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年末年始カード |
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2019年1月1日 |
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 | 雨宮 和子 [あめみや かずこ]
1947年、東京都生まれ。だが、子どものときからあちこちに移動して、故郷なるものがない。1971年から1年3ヶ月を東南アジアで過ごした後、カリフォルニアに移住し、現在に至る。 |
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▲ 2018/2019年の年末年始カード。 |
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明けましておめでとうございます。昨年は本当にご無沙汰しました。今年は心身ともにもう少し余裕ができそうですので、この研究会にもっと参加しようと思っています。
アメリカのクリスマスカードは日本の年賀状に相当するものですが、クリスチャンでない人も大勢いる(私もその一人です)ので、クリスマスからお正月にかけての時期は、ホリデーシーズンと呼ばれるようになりました。それでクリスマスカードを私は年末年始カードと呼ぶことにします。
その年末年始のカードを、去年は一人のおじいさん以外には誰にも送らずにいてしまいました。とっても忙しかったということもありますが、カードを準備する気力が出なかったのです。私は何年も前から手作りのカードを送っていました。簡単な、でも独自のデザインを考え出し、何十枚も作って送るのが楽しかったのです。それが去年は重荷になった。でも、ある知り合いのおじいさんは「あなたのカードはいつも楽しみにしているよ」と言ってくれていたので、がっかりさせるわけにはいきません。それでそのおじいさんだけにはカードを送った次第です。
今年も忙しくはあったのですが、また出したいという気力が湧きました。それで長期計画を立てて、まず真夏にデザインを考え始めました。そうしたら以前作りかけにしてあったカードがみつかり、そのデザインを改良して10月半ばには60枚以上を仕上げました。それから11月半ばまで2018年が終わりに近づくのを待ちました。1年の間に私と連れ合いにどんなことがあったか、何をしたかを手短に半ページにまとめてカードに織り込むことにしてあるからです。それだけではあまりに大量生産の感じがするので、一人一人に手書きのメッセージを載せた4分の1ページを加えました。ハガキを書くのさえ苦手という我が連れ合いにも、学生時代の友人たち宛てのカードには、一言メッセージを書かせました。カードをポストに投函したときには、受け取った人がちょっと喜んでくれたらいいな、と思いが心に走りました。
こちらから出した人たちからもカードが送られてくることは期待していなかったのですが、うれしい反応がいくつもありました。連れ合いの高校時代の親友は、カードを受け取ってすぐイギリスから、また同じく高校時代の友人もオーストラリアから、それぞれ電話をくれて、近況報告をしてくれました。ワシントン州に住んでいる高齢の、でも元気いっぱいのおばあさんはいつもはカードをくれたのですが、今年は電話をくれました。カリフォルニアの友人の一人が送ってくれた「あなたのカードだけはいつまでもとっておきたいと思うわ」という言葉には、工夫と時間をかけてカードを作った甲斐があったと本当に思いました。そして、前述のおじいさんからもうれしいお便りがありました。
去年全くカードを出さなかったこともあって、今年私たちがうけとったのは以前の半分以下。それでもちっともがっかりしなかった、というより、どこかほっとしました。カードをくれたのは本当に私たちと繋がりを持っていたいと思っている人たちだから。
最近、日本では年賀状を出さない人が増えているとか。ただ止めるだけでなく、「終活 年賀状」というのを出す人もいるそうですね。毎年義理とか義務感にかられて何十枚も百枚以上も年賀状を出すのが珍しくなかったのですから、そういうことから解放されたいという気持ちはよくわかります。でも、年賀状で「来年からはもう送りません」と宣言するのは、どうかなぁ… なんだか絶縁状みたい。もうあまり親しみを感じないのになんとなくこれまで続けてきたから、という理由でカードの交換をしてきた人には、私はカードを出さなくなりました。そうしたら、向こうからも来なくなった。それでいいんじゃないですか、わざわざ宣言しなくても。
私はこれからも繋がっていきたいと思う人たちには、カードを送り続けたいです。近くに住んでいてときどき会う人でも、来年もよろしく、という気持ちを手作りのカードで伝えたいのです。年末年始以外にもカードを手作りするのは大好きなので、来年のカードのデザインをもう考え始めました。
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