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縁の下のバイオリン弾き
73 宗教の周辺(2)ヘズース
2013年6月15日
西村 万里 西村 万里 [にしむら・まさと]

1948年東京生まれ。大学で中国文学を専攻したあと香港に6年半くらし、そのあとはアメリカに住んでいる。2012年に27年間日本語を教えたカリフォルニア大学サンディエゴ校を退職。趣味はアイルランドの民族音楽 (ヴァイオリンをひく)と水彩画を描くこと。妻のリンダと旅行するのが最大のよろこび。
▲ 「グラン・トリノ」のクリント・イーストウッド
ブルース・ウィリスの「ダイ・ハード」シリーズの3本目だったと思う(最近のは見ていないので合計何本になったのか知らない)。サミュエル・L・ジャクソンと共演した映画があった。

ジャクソンがハーレムの住民から「ヘズース」と呼ばれているので彼のことをまだよく知らないウィリスがなんの気なしに「ヘズース」と呼ぶとジャクソンが怒る。

「おれがプエルトリコ人に見えるか」「だってみんなヘズースって呼んでるじゃないか」「ちがう。ヘズースじゃない、あれは『ヘイ!ズース!』っていったんだ。おれの名前はズースっていうんだ」(ズースは『ゼウス』のこと)。

ここで「ヘズース」といっているのはJesusのスペイン語読みだ。本来のスペイン語ではにごらないで「ヘスース」と読むのだが、映画の舞台のニューヨークではスペイン語のさらに英語なまりで「ヘズース」という。

黒人のジャクソンがプエルトリコ人に見えないのにスペイン語の名前を持っている、という最初の設定におかしみがあるわけだ。もっともプエルトリコ(カリブ海にあるアメリカの領土。19世紀末までスペイン領だったので住民の大多数はスペイン語を話す)にも黒人はいるだろうし、かれらがスペイン語を話しても全然おかしくないのだけれど、ニューヨークではプエルトリコ人といったら典型的なヒスパニック(中南米系)だと思われている(そういえば「ウェスト・サイド物語」で対立しているギャングの片方はプエルトリコ人の若者たちでしたね)。

ウィリスの誤解は、ジャクソンの名前がジーザス、つまりイエス・キリストのイエスだと思ったことだ。ところが実際の名前はギリシャ神話の最高神、ゼウスだった。どちらも神様の名前であるところがおもしろい。

英語にはジーザスという人名はない。ありとあらゆる聖人の名前が使われる英語で、イエスは神様だからおそれ多くてつけられない、ということがある。

またこれとは正反対の事情だが、英語で「ジーザス!」といったら「こんちくしょう!」みたいな汚い表現になってしまう。これはなぜか。

モーゼの十戒に「主の名をみだりに唱えてはならない」とある。神様は神聖なので気安く呼んではいけないのだ。だからキリスト教徒が神の名を口にする時は本来ならばよくよくのことだ。

ところがその「よくよくのこと」というのを逆手にとって神の名を使って強い意味をあらわす、という習慣ができた。このごろ日本の若い人たちにも愛用されている“Oh, my God!”(「オーマイガー!」)なんかが典型だ。これはびっくりした時に使う。教会は当然目の敵(かたき)にする言い方だけれど、だからこそ「権威に反抗する」という意味でおもしろがって使われる。

そのなかでイエスの名を呼ぶのは一番いけないこととされている。そんなことをすれば良識のある人々からは眉をひそめられる。だからごくごく悪いことばだ、ということになってしまう。

そのために英語には「ジーザス」という名前がないのだけれど、スペイン語の「へスース」はかなりふつうの名前だ。スペイン語圏では子供に「イエス」の名をつけてその名で呼ぶことは十戒に抵触(ていしょく)しないらしい。

