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ボーダーを越えて
129 言葉雑感(4)カミはカミでも
2008年2月28日
雨宮 和子 雨宮 和子 [あめみや かずこ]

1947年、東京都生まれ。だが、子どものときからあちこちに移動して、故郷なるものがない。1971年から1年3ヶ月を東南アジアで過ごした後、カリフォルニアに移住し、現在に至る。ボリビアへの沖縄移民について調べたり書いたりしているが、配偶者のアボカド農園経営も手伝う何でも屋。家族は、配偶者、犬1匹、猫1匹、オウム1羽。
▲ 音声の真似はうちのオウムの方がトーマスよりずっと上手。
先日、「畏れ慄いて」というフランス映画をDVDで観ました。フランスにも詳しいアルゼンチン人の友人がおもしろかったと言ったので知ったのです。皆さんはご覧になりました? 2002年の作品だそうですが、毎週映画を観ている私のレーダー圏に入って来なかったのは、サンディエゴに来なかったということなのでしょう。連れ合いのトーマスとクスクス笑いながら観たのですが、日本人の私には痛いと感じさせるものでもありました。

この映画に憤然とする日本人もいるだろうなぁって思って、グーグルでこの映画のコメントを探してみましたら、案の定、あるある。この映画は1990年の日本が舞台でいまはあんなじゃないとか、あまりにも誇張されされ過ぎているとか、日本人の心情がわかってないとか、どこそこの場面の台詞のあの言い方は日本では絶対しない(だからこの映画は日本のことを正確に捉えていないことの証拠だ)とか、これは日本のカイシャ社会を単に茶化しているに過ぎないとか、もっと冷静なものは、この映画は日本とフランスの文化摩擦を描いたものだ、という、まあ予想していたような反応でした。

それらはどれも的外れだと私は思います。この映画は、職場に潜むいじめや、人材の才能を十分引き出すことよりタテ構造の組織温存が重視されるという日本の企業社会の問題を引き出していて、その問題の本質はいまも変わっていないだろうと思うのです。だから、痛いと感じたのですが、それは企業の中に入ってもよそ者扱いされる者でないとはっきり見えないものではないでしょうか。ある日本人女性が載せた、自分も同じような経験をしたからよくわかるというコメントが、そのことを物語っています。日本とフランスの文化摩擦、などではないのです。

「この映画には日本人のインプットがたくさんあると思う?」とトーマスに聞かれて、私は即座に「多分ね」と答えました。これだけ辛辣に日本の企業社会を描いていながら、日本に対する思い入れも十分感じられる。それは日本人のインプットがなければできなかっただろうと思ったからです。

でも、待てよ、と思い直しました。無意識にですが、英語の字幕を見ながら日本語の台詞を聞いていたので、はっきりした言葉使いは覚えていませんが、最後の方の場面で、主人公のアメリーが上司の森吹雪に、「日本語ではカミ(神)とカミ(髪)は同じ言葉ね」と言い、それに答えて森吹雪が「カミ(紙)もね」というような台詞があるのを思い出したのです。でも、「神」と「髪」や「紙」は音節の声調が違うので、同じには聞こえませんよね。少なくとも私の話す日本語では区別します。だから私が台本修正を受け持ったとしたら、このやり取りはなくすか、または森吹雪には「神と髪は同じには言わないのよ」とキッとした顔で言わせ、同時に「そんなこともわかってないんだから、あなたは日本のことには全く無知なのよ」という軽蔑の笑いを口元に見せる、と書くんだけどなぁ。

「どう違う?」とトーマスに聞かれて、カをミより高い音程で「カミ」(神)を発音し、次にミをカよりやや高い音程で「カミ」(紙と髪)を発音してみせました。でも彼には違いが全くわからない。それで別な例で説明しようと、「カキ」(柿と牡蠣)、「ハナ」(花と鼻)、「ハシ」(箸と端と橋)と次々に言ってみました。が、彼にはどれも同じに聞こえるそうです。それなら、と中国語の「マイ」(買と売)、「マオ」(猫と毛と帽)を言ってみましたら、彼は完全にお手上げ。幼児期に母国語の他にスペイン語にも触れた彼は、知らない言語でもすぐ真似ができるし、別な言葉を習得するのが得意なはずなのですが、声調となると彼の耳は全くダメなのです。

声調のある言語に触れていないと、音程を容易に聞き分けられる耳は育たないようですね。中国語には1音1音に声調がありますから、それを聞き取れなかったらコミュニケートできません。詳しいことは覚えていないのですが、最近の実験で、中国の子どもとアメリカの子どもに、それぞれピアノで1音ずつ聞かせて音程を当てさせたところ、70%以上の中国人の子どもが正確な回答を出したのに、アメリカ人の子どもの場合は30%そこそこだったそうです。

日本語は中国語のように1音ずつに声調があるわけではありませんが、カミの例でわかるように、音節に違いのあるものがあるので、それがごちゃ混ぜになると誤解を生じることがあります。私にこんなことがありました。

私は高校時代仙台に住んでいたのですが、あるとき友だちと芥川龍之介の話になりました。あれがおもしろかった、これがよかった、とか話していて、「ハナ」はどう思った?と聞かれたのです。
「花?」思わず私は聞き返しました。そうだ、と友だちは言います。
花、花、花… 「菜の花と小娘」という短篇はあるけれど、あれは志賀直哉だし… 芥川龍之介の短編に、どうしても「花」というのは思い当たりません。
「すごく有名なんだよ」それを知らないの?と言わんばかりの彼の口調は、私を蔑んでいるようにさえ感じられました。悔しいけれど、思い当たらない。本当にそんな短篇を芥川が書いたのかしら… いったいどんな話?と聞いてみると、彼は得々と、「禅智内供というお坊さんがね」と言い始めました。
「なあんだ、『鼻』のこと?」それならもちろん知ってます。とんだ誤解でした。
「東北人にはそんな区別はできないから…」と、さっきまで得意満面だった友だちは急にしおらしくなってしまいました。

つまり、日本人全員が私と同じように言葉を発音したり音声を使い分けたりするわけではないのですね。とすると、もしかすると、東北地方では神と髪や紙を区別せずに一様に「カミ」と言うかもしれません。西日本では東京辺りとは逆の音声かもしれないし… どうなんでしょう? 
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