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縁の下のバイオリン弾き
135 移動と定住
2017年3月1日
西村 万里 西村 万里 [にしむら・まさと]

1948年東京生まれ。大学で中国文学を専攻したあと香港に6年半くらし、そのあとはアメリカに住んでいる。2012年に27年間日本語を教えたカリフォルニア大学サンディエゴ校を退職。趣味はアイルランドの民族音楽 (ヴァイオリンをひく)と水彩画を描くこと。妻のリンダと旅行するのが最大のよろこび。
▲ クアナ・パーカー
2月24日にフロリダ州の空港でモハメッド・アリの息子、モハメッド・アリ・ジュニアが名前を理由に一時拘束された。ジャマイカから米国に戻った際に空港で尋問され、約2時間にわたって名前の由来や宗教などを聞かれたという。

モハメッド・アリ・ジュニアはもちろんアメリカ生まれのアメリカ市民だ。父親は米国最高の大統領自由勲章を受けている(本稿第81回「モハメッド・アリの大勝負」参照)。それがイスラム風の名前を持っているというだけでこんな待遇を受ける。無知な空港の警備員は恥じ入らなければならない。

トランプ大統領のイスラム7カ国からの入国禁止令はごうごうたる非難を巻き起こした。1975年から2015年の間にアメリカで起きたテロでこれら7カ国から来た人が殺人を犯した事件はひとつもないのだから無理もない。

9/11ではオサマ・ビン・ラディンを始め実行犯の数人がサウジアラビア出身だった。にもかかわらずサウジからの旅行者はおとがめなしというのは、論理的に破綻(はたん)している。

22日にはカンサスのバーでインド人のエンジニアが殺された。彼をイラン人だと思いこんだ白人が「俺の国から出て行け!」とさけんでピストルをぶっぱなした。こんなことが起こるのも、政治の風向きが変わったことによって「人種差別おかまいなし」のお墨付きでももらったような気になっている白人が増えているからだ。

アカデミー賞の舞台では外国映画賞に輝いたイラン人の監督が欠席した。名優ガエル・ガルシア・ベルナルが「メキシコ人として、人間として」人々の間に「壁」を作ることに抗議し、連帯をうったえた。

私はこれらのことを目にするたびにアメリカ人とアメリカ先住民、いわゆるインディアンのことを思わないわけにはいかない。

アメリカは移民で成り立っている国だ。それが移民を制限するというのは国是に反する。アメリカに元から住んでいるのはアメリカ先住民しかいないはずなのに。

アメリカは建国のはじめから先住民に対して人種偏見の政策をとって来た。それが行き着くところ、インディアンは絶滅させるほかないと本気で信じて殺戮(さつりく)をくりかえした。まるで虫けらでも扱うように「駆除」ということばが使われた。

ほとんど信じられないことだ。しかしそこに他民族は劣等だという白人の思い上がりがよく表れている。

その根拠の一つがキリスト教だった。神のことばを知らないインディアンには人間としての価値がない、というわけだ。でも、これを現在の世界に引き写して言えば、イスラム教を信じない人々は殺してもいいといういわゆるジハードの信条と変わりがないではないか。

9/11では3000人近くが殺されたから、テロの犠牲者としてアメリカ史上最大の悲劇となった。でも、そのために事件になんの関係もないイラクに侵攻して何十万人の無実の人を殺傷したのは許されることではない。そのことに対してふつうのアメリカ人はなんらやましさを感じていないか、感じてはいても表にださない。それはアメリカ人の生命のほうがイラク人のそれよりも価値がある、と見なしている証拠だ。

新大陸に移り住んだ白人たちにとって、インディアンは存在しないも同じことだった。だから境界線をひいて、ここから西には白人は進出しないという条約を何度もインディアンと交わしたが、守る気ははじめからなく、サインした瞬間からそれらは紙くずとなった。

のちには居留地に入るように強制し、そこで伝来の狩猟採集生活を捨て、農民になることをおしつけた。それはインディアンにとってとうてい受け入れられないことだった。

居留地に入ったインディアンには食料、衣服その他の生活必需品を政府が与える約束だったが、役人の腐敗のために量も不十分な劣悪なものしか与えられなかった。よく西部劇でインディアンが「白人はうそつきだ」というが、それは本当だった。

アメリカ人は独立前から禁欲と勤勉をむねとして営々として地位を築いた。 彼らの資本主義のもっとも大切な前提条件が私有財産ということだった。自分の持っているものは自分だけのものであってその権利をあくまで守る、という信条だ。

それほど大切な私有財産の権利をアメリカ人はインディアンに認めなかった。無人の土地とみえた新天地を彼らはインディアンと戦ってうばい、徐々に西部に移動した。

西部の大平原には地平線を埋め尽くす無数のバッファローが生息していた。

平原インディアンはふつうの牛の3倍はありそうなこの動物を狩って生活していた。バッファローはインディアンの食料であり、衣服であり、住居(皮でテントを作る)だった。バッファローなしでは生活できなかったから、彼らは決して獲りすぎるということをしなかった。そうやって昔から暮らしてきたのだ。

彼らは一箇所に定住せず、持ち運びが可能なテントに住んでバッファローを追った。ところが開拓民が19世紀半ばから西部に進出しだした。野獣は人の匂いのするところには住まないから、どこか別の草原に移住してしまう。 つまり彼らの定住がインディアンの死命を制することになったのだ。

土地を私有するという考えはインディアンにはなかった。それは空気を切り取って自分のものだと宣言するにひとしいばかげた行為だと映ったからだ。しかし大平原はかれらのハンティング・グラウンドである。生活に絶対必要な土地だ。

