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95 マキシミリアン (Maximilian)
2008年5月13日
齋藤 恵 齋藤 恵 [さいとう・さとし]

1948年埼玉県生まれ、1970年に大学卒業後、時計メーカーの輸出部門に就職。8年間の勤務の後、宮仕えには向かない自身の性格を認識して、父の経営していた小売店 (創業1912年 = 大正元年)に転身しました。歴史、風土、絵画、言語等に関心が強く、駄文ながら文章を書くことがストレス発散の手段のひとつになっています。ささやかながら、会社を経営するというのはそれなりにたいへんです。ここに書かせていただくことは、そうしたストレスの大いなる発散のためですので、お読みになる方もどうぞお気軽に。

















マキシミリアン (Maximilian)


いったん描かれた絵画が、なんらかの理由で破損の憂き目に遭い、それがまた完全ではないにせよ、修復されて現代に伝えられているというものは、けっこうあります。

このエッセイでも取り上げました、記事番号28番(2006年6月3日書込)、「切り分けられた名画、ショパンとジョルジュ・サンド」などもその一例です。

絵画史上でも肖像画の傑作として知られる、ウジェーヌ・ドラクロワ(Ferdinand Victor Eugène Delacroix, 1798 〜 1863) が描いたフレデリック・ショパンとジョルジュ・サンドの肖像画は、実は何らかの理由で後日切り分けられたものであったというものです。

もっとも、このドラクロワの絵の場合を含めて、破損はほとんどの場合、描いた画家本人がやったものではなく、後日、別の人物がなんらかの理由でやらかしたものです。

ところが、上の絵 「マキシミリアンの処刑 (The Execution of Maximilian)」は、作者である、エドゥアール・マネ (Edouard Manet, 1832 〜 1883) 本人が、自分自身の手で、いくつもの部分にバラバラに切りはなしてしまったのです。

それをまた後日、画家のエドガー・ドガ (Edgar Degas, 1834 〜 1917) が集めて再構成し、貼り合わせたのが上の絵です。現在、ロンドンのナショナル・ギャラリーに収蔵品として展示されています。3年ほど前に現物をじっくりと見て参りました。ご覧の通り、修復された画の左下、右下などが大きく虫食い状態ですが、こんな状態で、こんなに有名な絵は、私の知る限りこの1枚だけです。極めてめずらしい例です。作者のマネが、自分の作品をなぜこんなふうに壊してしまったのか、実は私も知らないのですが、どなたかご存じではないでしょうか?

ところで、この絵のテーマとなっている、メキシコのマキシミリアン皇帝とは、どんな人物で、どのような運命をたどったのでしょうか? それがわからないと、上の絵も理解できないと思いますので、ちょっとご紹介させていただきます。

マキシミリアンはオーストリア・ハンガリー帝国の最後から2番目の皇帝、ハプスブルグ家のフランツ・ヨーゼフの弟です。

19世紀に至って、中世以来、永く権勢を誇って来たハプスブルグ帝国の屋台骨は様々な矛盾や問題を抱えて、かなりいたんでいました。そういう不幸な時期に、フランツ・ヨーゼフはオーストリア皇帝に即位したのです。1848年のことです。

以来、第1次世界大戦半ばの1916年11月21日に病没するまで、なんと68年間も在位したわけでして、たいへんな時代にご苦労なことだったと思います。

その皇帝フランツ・ヨーゼフは、即位5年後の1853年に、1人のハンガリー人から狙撃されました。銃弾は皇帝の外套のボタンに当たっただけで、身体を傷めるまでには至らず、ことなきを得ました。

ウィーンにあるフォーティフ教会というネオ・ゴシックの教会は、青年皇帝、フランツ・ヨーゼフの弟、マキシミリアン大公が発起人となって、この時の皇帝の幸運を神に感謝して建立したものなのだそうです。

ところで、マキシミリアン大公のその後の人生はまことに数奇を極めています。

1855年に起きた、メキシコの革命に際して、フランス、イギリス、スペインの3国が内政干渉に乗り出しました。中でも一番熱心だったのは、ナポレオン3世のフランス帝国(その当時は第2帝政の時代でしたから帝国です)でした。ナポレオン3世の思惑は革命を鎮圧し、しかる後、傀儡政権を樹立、メキシコをフランスの植民地にすることだったのです。いかにも野心たっぷりのこの人物らしい発想です。

