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寄り道まわり道
12 ノイさん
2004年9月11日
吉田 美智枝 吉田 美智枝 [よしだ みちえ]

福岡県生まれ、横浜市在住。夫の仕事の関係で韓国ソウルとタイのバンコクで過ごした。韓国系の通信社でアシスタント、翻訳、衆議院・参議院で秘書、韓国文化院勤務などを経て現在に至る。自作のアクセサリーをBeads Duoというブランドで販売しながら、韓国の主に女性たちについてエッセーを執筆中。『朝鮮王朝の衣装と装身具』(共著)、韓国近代文学選などの翻訳がある。
▲ ヴィンテージビーズのネックレス
  後ろは、インドネシアのバティックの布で仕立てた
  上着。グリーンは一番好きな色。
「メイドが当たりなら運転手に恵まれない。運転手に恵まれればメイドは…」
タイに駐在する日本人の間でよく交わされる会話で、使用人を雇う難しさを表した話である。

家事から解放され、自由な時間を満喫する幸せは、使用人を使う苦労と表裏一体にある。3年間のタイ滞在中に、メイドは1人だけだったが、運転手は4人目でなんとか落ち着いた。かといって、メイドとの関係が良かったわけでもない。

私は毎日のように、夫の6代前の前任者から仕えてきたメイドをなんとかクビにし、友人たちのメイドのように若くて従順で、掃除と料理が上手く、控えめで、年齢のサバも読まないメイドを雇おうと夢みていた。

だが現実とはなかなか思うようにいかないものだ。私がどんなに彼女に不快感を抱こうと、うまく辞めさせようと頭を使おうと、わが夫は彼女を評価し、頑としてメイドを変えることに反対だった。

我が家のメイドはノイさんといった。彼女は肌の色が浅黒いタイ人で、体つきはいかつく、ギョロリとした目をして、声が大きかった。「ノイ」という名前が「おチビさん」というなんともかわいい意味だと後で知ったときは「うっそー」と小さく叫んでしまった。

彼女は、住み込みで、朝晩の食事、掃除、洗濯、買い物すべてやってくれるが、どれもあまり上手ではなかった。それにどう計算しても、彼女はあの頃で50歳はとうに過ぎていたはずなのだが、何度聞いても私より3,4歳下だと言い張った。

昼間、私が家にいると「今日は出かけないの?」と追い出しにかかる。そのくせ寂しがり屋なのか、昼寝をしていると「おやつ食べて!」と無理やり起こす。机に向かっていると、掃除そっちのけでおしゃべりが止まらず、箒を持った手は同じ場所を掃いているだけ。床に穴が開くのではないかと心配した。

それだけではない。彼女の日本語はひどかった。自分と意思疎通したいなら奥さんがタイ語を勉強すればいいと言わんばかりだった。彼女が話す日本語といえば、「ゴハンタベル?」(ときどき未来形が“たべた?”だったりした)「お茶漬け」「漬物」などいくつかの単語だけ。ときに「ふりかけ」が「ごきぶり」になったりするからそら恐ろしい。食欲などどこかへふきとんでしまう。根性、もとい、相性が悪いとはこのことだ。

だが私はバンコクに遊びに行くと、今でも彼女と1度は会うことにしている。市の中心にあるセントラルデパート1階のスターバックスカフェがいつも彼女と会う場所だ。コーヒーを一緒に飲んで小一時間話をして別れる。人の感情とは不思議なものだ。あれだけ嫌でクビにしようとしたメイドなのに、不愉快だった思い出はいま私の中にほとんど残っていない。

私には今でもよく思い出す光景がある。ある休日、彼女はお寺参りに行った帰り道、バッグを盗まれた。家に戻った彼女は、力なく台所の入り口に座り込み、さめざめと泣いていた。バッグには彼女に残されたたった一枚の亡き両親の写真が入っていたのだという。なかなかなつかなかった猫のモモコも、普通でない様子に気づいたのか、彼女に寄り添っていた。

今思えば、彼女は必死だった。年齢のいったメイドの就職口は減る一方だった。とくに住み込みのメイドを雇う家庭は激減していた。彼女が私より年下だと言い張った理由はその辺にあったのだろう。彼女には身寄りがなかったので、働けなくなってからの住処を確保しなければならなかった。

その後彼女は、ある後任者とのささいな行き違いがもとで職を失ったと人づてに聞いた。夫が彼女を評価した理由は、盗みをしないこと、どんなときでも仕事を放り出さないことだった。

日本に帰国して5年が過ぎた。「若くて気立ての良いメイドにかしづかれて心静かに暮らす」という私の野望は結局、“見果てぬ夢”に終わった。だが、私はいま、彼女の愚直さやたくましさ、悲しみ、彼女がついた小さな嘘がなつかしい。彼女とすごした3年間を思うとなにか暖かいものが私の中に流れるのである。
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