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縁の下のバイオリン弾き
182 悪魔
2021年2月1日
西村 万里 西村 万里 [にしむら・まさと]

1948年東京生まれ。大学で中国文学を専攻したあと香港に6年半くらし、そのあとはアメリカに住んでいる。2012年に27年間日本語を教えたカリフォルニア大学サンディエゴ校を退職。趣味はアイルランドの民族音楽 (ヴァイオリンをひく)と水彩画を描くこと。妻のリンダと旅行するのが最大のよろこび。
▲ 「悪魔の辞典」(1911)を著したアンブローズ・ビアス。
皆さんは悪魔の存在を信じるだろうか。これは私の勝手な推測で統計に基づいているのではないのだけど、日本で悪魔の実在を信じる人はあまりいないように思う。

もう昔話になるが(1993年)、子供に「悪魔」という名前をつけてもいいのかどうかということで争われた裁判沙汰があった。これは自由とエゴの問題で、それ自体は深刻な訴えだと思うけれど、ではなんでそんな名前をつけようというのかといえば、ほとんど冗談としか思えないものだった。

「悪魔ちゃん」なんて呼ばれたら可哀想じゃないか、という意見はあったけれど、悪魔が現実に存在するから、そんな名前をつけたら後が怖い、触らぬ神に祟りなしだ、と真顔でいう人はいなかった(と思う)。

親は結局別の名をつけたので結論は出なかった。

例えば私が子供に「首相」という名前をつけて得意がっているとしたら、「西村首相」などという名前をつけられた子供は可哀想だ、と非難されるだろう。「悪魔ちゃん」もだいたいその程度の話だ。現実問題としては不便だろうが、それで生きていけないわけじゃない。

ところが欧米で子供に悪魔という名前をつけようなどというのはとんでもないことで、それこそ冗談ではすまない。それは欧米では、いやイスラム諸国でも、悪魔がまだ生きているからだ。


これはインターネットで知った知識で、実際にその本を読んでいないので、著者にも読者にも大変申し訳ないのであるが、西森マリー「レッド・ステイツの真実」(2011)という本によると、アメリカ人の70%がキリストの再臨(キリストが再びこの世に現れて正義を実行すること)を信じ、62%が悪魔は実在すると考えている、ということだ。

それは当然だろう。神が実在すると信じるならば、悪魔も実在しなければならない。しかし、例えば日本人のキリスト者の何人が、神の愛は日々の糧にしても、悪魔という邪悪の存在を気にして毎日を過ごしているだろうか。


UCSD (カリフォルニア大学サンディエゴ校)に就職してまもない頃だと覚えているから80年代の半ばだったと思うが、学部にサンディエゴの小児科専門病院から電話がかかってきた。日本語の通訳及び日本に関するコンサルタントを探しているのだという。私は協力を約束して翌日病院の医者と会った。

彼が言うには、現在日本人の少年が入院している、病気から回復して帰宅するべきなのだが、母親が新興宗教に凝っていて、そこに問題がある、それはその宗教が悪魔崇拝をしている、と言う疑いがあって、そう言う環境に子供を返すのはためらわれる、と言うのだ。

詳しいことは忘れてしまったが、なんでも児童相談所のようなところから病院に苦情が来たらしい。それが私がアメリカで「悪魔崇拝」と言うことを聞いたはじめだった。

アメリカで、と書いたが、もちろんのこと、日本でだって香港でだって、そんなことは聞いたことがない。「悪魔崇拝って、分かりますか」とその医者は聞いた。

私はうなずいた。私に限って言えば、中学校でキリスト教の教育を受けたから、悪魔というものの存在に全く縁がない訳ではない。

しかしそのような抽象的な存在と、現に児童相談所から苦情が来ていると言う悪魔崇拝との間に整合性が全く見つからず、戸惑った。

私は日本では「悪魔崇拝」なんてことはおとぎ話で、現実にそんなことがあるとは聞いたこともない、と話した。どんな新興宗教か知らないが、こと日本人に関する限り、悪魔を主神と信じてその悪に帰依する、などということはまずありえない、と主張した。それはそうでしょう。例えばある宗教の教えの中に悪魔が登場することは大いにありうる。でも悪魔が宗教の中心で、悪を慕って悪魔の画像を拝む、なんて日本では笑い話だ。

悪魔がそれほど大きな位置を占めるのはその対極に神があってこそだ。神の偉大さが圧倒的だから、それに対する反抗として悪魔を信心する、というのが「悪魔崇拝」だ。神様の力が欧米とは比べ物にならないぐらい微弱な日本の社会にあって、わざわざそんな方向に走る目的も機縁もない。

その母親とは審問の場で一度だけ会った。ごく普通の日本人の女性に見えた。しかもその場で悪魔崇拝の話は出なかった。結局、病院は子供を母親に返す、と結論を出した。

今になって考えてみると、その女性は多分離婚係争中で、子供の親権のことでアメリカ人の夫と争っていたのではないかと思う。彼女をおとしいれるために「悪魔崇拝」などと夫の側から悪声が放たれたのではないか。もしそうだとしたら、奇想天外な言いがかりがいかにもアメリカ的だ、とは言えると思う。

私はその時知らなかったが、その80年代は、実はアメリカで「悪魔崇拝」が大はやりだったのだ。いや、悪魔崇拝そのものではなく、他人が悪魔崇拝を実行している、と非難することが大はやりだった。だからこそこんな事件も起こったのだ。


