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エスニック通り |
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2005年1月23日 |
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 | 吉田 美智枝 [よしだ みちえ]
福岡県生まれ、横浜市に住む。夫の仕事の関係で韓国ソウルとタイのバンコクで過ごした。韓国系の通信社でアシスタント、翻訳、衆議院・参議院で秘書、韓国文化院勤務などを経て現在は気ままな主婦生活を楽しんでいる。著書に『朝鮮王朝の衣装と装身具』(淡交社、共著)『韓国の近代文学』(柏書房、翻訳)などがある。現在、文化交流を目的とした十長生の会を友人たちと運営、活動している。 |
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▲ いろいろパールのブレスレット。
「瓢箪屋」でもらった正月の祝い飴と一緒に。 飴には干支の酉と屋号の瓢箪が…。 この材料店、もとは瓢箪の根付を売っていた老舗。 |
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開き直るしかないことがある。いっこうに成功しないダイエットでも、改善されないゴルフのスコアでも、荒れ放題のわが家の庭でもなく、溜まる一方のビーズ材料のことである。
ビーズには「作る」と「身につける」という2つの楽しみがあると以前に書いたが、実はもう1つある。ショッピングの楽しみである。月に1度か2度、私は浅草橋界隈と上野御徒町界隈にビーズ材料を買いに行く。
浅草橋界隈は、国内大手のビーズメーカーのアンテナショップや輸入ビーズ、天然石ビーズ、金属パーツなどの専門店が何十軒も軒を連ね、行く度ごとに増殖している感さえある。そしてJR御徒町駅周辺の上野には、古くからの貴金属アクセサリーを扱う店々に混じって、やはり天然石やパールなどの専門店が点在し、一種独特の雰囲気を醸しだしている。
この辺はもともと問屋が多く業界の人たちの街だったが、近年のビーズブームでいわゆる素人の主婦たちが多く出入りするようになったため、最近は一般消費者むけに開放している店が増えた。
今月もさっそく正月明けの5日に行ってみた。若い世代の女性だけでなく親子連れや70代とおぼしき女性たち、男性たちの姿も見かけるようになった。不況といわれる昨今、この2つの街は一種異様なまでの熱気と賑わいを見せている。まさにビーズ景気といえそうである。
この界隈は、“エスニック通り”と名付けられそうな街でもある。ネパール人、インド人、中国系、韓国系、日本人…店を営む人びとの人種も多様だ。どうかするとバンコクのビーズ街で買い物している錯覚さえ抱く。
バンコクといえば、昨年末に行ったアラブ系の店で、値段を聞こうとしたが店内に人影がない。開店中なのに…とよくみると、店主がショーケースの陰で床に顔をつけてお祈りの真っ最中だった。声をかけるが取り合ってくれなかった(声をかけるこちらが悪い)。
上野では、暮れの寒い一日、意を決して出かけたものの目的のお店(アラブ系)は午後の長い休憩時間だった。自分の間の悪さが無性に腹立たしかったが仕方がない。こんな時は「異文化受容」と唱えながら引き下がるしかない。
この界隈を歩くと私は、アドレナリンが出っぱなし状態になる。問屋街とあって材料の種類は豊富で値段は市価の5分の1程度、質もなかなかいい。材料を求めて店から店へ…気がつくと日はとっぷり暮れている。
材料の物色に血眼になっているわが姿は、傍目には秋葉原の街をさまよう「アキバ系」のオニイサンたちとなんら変わりがないだろう。
こうして店をまわっているうちについつい買いすぎてしまう。所詮は手作り、作れるアクセサリーの数は知れているというのに…。 帰りの道すがら、ずしりと重たくなったバッグを手に私は思う。 「このビーズどうしたものだろう…」と。
「でも大丈夫!?」 「最後は材料屋さんになればいいのだ!?」
ああ、御し難きはわが身なり。こうして私はまたビーズ買いに走るのだった。
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