それで「ダイ・ハード」の語呂合わせが成立するわけだ。ついでにいうと「ヘズース」と「ヘイ!ズース!」ではずいぶん違うじゃないか、と思われる方もおられようが、英語ではその「ヘズース」を「ヘィズース」というように発音するからもうまったく同じなのだ。

いつだったか私は明治のおやとい外国人の中に「パテルノストロ」という姓のイタリア人がいたということを知った(Alessandro Paternostro, 1852-1899)。この人は法律顧問だったそうだ。私はイタリア語は全然わからないが、スペイン語から察するにこの名は「われらが父」という意味だろう。「われらが父」といってもそんじょそこらに転がっているお父さんではなく、「天にましますわれらが父よ」という祈りの中の父、つまり神様のことだ。イエスなどではなく、神様を名前にしているわけで私はおどろいた。
 
それがきっかけになって私は日本の「神」がついている苗字に気をつけるようになった。

横溝正史の小説には「犬神家の一族」というのがある。でもあれは小説だから実際にそういう姓の人がいるのかどうかわからない。

山田盟子「ウサギたちが渡った断魂橋」に大神佐七という女郎屋の主人の名がある。

ある年の死亡広告で私は神彰(じん・あきら)という人のことを読んだ。作家の故有吉佐和子の前夫だったということだ。

また私の学生の中に先祖は沖縄出身だという龍神(りゅうじん)という姓の日系アメリカ人がいた。

こうしてみると日本にも「神」という字の入った姓がないわけではない。けれども、そんな神は八百万(やおよろず)の神々の一員にすぎない。唯一絶対のキリスト教の神とは比べものにならない。

神様だけではなく、天使もスペイン語では名前になる。男の場合は「アンヘル」という。英語でいうAngel(エンジェル)のスペイン語読みだ。その女性形がAngelaで、これは「アンジェラ」という読み方で英語の名前にもなっている。アンジェリーナはその変形だ。

「アンジェラ」はあるのに、「エンジェル」という男性形の名前は英語にない。私が察するところ、「天使のような」と形容できる女性はたくさんいるが、「天使」と呼べるほどの男はなかなかいない、からではないだろうか。

「イエス」や「天使」という名前のスペイン語圏の男達は気恥ずかしくないのだろうか。いや、それより以前にそんな名前をつけられてしまったらそれが手かせ足かせになってやりたいこともできないようになってしまうのではないだろうか。


私が住んでいるサンディエゴ市には野球球団があってその名前を「パードレーズ」という。この「パードレ」はもともとは「父」という意味のスペイン語だが、英語でパードレと言うとふつうはカトリックの神父をさす。サンディエゴはスペインの神父達がカリフォルニアに「ミッション」という教会を中心とした共同体を建設した最初の場所だから、それにちなんで「(サンディエゴの)神父たち」という球団名にしたわけだ。

日本にキリスト教が伝えられた頃(16世紀)、この「パードレ」という言葉が 漢字で「伴天連」と書かれた。

近代以前にはひらがなの書き方が一定しておらず、いろいろな書き方があった。これを「変体仮名」という。たとえば「め」という字は「女」に由来しているが、そのほかに「免」という書き方もあった。「な」は「奈」から作られたけれど、「那」と書いてもよかった。「ほ」は「保」の略字だが、「本」と書いても受け入れられた。そのなかで「れ」は「礼」だけではなく、「連」とも書かれた。

また「て」は「天」という字から生まれた。

だから「伴天連」は「はてれ」ということなのだ。「ぱーでれ」と読んだのだろうが、それを書くのに当時半濁音(「ぱ」)も濁音(「で」)も 長音(「ー」)も書き方が確立していなかったので「はてれ」と書くしかなく、それを漢字にして伴天連と書いた。

その漢字が普及すると信徒ではない一般人に「ぱーでれ」ではなく「ばてれん」と読まれるようになった。「ばてれん」というと私の年代では「南蛮バテレンの妖術」などというおどろおどろしい言葉が連想される。だけどもともとは「父」というなんのへんてつもない言葉だ。

