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釈明不要 |
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2004年6月16日 |
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 | 中山 俊明 [なかやま としあき]
1946年4月23日生まれ。東京・大田区で育つが中2のとき、福岡県へ転校。70年春、九州大学を卒業後、共同通信に写真部員として入社。89年秋、異業種交流会「研究会インフォネット」を仲間とともに創設、世話人となる。91年春、共同通信を退社、株式会社インフォネットを設立。神奈川県・葉山町在住。 |
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▲ 赤ちゃんのお宮参りだって、カメラ持込禁止ゾーンがある。神聖さを保持するためという理由で、神殿前と神主さんのお祓いシーンは撮れない。(東京・赤坂の乃木神社) |
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「すべて普通の国民と同じ生活をするということでは、ほんとうの象徴としての国民の尊敬を集め親愛を得ることにはならない。それはある意味において自由が一部ないということだ」。
これは宮内庁長官の衆院内閣委員会でのれっきとした発言だ。当然ながら議事録にのっている。ただし、現在の話ではなく、今から45年前の昭和34年2月、時の宮内庁長官・宇佐美毅氏が「皇族の自由」について答弁したもの。
この発言の真意をのちに直接きいた、元宮内庁担当記者(研究会会員、KIさん)に宇佐美さんはつぎのように答えた、という。とうぜんながらオフレコ発言だが、宇佐美さんは故人だし、もういいだろう。
「日本には、天皇・皇族についていろいろうるさい人がまだいるから、そうそうオープンな形で皇族の姿をさらすわけにはいかないよ。写真だって、あんまり下世話なものを出したら、こっちが叱られるんだ。お寺のご本尊の公開だって年に1度か2度、あんまり公開するとありがたみがなくなるというわけだ」。
むかしはさばけたお役人がいたもんだなあ、と思う。想像だが、「あまり開け、開けといいなさんな。天皇も私たちと同じ人間だよ。とはいえ、同じ人間であってはいけない存在なんだ。レースのカーテン越しに見てもらうぐらいの距離にいていただかないと困るんだよ。『開かれた皇室』なんて、野暮はいいなさんな」というあたりが宇佐美さんの「真意」ではなかったろうか。
長官の苦衷、というか苦笑いの情景が浮かぶような話ではある。「皇室と国民のあいだで仕切りのブロック役を果たす」という意味では、宮内庁の体質はむかしも今も変わっていない。変わったのは、マスコミと「奥」のあいだで、頑固ではあってもさばけた対応ができる、人間味のある役人がいなくなった、ということだろう。宇佐美さんは天皇制の本質をよくわきまえていた。
今回の皇太子発言に関し、天皇は宮内庁側近に対し次のような「お言葉」を伝えたという。
「(誤まった)報道の多くが、家族の問題にかかわる憶測であるならば、いちいち釈明することが国民のためになるとは思われない」
つまり「釈明は不要」。冷静かつもっとも妥当な判断だと思う。宮内庁がいったんマスコミに抗議すれば、「報道のどこがまちがっているのか」を聞かれ、それをまた次々に証明しなくてはならなくなる。やがては国民のあいだに「なんだ、皇室といえどもわれわれ庶民と同じではないか」という思いが蔓延してくる。それがいちばんよくない。現天皇はそのことがよく分かっている。ここは沈黙、説明も釈明もせず、ただ静かにレースのカーテンの背後にいて、時が過ぎ、人々が忘れるのを待つ。
今回の皇太子発言はやはり若さの露呈、としか思えない。家族問題であるなら、それは天皇の言葉とおり、家族内で解決すべき問題だ。役人への不満なら、もっと違ったやり方がある。部下批判を公開の場でやるのはよくない。マスコミへの不満なら、マスコミとはそういうものです、というしかない。つまりどれが原因だとししても、公けの場で発言しても詮無いことだし、結果的には「貴族」としての「品位」を落とす。
ある若い女性と皇太子の発言の話をしていて「沈黙はキン、という言葉を知ってる?」とたずねたら、「キンは禁という字ですか」と返されて度肝を抜かれた。しかし、うーん、「沈黙は禁」か。情報公開時代にはふさわしい言葉かもなあ。皇太子も時代の子、「沈黙は金」より「沈黙は禁」をあえて選択されたのかなあ。
もしそうだとすると、今回の一件は、「宮内庁改革のきっかけ作った発言」「皇室典範を改正させた皇太子」として歴史に残るものになるかもしれない。
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