そのもととなったのが「マクマーティン保育園事件」だ。これはロサンジェルス近辺の保育園で、園児の母親が子どもに性的虐待があったとして保育園の先生たち(創設者である80歳近い祖母、実質的な園長である母、臨時雇いの息子を含む)を告発した事件だ。発端は1983年だった。

その告発者の女性はアルコール・麻薬中毒かつ統合失調症だったことがのちに分かった。裁判の決着をみないで病死している。警察が乗り出したことから園児の親たちがパニックに襲われ、集団ヒステリーの様相を呈した。証拠集めのため、幼児虐待のコンサルタントが400人からの幼児にインタビューした。そのコンサルタントの子供たちに対する質問があまりにも誘導尋問めいたものだったために、園児たちは大人の期待に沿うように発言しているのではないかという疑問が強く持たれた(これらのインタビューはビデオにとられている)。

その結果、園長以下は何年にもわたって子供たちに性的虐待をしていただけではなく、悪魔崇拝を行っていた、ということが判明した。保育園からトンネルを通って到着する秘密の部屋でおどろどろしい儀式が行われた、と子どもたちは報告した。先生たちは赤ちゃんを殺したり、その血を飲んだり、空を飛んだりした、とも証言された。

驚くのは警察も検察もこれらの調査を鵜呑みにしたことだ。保育園の地下は徹底的に調べられた。コンクリートで固められていたのに、保育園建設当時にまでさかのぼるような発掘が行われた。その結果、トンネルは存在しなかった、と結論づけられた。

7年の歳月とアメリカ検察史上最大の計費(当時の金で千五百万ドル)をかけたあげく、事件は事実無根であった、として裁判は終了した。容疑者の一人は無実が証明された時にはすでに5年の間拘禁されていた。

しかしこの過程でアメリカ全土で、また他の国でも悪魔崇拝関系事件が数多く起こった。その大半は不起訴になった。

私はこの裁判を見聞きして、どうにもやりきれない気持ちに襲われた。それ以来「悪魔崇拝」と聞いただけで拒否反応を起こす。

世の中には途方もない悪が存在する。信じられない残虐、計り知れない邪悪というものが実際にある。でもそれは全て人間が犯すものだ、と考える。人間が生み出すものだからこそ悪は恐ろしいのだ。核兵器を考えてみただけでそれは明らかだろう。それを悪魔のせいにするということは体のいい責任回避だ。


今年1月6日に起こった米議会襲撃事件は世界を驚かせた。「大統領の反乱」と言っていい民主主義の否定だった。その実行部隊はトランプの大統領選敗退を合衆国政府の内部でうずまいている陰謀のためだと信じきっている集団だ。


トランプに操られて、国会議事堂になだれこんで副大統領や国会議長を縛り首にしようとした連中に私は怒りと軽蔑しか感じない。中でもひときわ悪質で、またばかばかしいと思うのがQ Anonと呼ばれる集団だ。それは彼らが政敵民主党のリーダーたちが悪魔崇拝をしている、と主張しているからだ。

アメリカ政府の中にディープ・ステートと呼ばれる邪悪な陰謀集団がいて、トランプは彼らと戦っているのだ、というのはよく聞く話だけれど、正気の沙汰ではない。悪魔崇拝にいたっては恥の上塗りだ。

しかもオバマやクリントンが実行していると言われる「悪魔崇拝」の内容というのがお定まりの幼児誘拐、小児性愛、赤子殺し、etc., etc.でなんの新味もない。これが事実だったら重大な犯罪だけど、悪魔は繰り返しゆり返し、何十年も同じ悪行をやっている。よほど想像力のない悪魔だとみえる。

政権はバイデンに移ったけれど、必ずしもそれで安心できるわけではない。アメリカがいかに宗教的な国か、ということの一端を見せてくれるのがこの「悪魔崇拝」だ。これからも、機会さえあれば「悪魔」はアメリカ社会の表層に躍り出てくるだろう。

私は去年の7月に「孤高の人」というブログで南部連合旗のことを書いた。その時は南部連合なんて過去のことだ、こんな古臭いことを書いても現実とはなんの関係もない、と自分の時代錯誤がうしろめたかった。ところが見よ!議事堂攻撃の何人かが南部連合旗を担いでいるではないか。アメリカの議事堂で南部連合の旗が振られたことはかつて一度もない。いかに人種差別が現代にも根強いか、よくわかる気がする。

そしてこれらの無知蒙昧(むちもうまい)の民がトランプ支持の基盤だったのだ。トランプ現象を経済的に展望のない階層の絶望に基づく、という分析もあるけれど、そしてそれはそれで正しいと思うけれど、アメリカの本音の部分を無視してはならないと私は考える。


(後記)マクマーティン事件について

子供たちが誘導尋問に応じて大人たちの期待する答えを出したということをもって、子どもの証言が信用できないと主張するのであれば、それは間違っていると考える。事件当時インタビューを行ったコンサルタントはのちになんの資格も持っていないことが判明した。多くの子供は最初事件性を否定する証言をしたのに、何度も何度も同じことを質問され、誘導されてついにそれに屈服したのである。子供は正直なものだ。それをゆがめるのは大人の先入観だ。

森田ゆり著「子どもへの性的虐待」(岩波新書:2008)はこの問題についての優れた手引きだが、「子どもの証言は信用できない」という誤った印象が広がることをおそれたのだろう、マクマーティン事件について一切言及がない。私はこれを惜しむべきことだと思う。


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