出兵という内政干渉のおかげもあり、革命の騒擾は一時的に鎮圧されました。そして自らもナポレオン1世の甥であることを表看板にしていたナポレオン3世は、近い将来フランスの植民地となるべきメキシコに帝国を樹立させ、その皇帝に、オーストリアから送り出した、マキシミリアン大公を据える事に成功したのです。1864年4月10日のことでした。いったいどんな「へ理屈」をつけたのか、詳細は知りませんが、要は政治の世界では、どんな屁理屈でも可能だという一例でしょうね。

その結果、マキシミリアンは奇妙な皇帝としてフランス軍とともにメキシコの地に3年間居る羽目になりました。きっと本人も居心地はよくなかったことでしょう。

ところがメキシコには、もともと政情不安定な条件は十分過ぎるほどありましたので、間もなく革命が本格的に再燃しました。今度は本物でした。情勢は悪化の一途をたどり、フランス軍は1867年3月12日、メキシコから撤退しました。

マキシミリアンは、ハプスブルグ家の意地を見せたのでしょうか、フランス軍と共にヨーロッパへ帰ることを拒み、その結果、革命軍に捕らえられ、1867年6月19日に銃殺されてしまいました。在位わずか3年でした。

もっとも、裏で糸を引いていたナポレオン3世自身も、その3年後の1870年、 普仏戦争の敗北により失脚して、ロンドンに亡命したわけでして、ひとつの時代の終焉だったのだと思います。

マキシミリアンの皇后であったベルギー皇女シャルロッテは、革命戦争中の1866年にメキシコからオーストリアに帰り、フランツ・ヨーゼフ皇帝に対し、マキシミリアンの支援嘆願に奔走していましたが、夫の刑死を聞いて精神に異常をきたし、その後なんと約60年間、正常な精神に戻ることなくベルギーで暮らし、1927年に他界しました。

もちろん、ナポレオン3世の失脚どころか、第1次世界大戦や、オーストリア帝国の崩壊も何も知らずに死ぬと言う、まあ見方によれば幸せな最期だったのかもしれません。

それにしても、オーストリア帝国末期のハプスブルグ家には、まったく不幸と不運がよくも次々と襲いかかったものですね。1853年の皇帝狙撃事件では幸運にも犠牲にならずに済んだのですが、その後の不幸はこんな具合でした。

1)メキシコ皇帝、マキシミリアンは革命のため銃殺(1867年6月19日)

2)一人息子のルドルフ大公が前代未聞の心中事件で死亡(1889年1月30日)

3)マキシミリアンに次ぐ皇位継承者の皇弟カール・ルートヴィッヒ大公は当時流行した聖地巡礼の旅に出、その時ヨルダン川の水を飲み、赤痢で死亡(1896年)

4)皇后エリザベートの妹、ゾフィーがパリで火災により焼死(1897年5月4日)

5)皇后エリザベート、旅先のジュネーブでイタリア人アナキストにより暗殺(1898年9月10日)

6)赤痢で死んだカール・ルートヴィッヒの息子フランツ・フェルディナント大公が、サラエボでパレードの最中、銃撃され、妻を巻き添えにして死亡。この事件が引き金となって第1次世界大戦が勃発し、その結果オーストリア帝国は消滅(1914年6月28日)

いかがですか、まるで皇后エリザベートが言ったように、「呪われている」とでも思いたくなるような、ハプスブルグ家の末期ですね。時代にまったく合わない支配体制を維持しようとした人々の苦難と悲劇だったのでしょうね。ヨハン・シュトラウス2世に代表されるような、華やかなウィンナ・ワルツは、歴史的に見れば、実はこうしたオーストリア帝国の落日の挽歌のようなものだったのです。

以上、こんな歴史的雑学知識を持って、もう一度上の絵をご覧ください。マネがこの画を描いた1869年、ナポレオン3世がまだかろうじて健在だったフランス帝国政府は、この絵の展示を禁止したのだそうです。絵も時代のいろいろなことに巻き込まれるのです。おそらくは、マネの自作破壊は、そうしたことの延長上で起きたことなのでしょう。

ああそれから、銃殺されるマキシミリアンが誰かと手を握っているように見えますが、あの手は誰なのかなあ、とずっと考えていますが、まだ不明です。


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