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縁の下のバイオリン弾き
72 宗教の周辺(1)翼と銃
2013年6月1日
西村 万里 西村 万里 [にしむら・まさと]

1948年東京生まれ。大学で中国文学を専攻したあと香港に6年半くらし、そのあとはアメリカに住んでいる。2012年に27年間日本語を教えたカリフォルニア大学サンディエゴ校を退職。趣味はアイルランドの民族音楽 (ヴァイオリンをひく)と水彩画を描くこと。妻のリンダと旅行するのが最大のよろこび。
これはサンディエゴ美術館にある「イエスに奉仕する天使たち」という絵だ。17世紀後半イタリアの作品で作者はわかっていない。イエスが砂漠で40日の断食をしたあと、天使たちが食べ物を持って天から下って来た、という情景だ。

イエスが40日の断食をしたのは自分をためすためで、その間に悪魔からさまざまな誘惑を受けた。それにからくも打ち勝って現世に戻って来たのに、それを祝う天使たちに食べ物を与えられる、というのは話の筋としてすなおに受け取れない。そんなに簡単に食べ物が手に入るならば断食なんかしてもあんまり効果がなかったのではないだろうか。

しかしその場面を描いた画家の心はわからぬでもない。この断食はイエスにとって大きな試練だった。それを神が嘉(よみ)して天使をつかわした、となれば絵に描くに足りる大きな事件だったわけだ。

私にとって興味があるのは天使の描き方である。ごらんのように、どの天使も翼を持っている。それはいいのだが、その翼が肉体に直接つながっているということを見せるために画家は後ろ向きになった天使たちに肩をあらわにした服を着せている。絵には背中を見せている天使がふたりいるのだが(イエスのすぐそばと左端)、二人とも左肩から袈裟(けさ)がけにした服を来て、両方の翼が肉体から直接生えている、というところを見せている。

翼が肉体に直接つながっているところをわざわざ見せる、というのはおもしろいと思う。なぜかというとこれより以前に描かれた絵では天使に羽根がはえているのはあたりまえのことで、それが服を着た天使の肩からつきでていてもだれも不思議に思わなかったからだ。

ところがこの絵は一種「科学的」な態度で天使を描こうとしたものだということができる。翼と肉体が直接つながっているのならば肉体のほうにだけ服を着せることはできない道理ではないか。だからこの絵では天使は肩をあらわにしているのだ。

しかしこういう描き方をするということ自体が宗教の衰えを示すのだということに画家は気づいていない。なぜといって宗教は信ずることに価値があるのであって、その内容を論ずることは宗教の立場からいえば必ずしも重要ではないからだ。

俗に「いわしの頭も信心から」というとおりどんなに不合理であろうとも関係ない。この絵よりも以前のキリスト教の信者に「服を着ている天使の肩から翼が出ているのは変じゃないか」と議論をふっかけてみても、返ってくる返事は「それが神様のおぼしめし」ぐらいのところだろう。

不合理を合理的に解釈しようとすることはこざかしい人間の知恵だ。神様のお考えは我々にははかりしれないものだ、と信ずるからこそ宗教はありがたいのだ。

ギリシャ、ローマの神話には翼を持ったエロス、すなわちクピド(キューピッド)があらわれる。しかしいつも裸だから服と翼の間の矛盾はなかった。その矛盾が出て来たのは裸体を嫌うキリスト教が広まってからだろう。

それなら天使に翼をつけなければいいじゃないか、と考えるのはやっぱり俗人の考え方だろうか。かならずしもそうとは言い切れないのは、仏教の「飛天」(天女)の存在を考えてみると彼らには翼がない、ということに気づくからだ。

天使に翼があるのは鳥を連想しているからだろう。つまり鳥でなければ空を飛べない、と考えるわけだ。

けれどもそれは考えが浅いのではないだろうか。天使のような人智をこえた存在に翼をつけなければ気がすまない、というのは我々人間の想像力のとぼしさを示している。

それこそ神様のおぼしめしによって翼がなくとも空を飛べるようにできるはずだ。

「翼がなければ空を飛べない」という「科学的」な態度、これが西洋では普通だったらしい。たとえば西洋のドラゴンには翼がある。東洋の竜にはない。翼がなければ空をとべないなんて竜はいない。風を起こし雨を呼び、そのまま天空に駆け上がるのだ。

また西洋の天馬ペガソスにも翼がある。

ギリシャ神話で神々の伝令をつとめるヘルメスは翼のついたサンダルを履いている。それで彼のスピードをあらわすわけだ。

しかしその「科学的」な態度にも時代の限界がある。空気がなければ翼は使えない、ということを知らないからだ。だから十万億土の彼方から我々を迎えに来てくださる阿弥陀如来が雲にのっているだけで翼を持たないのはそのほうが理にかなっているということができる。

***

2008年にスペインを旅したとき、リンダと私はサラマンカという町を訪ねた。サラマンカは大学町である。スペイン最古の大学がある。

またアイルランド音楽の曲目に「サラマンカ」という曲がある。ナポレオン時代にスペインはフランスの属国となっていたが、ここサラマンカでフランス軍とイギリス軍の戦闘があり、フランス軍は大敗した。アイルランドの曲はその戦闘を記念するものじゃないかと思う。中世の面影を残すサラマンカの旧市街は世界遺産に登録されている。