その頃から「バッファロー・ハンター」と称される白人の狩猟集団が出現した。それまで無価値だったバッファローが突然商品として重要になったからだ。ねらうのはバッファローの厚い毛皮だった。帽子や外套の材料となり、アメリカで、またヨーロッパで高値で取引されるようになった。それが可能になったのは鉄道ができて毛皮を東部に送れるようになったから、また毛皮を美しくなめす技術が発達したからだった。

それまでインディアンたちは弓矢で苦労して一頭のバッファローを倒し、肉を食料に、皮を衣料にしていた。ところがバッファロー・ハンターは一頭殺すごとに皮をはぎとり、それだけをもちさった。大切な食料である肉は打ち捨てられ、腐るにまかされた。銃の発達にともない、ハンターたちの殺戮は膨大(ぼうだい)な量にのぼった。1871年と72年の2年間で5百万のバッファローが殺された。大平原は目の届く限り白骨で埋まった。

私はそのことを知っていたけれど、その責任はひとえに強欲なハンターにあると思っていた。ところが、実はそうではなかったということを最近になって知った。これにはアメリカ政府のサポートがあったのだ。

バッファローをみな殺しにすれば、インディアンは食料を失って、彼ら自身も絶滅への道をたどる。そううまくは問屋がおろさないにしても、飢えさせ、降伏させてコントロールのきく居留地へ追い込むことができる。そういうわけでアメリカ政府はバッファロー・ハンターの際限のない狩猟を奨励した。

追い詰められたインディアンはバッファロー・ハンターと開拓民を襲うようになった。インディアンたちにしてみれば命を賭けた生活と文化の防衛だった。

その中で白人の子供の誘拐ということがしばしば起こっている。これには理由がある。一つは身代金(みのしろきん)獲得だ。また白人からの度重なる攻撃によって戦士の数が足りなくなり、出生率も低下したために戦士を補充しなければならないということがあった。

アメリカ政府は最初のうち、身代金を払っていたが、それがさらなる誘拐を触発することに気がついて、一切応じなくなった。

この態度は現在でも引き継がれていて政府は「イスラム国」からの人質の身代金要求に頑として応じない。その態度は一貫しているが、でも考えてみれば国民の生命財産を守ることこそが国家の第一の義務であるはずだ。ヨーロッパのある国々が表向きはともかく内実は柔軟な態度を取っているのに比べると、自国民を見殺しにする態度はあまりにも頑迷だとして批判が高まっている。


誘拐された子供たちの中で一番有名なのはシンシア・アン・パーカーだろう。彼女は1836年、9歳の時にテキサスでコマンチ族に誘拐された。家族のほとんどを殺され、最初は奴隷としてこき使われたが、そののちは酋長(しゅうちょう)の養女として部族に受け入れられた。結婚して(相手も酋長だった)3人の子供をもうけた。ところが1860年、つまり24年ののち、アメリカ騎兵隊によって「救出」された。

夫は殺され、二人の息子は逃げ延びた。1歳になるかならずの娘とともにつかまって白人家族のもとに帰されたシンシアは、しかし西洋社会になじむことができず、 何度も脱走してインディアンの社会に戻ろうとした。「悲惨な運命」から彼女を救い出したつもりでいたアメリカ社会はそれを理解しようとはせず、そのたびに彼女を引き戻した。シンシアは結果として愛する者たちから2度も引き裂かれたのである。幼い娘が病気で亡くなったのをなげいて彼女は食を絶ち、1870年に死んだ。熱望していた息子たちとの再会はかなわなかった。

その息子のひとり、クアナは混血児だったわけだが、文化的には徹底してコマンチとして育ち、戦士たちのリーダーとなった。 父を殺し、母をうばったアメリカ軍(テキサス・レンジャーを含む)と血みどろの死闘をくりかえしている。しかしバッファローがほとんど絶滅され、多くの同胞を殺され、クアナは最後にはアメリカの軍門に下った(1875年)。

居留地で英語を学び、シンシアの家族とも交流し、インディアンの生活改善のために尽力した。コマンチ族の最後の酋長としてクアナ・パーカーを名乗り、白人からも尊敬された。同族のために何度もワシントンに出向き、セオドア・ローズベルト大統領と親交を結んでいる。1911年に死んだ。

シンシアだけではなく、何人もの白人の子供がインディアンに誘拐されたけれど、数ヶ月で身代金と引き換えにアメリカ社会に帰された者をふくめ、ほとんど例外なくインディアン社会に同化して、帰還をはたしても西洋社会をうけつけなかった。過酷な生活をするインディアンと一緒にいたほうが幸福だったのだ。何が彼らにそう感じさせたのか、今となってはわからないけれど、アメリカが「進歩した」社会だとする通念に対する断固とした異議申し立てだったのはまちがいない。



福沢諭吉は人生の半ばで明治維新に出会い、「一身にして二生を経(ふ)る」、つまりひとりの人間として二つのちがった人生を経験した、という言葉を残した。シンシアとクアナの生涯を考えるとこの言葉がもっともよくあてはまるような気がする。

諭吉は日本にいて社会の激変を経験した。シンシアとクアナは敵対する社会の間を行き来してふたつの価値観に引き裂かれた。

私も「一身にして二生を経る」思いをもっている。日本と外国で生活したからだ。

世界中でおよそ移民と名のつく人々でこの感覚を味わわなかった者はひとりもあるまい。移民を歓迎しない社会は定住者の社会であり、インディアンを農民にしようと考える人々だ。



(注1)いうまでもないことですが、私は農民をおとしめているのではありません。

(注2)「最後の酋長」という意味はクアナ以降のリーダーが部族会議の議長と呼ばれるようになったからで、コマンチ族が絶滅したわけではありません。
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