチのように覆い、それを抜けると天井の高いロビーからプールサイドの中庭が見渡せる。大理石のロビーの右側をすり抜け廊下伝いに足を進めるとリバーサイド・テラスがある。
私はこのテラスに座り夕日が河のむこうに沈んでいくのを眺めるのが好きだ。席からは眼下に水面が迫り、大小さまざまな舟が行き交うのが見える。夕暮れが近づくころ、夜の気配を纏ったやわらかな河風が通り抜け、心地よい。
対岸との間を往来する小さな渡し舟が夕日に染まり、きらびやかな船体がネオンの色に染まるころ、泥の色をした河はすっぽりと美しい闇に包まれる。昼と夜の落差、そしてこの2つをつなぐ夕暮れどきの美しさはバンコクの魅力のひとつであろう。
この文を書いている途中、私は辻仁成という作家が書いた「サヨナライツカ」という小説を読んだ。バンコクを舞台にした日本人男女の若き日の出会いと、歳月を経ても色あせない情熱が描かれている。小説にはこのホテルやテラス、界隈の情景、タイの日本人社会などがかなり詳細に描かれており、この作家の取材の足跡が実感された。
小説というものを読まなくなって随分経つが、この小説を読んでみようと思ったのは、バンコクが小説の舞台だと聞いたからである。読み進むうち、バンコクの街並みや空気までもが私の脳裏に蘇ってきて、一気に読み終えてしまった。
驚いたことに、この小説には私自身なんらかの形で縁があると思われる人びとが登場している。登場人物たちは、実在の人物がモデルか、または一人の人物の中に幾人かの知人たちが混在しているように思えた。
無論、これはあくまでも小説であり、登場人物たちのキャラクターやストーリーは取材をもとに創り出されたものであろう。だが、かれらがこのホテルの廊下や馴染み深い通りを歩き始めたとたん、物語は現実味を帯びて見え始め、私はその符合に落ち着かなくなってしまった。
作家というのは、30代の若さでも50代半ばを過ぎた男女の心理が描ける人たちなのだと感心する一方で、この作家が主人公と同じ年代になってこの小説を書いたとしたら、同じように描くだろうかと思いをめぐらせたりした。
このテラスには、フランスやドイツなどヨーロッパから旅行に来た人びとが圧倒的に多い。彼らは、いまだ昼間の熱気冷めやらないテラスの席に延々と腰を下ろし、河面をただ眺めている。
彼らを見ていると、このテラスに座るためにはるばるやってきたのではないかとさえ思えてくる。ヨーロッパから見ると東の果てにあるこのホテルは、彼らにとって文字通り憧れの“東洋”(オリエンタル)なのである。
バンコクの街には、整然としたシンガポールやクアラルンプールの街にない猥雑さがある。毎晩がお祭りのような夜の歓楽街、そしてその明るさと同じだけの闇を想像させる裏通り。カオスのような混沌とした街の魅力と、ホテルの独特の雰囲気に人びとは吸い寄せられてくるのだろう。
メナムといえば、古都アユタヤ観光の帰りの船オリエンタル・クイーンズ号が、約4時間というゆっくりとした河下りの後に辿り着くのがこのホテルの船着場であった(注)。船が船着場に接岸するころ、桟橋付近は薄い闇に包まれ、木々にはイルミネーションが灯る。
この時間、チャルンクルンの通りは車でごった返し、クラクションの音が一段と高くなる。この雑踏の尋常でない渋滞に巻き込まれたらなすすべはない。ただ、街が夜の顔に変貌していくのを眺めながら車の流れに身を任せるだけである。メナムのようなその流れに…。
渋滞…バンコクでは人を待たせた時の最も優しい、そして許される言い訳となる。その理由が本当か嘘かは別として…。
(注)このオリエンタル・クィーンズ号は現在運航していない。現在は、ザ・オリエンタル・バンコクの隣にあるリバーシティ(ショッピング・モール)へ接岸する船などいくつかの水上バスが運航されている。
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