と書けば旅行案内風の文章になってしまうが、我々がサラマンカをおとずれたのは12月も押しつまった頃で、その寒いことといったらなかった。しかも出発前にクレジット・カード会社に旅行のことを通知しなかったため、スペインで突然クレジット・カードが使われ出したことを憂慮した会社によって、サラマンカに着いた翌日にカードが無効にされてしまった。カードが使えないということは文無しになるということだ。我々はホテルの勘定を払うのさえ危うい立場に立たされた。

それだけでなく、その日は日曜日で銀行も両替屋もしまっている。ドルなら少しは持っていたのだが、それをユーロに変えることができなかった。手持ちの現金は少ない。というわけで我々は旧市街をあてもなくさすらった。本来ならばこの寒空にあたたかいコーヒーでも飲んでいようというときに、無駄な金を使うことを警戒した私たちは雪の残る大学構内や「新大聖堂」(ものすごく古い建物なのだが、もっと古い「旧大聖堂」なるものがあるのでこの名がある)をたずねた。新大聖堂は石づくりの大伽藍(だいがらん)で、すばらしい装飾がついているが、外よりも内部のほうが寒かった。たまたまかぜをひいていた私は昔の修道僧の生活を思って身ぶるいがでた。

その放浪のさなか、我々はサラマンカ市の美術館に行った。そこで私は思いもかけないものを見たのだ。

それは「クスケーニャ様式」による天使の絵だった。「クスケーニャ様式」なんて私は聞いたこともなかったが、説明によると16世紀から18世紀にかけて南米ペルーのクスコという町を中心として発展した絵画様式なのだそうだ。

クスコはインカ帝国の首都だった。その国をほろぼしたスペイン人は様々なヨーロッパ文化をペルーに持ち込んだ。そのひとつがヨーロッパの美術だった。クスコには中南米最古の美術学校がある。そこで美術を学んだ先住民が描いた絵が「クスケーニャ様式」だ。

スペイン人は征服と同時にキリスト教をペルーに持ち込み、強制的に先住民を改宗させた。ヨーロッパで宗教改革によって地歩を大幅に失ったカトリック教会は新しく獲得した新大陸での布教を熱心におしすすめた。

「クスケーニャ様式」の画家はヨーロッパでの絵画の伝統や約束にほとんど注意を払わなかったらしい。知らなかったのか、知っていても無視したのか私には確かにはわからないが、ヨーロッパでは決して描かれないようなものを描いた。

そのひとつがこの天使の絵だ。型通りに背中に翼があるけれど、なんと、片手に火縄銃(16世紀に日本に持ち込まれたいわゆる「種子島銃」と同じもの)を持っている。この「銃を持つ天使」の図はクスケーニャ様式独特のジャンルなんだそうだ。

天使が武器を持っている、という発想は新しいものではない。大天使ミカエルは剣を持っている。この剣をふるって悪魔と戦うわけだ。

サラマンカ美術館の天使もミカエルなのだろう。でもなぜ剣を捨てて銃を持っているのだろう。

私にはこれは天使の実在が真剣に信じられていたからだ、と思われる。ヨーロッパでミカエルが剣を持つ者として描かれたのは、剣が最新・最高の武器だった頃に作られたイメージだろう。しかし、天使というのは人間ではないのだから、人智の及ばない「もっと進歩した」武器を持っている可能性がある。天使の存在を本当に信じていればそう考える方が自然だろう。それをどうあらわすべきか。神の御心(みこころ)はおしはかることはできないが、我々人間は自分たちの限界を正直に認め、とりあえず現在手もとにある最新式の武器を持たせておけば申し開きができるのではないか。という考えで当時最新式だった火縄銃を持たせたのだろうと思う。

ところが時代がたつにつれて天使の実在が本当には信じられなくなった。そのために「天使に火縄銃」の切実な存在理由が忘れられ、「やっぱり銃は変だ。しきたり通りに剣じゃなけりゃあ」という気分になって、クスケーニャ様式の天使はすたれたのではないだろうか。

クスコの人々はスペインからの宣教師の言葉を文字通りに受け取ったのだろう。彼らの信仰は本物だった。本物だったから天使に火縄銃を持たせたのだ。もしそういう熱烈な信仰が今でも続いていたとするならば、現代のカトリック教会の壁画にあらわれるミカエルは自動小銃か何かを持つはめになっていたかもしれない。

これらの例でわかる通り、宗教心の高まりや揺るぎは絵画に反映している。私にはそれが興味深い。こんな関心のあり方は宗教の側から見たらとんでもない邪道だと言われるに決まっているけれど。

***

天使といえばカトリック系の中学校にいた時、守護天使のことを教わった。英語で「ガーディアン・エンジェル」という。人間には一人一人に天使がついていて、その人が悪の道に踏み迷わないように守ってくれるのだという。

だがおあいにくさまだ。人の世の常で中には悪の道に走る者だっている。

せっかくの守護の甲斐(かい)もなく、自分の監督下の幼児が成長して悪逆非道の人非人(にんぴにん)に育ってしまったら守護天使はどう思うのだろう。責任をとって神様にわびなければならないのか、同僚の守護天使に顔向けならないと感じるのか、私はそんなことばかり考えていた。

***

スペインでの文無しの旅は汽車でからくもサラマンカを脱出して首都マドリッドに到着し、アメリカのカード会社に国際電話をかけて事情を説明するまで続いた。
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