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縁の下のバイオリン弾き
71 となりの芝生
2013年5月15日
西村 万里 西村 万里 [にしむら・まさと]

1948年東京生まれ。大学で中国文学を専攻したあと香港に6年半くらし、そのあとはアメリカに住んでいる。2012年に27年間日本語を教えたカリフォルニア大学サンディエゴ校を退職。趣味はアイルランドの民族音楽 (ヴァイオリンをひく)と水彩画を描くこと。妻のリンダと旅行するのが最大のよろこび。
▲ フランツ・リスト
日本から甥が私たちを訪ねにサンディエゴに来てくれた。おみやげとしてわたしに村上春樹の最新作「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」をくれた。これはとてもありがたかった。発売されると1週間で100万部売ったというほど人気のある小説だから手に入れるのはたいへんだっただろう。

表紙には題名と作者名のほかに、その題名の英訳が印刷されている。それは

Colorless Tsukuru Tazaki and His Years of Pilgrimage

というものだ。なるほど日本語に対応している。

この英訳は誰が考えたものだろう。村上春樹は翻訳もする人だから自分で訳したのかもしれない。しかし、他の本で著者が英語に堪能でなかった場合、出版社の社員が勝手にでっちあげるのではないかと私は疑っている。

いったい日本語で出版された本に英語の題名をつけるという習慣はいつごろからはじまったのだろう。またなんでそんなことをするのだろう。

たとえ外国人が英名にひかれてその本を手に取ったとしても中はすべて日本語だから日本語を勉強した人でなければ読めるはずがない。村上春樹の小説がすらすら読めて内容に感服する、なんて外国人がそうそういるとは思えない。そういうひとにぎりの外国人のために何百万部も売れる小説のカバーすべてに英語の題名を印刷するのだろうか。

そうではあるまい。これはそうした方が「かっこいい」と思われているためなのだ。日本国内でしか読まれない本ならどんな英語をつけようがそれは日本人の間だけの冗談ですむ。事実冗談みたいな英語の題名がはんらんしている。

でも村上春樹はノーベル賞をもらうかどうかが話題になるほど国際的に有名な作家だ。そんな作家の著作を「かっこよく」することが必要なのか。またそのほうが日本人にとって「かっこいい」としても、その題名を読むことを想定されている外国人にとってそれが「かっこいい」と映るのかどうか考えたことがあるのだろうか。

私は想像する。日本の大型書店に英語の雑誌を買いに入った外国人があたりを見回し、本に印刷されている英語の題名を読んでふしぎな感じを持つだろうことを。

「そんなことをするのは外国人に対してみっともないからやめなさい」と言っているのではない。外国人にどう映ろうがかまわない。でもそういうことをする日本人の精神構造には興味がある。

私が出版社の編集長だったとしよう。有名な作家の原稿が出稿され、校正も終わり、みごとな造本で見本ができた。しかしなにかが足りない。カバーにおどる題名も非の打ちどころがないのだが、今ひとつパンチに欠ける。その時に「ここに英語の題名があったらいいんだがなあ」と思う。そう思うから一歩をすすめて英語の題名を印刷するのではないか。英語がなにやら日本語とは別種のすぐれたクォリティーを英語であるがゆえに持っている、あるいは英語の字面のほうが迫力がある、という錯覚があるのだと推察される。

10年ぐらい前に父が亡くなったとき、私は遺品のなかに小堀四郎の展覧会のカタログをみつけた。小堀四郎は森鴎外の娘と結婚した画家だ。父は鴎外が好きだったから、その関連で小堀の展覧会を見たのだと思われた。

私は小堀の絵をみてそのサインにびっくりした。S. Coboritと書いてあるのだ。フランス語ではKは外国語にしか使わず、そのかわりにCを使う。Tはサイレントで読まない。したがってCoboritと書いて「コボリ」と読ませるわけだ。でもどうしてそんなつづりにしなくてはならないのだろう。Koboriじゃだめなのか。なんだか中学生の遊びのようなことをいい大人がやっている。その裏にすけて見えるのは名前だけでもフランス人になりたい、というぬきがたいあこがれだ。英語の題名を日本語の本につけるというのもそれと似たような話だ。

しかし本当に英語の題名がうまく納まるためには実は本の作り方から変えなければならない。日本の人はそんなこと考えたこともないだろうが、欧米人にとっては日本の本はとてもふしぎに見える。どうしてかというと、日本の本は彼らの本が終わるところから始まるからだ。

英語の題名はもちろん左から右に読む。それがしっくり来るのは我々にとっての裏表紙だ。要するに本文も横組みにして英語と同じように左から右に読むようにしなければ、英語とは調和しない。

横組みの本がないわけじゃない。でもそれは少数だ。ふつうの人は英語の参考書か理科の教科書ででもないかぎり、横組みの本を読みたいとは思わないだろう。

中国では革命後すべての本を横組みにするようにしてしまった(台湾・香港を除く)。だから中国語の本に英語の題名をつけてもそれほどおかしくない。でも縦組みで右から左に読む本に英語の題名をつけるのはおおげさにいえば文化の衝突だ。(誤解のないようにことわっておきたいのだが、これは日本語が「特殊」だからではない。右から左に読む言語はめずらしくない。縦組みの中国語、アラビア語、ペルシャ語、ヘブライ語、みなそうだ。日本人は欧米と異なった自国の風習を「特殊」だと速断する傾向があるがそれは誤りだ。)