西洋ではカトリックの信徒は司祭に対して「父」と呼びかける。それは彼が「天にましますわれらが父」を代表しているからだ。

ところが日本では見も知らない他人を「お父さま」や「父上」と呼ぶことがどうしてもできなかった。それはそうだろう。日本のように家父長制度でこりかたまっていた国で他人を「父」と呼ぶことはその制度を混乱させるばかりでなく、心情的にも乗り越えられない大きな障害があっただろうから。

そのために昔のキリシタンは「父」のかわりに「ぱーでれ」と原語(この場合はポルトガル語)を使ったのである。明治になるとそれでは困るので「神父」という言葉を使うようになった。

私はこの便宜的な発想がもたらした影響はたいへん大きいと思う。神父という言葉はもともと中国語の訳語だったのだろう。中国でも司祭を「父」と呼ぶことは受け入れがたいことだったと思われる。しかしヨーロッパの諸言語ではどこでも「父」と呼ばれる。

英語を話している中で「パードレ」とわざわざスペイン語を使う人はたいていカトリック以外のキリスト教信者だ。あまり尊敬した使い方ではない。けいけんなカトリックの信者は「ファーザー」と呼びかける。「ファーザー」ですよ。たとえどんなに信者のほうが年上で社会的地位があってもそれは関係ない。神父は「ファーザー」なのだ。

クリント・イーストウッドが監督した2008年の映画に「グラン・トリノ」という作品がある。イーストウッドは妻を亡くした偏屈(へんくつ)な年よりを演じている。妻の葬式で教会の神父――まだ神学校をでたばかり、というような若者――が一生懸命かれと心を通わせようとするがイーストウッドはうけつけない。「あんたなんか頭でっかちの童貞じゃないか」などとひどいことを言う(カトリックの神父は妻帯しない)。その時には「パードレ」と軽んじた言い方をしているのだが、後に神父の地域社会に対する献身ぶりに感動すると、自分の孫のようなその青年を「ファーザー」と呼ぶ。(余談だがこの映画にはベトナム戦争でアメリカ軍に協力したために国――ラオス――を捨てざるを得なかったモン族が登場する。アジア系の少数民族をあつかったアメリカではめずらしい映画だ)。

欧米の神父は「ファーザー」なのだから信徒に「息子よ」「娘よ」と呼びかける。

こういうふうに司祭を「父」とみなして彼を「父上」あるいは「お父さま」と呼ぶのでなければカトリックの教義はほんとうには身につかないのではないかと思う。それを「神父」だなどと新しい言葉を発明して司祭と信徒の擬似的親子関係を覆い隠してしまった。

日本では「神父さま」が信徒に「息子よ」などということはない。

神父だけではない。修道士は英語では「ブラザー」と呼ばれるし、修道女は「シスター」だ。(「シスター」は日本でも英語でそのまま使われる)。

16世紀の日本では修道士はポルトガル語で「イルマン」と呼ばれ、伊留満と書かれた。「兄弟」という意味だ。ヨーロッパ諸言語では兄も弟もひっくるめて「ブラザー」のように呼ぶ。ブラザーたちは平等なのだ。だから英語には「ヘイ!ブラザー!」のような呼びかけがある。

でも日本人にはそれではこまるのだ。兄か弟かどちらかにしてもらわないと呼び方すら決められない。

日本でキリスト教が普及しないのも理由のないことではないと思う。基本的なよびかけと、それがよって立つ思想すら通用しないのだから。


(追記1)キリスト教では「三位一体」(さんみいったい)といって、「父」と「子」と「聖霊」がひとつになって「神様」である。その「父」がわれわれがふつうに言う「神様」で、「子」がイエスだ。「聖霊」というのはなんだかよくわからない。

(追記2)私はカトリック教会のことしか知らないので新教の牧師のことにはふれなかった。
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