それは見てくれのことだけれど、英語の内容そのものにも問題がある。先にも書いたように私はその英訳が出版社の社員によるいいかげんなものだと思うのだ。

例は無数にあるが、ここでは村上龍の「心はあなたのもとに」という本をあげよう(2011年出版)。私はこれを読んだわけではない。でも新聞の広告には題名の英訳がついていた。それは、

I’ll always be with you, always

というものだった。くだけた話し言葉をそのまま使っている。これは本の題名として異様である。

作中にこのような英語のせりふが出てきてそれを引用しているのだ、とか口語調のタイトルを付けることに意味があると確信犯的に考えた、とかの可能性がないわけではない。でも原題は「心はあなたのもとに」という端正なものだ。

「オールウェイズ」を2回続けるのはおかしい。1回で十分だからだ。もっともこういう言い方がまったくないわけではない。強調のためだ。でもそれは口語であって、しかも口で言ったとしても舌足らずの感をまぬがれない。まして本の題名ならなおさらだ。文章で強調したいのならば「オールウェイズ」と言わず、他の言葉を使うところだろう。たとえばforever(永遠に)とかtill the end of time(時の終わりまで)とかいうように。

これは「いつまでも」は英語でalwaysというのだ、強調したいときには日本語で「いついつまでも」というように言葉を重ねればいいのだ、と単純に信じ込んだ人の発想だ 。

そんな社員になぜ英訳を任せるのだ。村上龍の小説を出す会社なら大出版社だろう。すこし金をだせばネイティブの英語人がやとえるはずではないか。専任の係がいなくても誰かに聞いてみればいいではないか。

でもそうしないのは「どうせ誰も読まないんだから」という軽い気持ちがあるからにちがいない。

それならそんな英語の題名をつける必要はもともとなかった。

村上龍のこの本が英訳されないという保証はない。その時にこういう英語の題名( ”I’ll always be with you, always” )がついていれば、訳者はそれを使わざるを得ない。それでいいのだろうか。

ちょっと想像してみてください。もし日本語が英語のような国際語になっていたとしたらどうだろうか。そして世界中で自国の本に日本語の題名を併記することが流行していたとしたら。

たとえばカフカの有名な小説に「変容」という日本語の題名がついていたら日本語の訳者はそれを受け入れなければならないのだろうか。「変身」としたくても手を縛られてしまうのだろうか。あるいは「脱皮」と書かれてあったとしたらいったいどうすればいいのだろう。

村上春樹の本にもどって、英語の題名を検討してみよう。Colorless Tsukuru Tazakiだが、書名としてはThe Colorless Tsukuru Tazakiとtheをつけるほうがふつうだ。つけない場合もあるけれど、たいていは The Great Gatsby(「グレート・ギャツビー」), The Invisible Man(「透明人間」), The Talented Mr. Ripley (「リプリー」-- 映画「太陽がいっぱい」の原作小説)といったぐあいだ。

この本の出版を報じた英米メディアは(まだ英訳もないのにそういう報道があるというほどこの小説の出版は事件なのだ)すべて“Colorless Tsukuru Tazaki”に統一している。英国のメディアはColorlessをわざわざColourlessとイギリス流のつづりに変えてしまっているほどなのに、それでもtheをつけていない。日本でさきまわりしてそういう題名にしてしまったので、それを変えることがはばかられるためだ。

Colorless Tsukuru Tazaki が「色彩を持たない多崎つくる」という多義的な題名を過不足なく訳しているとは言いがたい。Colorlessというと「つまらない」という意味(だけ)にとられてしまうおそれがある。じゃあ、どう言えばいいんだ、といわれたって私にはわからない。しかし、そもそもそんなことはこの小説が英訳される際に訳者が頭をひねることではないか。何も今のうちから日本人がおせっかいを焼くことはない。Colorless Tsukuru Tazakiよりも英語としてずっと適切で魅力的な題名を思いつく才能のある訳者がでてくるかもしれないではないか。

英訳名の後半、His Years of Pilgrimageというのは何だろうか。原題の「巡礼の年」はフランツ・リストのピアノ独奏曲集に由来している。作中に「巡礼の年」中の一曲、Le mal du pays(「郷愁」)に何度も言及がある。ということは「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」という題名をもし外国語に訳すならばフランス語こそもっとも適当な外国語ではなかっただろうか。

そんなことにはおかまいなしだ。英語でなけりゃかっこよくないのだ。

1987年に出版された俵万智の「サラダ記念日」にはSarada Kinenbiと書いてあった。ローマ字というところが時代をしのばせる。今ならさしずめ Salad Anniversaryとでもしなければおさまらないところだろう(実際に英訳本の題名はSalad Anniversaryだった)。同じ著者が1992年に出した「俵万智のハイテク日記」には Alice in hi-teck landというつづりも変なら意味も不明の副題がついていた。「ふしぎの国のアリス」を連想したんだろうが、それがいいと思っているならなぜ日本語の原題のほうを「ハイテクの国のアリス」としなかったのだろう。それはさすがにできないというのに、英語の方でだけお調子にのっている、というのはむなしい。

万が一英訳されることになっても、この題名では売れ行きにも影響するだろう。出版社にとってもひとりよがりな英語をつけるのは得策ではないと思う。

それより何より、「ことば」を商売道具にしている作家ともあろうものがへんてこりんな英語の題名になんの文句もつけない、というのが私には信じられない。
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