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「老害」を打破せよ |
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2004年10月11日 |
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 | 中山 俊明 [なかやま としあき]
1946年4月23日生まれ。東京・大田区で育つが中2のとき、福岡県へ転校。70年春、九州大学を卒業後、共同通信に写真部員として入社。89年秋、異業種交流会「研究会インフォネット」を仲間とともに創設、世話人となる。91年春、共同通信を退社、株式会社インフォネットを設立。神奈川県・葉山町在住。 |
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▲ めっ。ここで片足あげてはいけません。(はたして効果あるのかなあ???) |
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前号『「ライブドア」対「楽天」』(9月26日)では、自分なりにユニークな観点でエッセイを書いたつもりなのだが、いま読み返すと新味がない。なにやら一般週刊誌と似たような切り口だ。日付をみていただければ分かるのだが、僕はこれら週刊誌が発売される前に書いている。世論の流れが読めないうちに書いているのだが、1週間もするとなにやら世論に迎合したような文章になってしまっている。
先日会った編集者には「中山さんのお書きになった雅子妃のエッセイは少し時代に遅れていますね」と批判されてしまった。たとえば僕は「雅子さんの自己責任を問う」というような内容の文章を書いた。書いた時点では「その筋」のリアクションを心配して、正直いうと「おそるおそる」書いた。ところがその後、次々に発売される月刊誌を読むと、いやはやかなり皆さんラジカルである。これらを読んでいると、なるほど僕のエッセイは過激でもなんでもない、若い編集者から時代遅れと批判されても仕方がない文章にみえる。あれ、僕はそろそろ時代に遅れ始めたのか。少々怖い思いがした。
現在のマスコミは一方では権力への批判精神を失い体制に埋没しつつあるし、一方では書きたい放題、自己抑制なしの「書いたもん勝ち」の世界に突入している。いっけん「カゲキ」なのだが、ほんらい権力や権威に向かうべき過激さがあらぬ方向に向いている。この原因はなんだろうと考えるのだが、2チャンネル等のインターネット掲示板がかなり世論形成に影響を与えているのではないかと思う。
かつてはいかに大衆向け週刊誌であろうと、一般世論から極端に突出するわけにはいかなかった。ところが現代は個人の突出した意見が、マスコミよりはやくインターネットで瞬く間に伝播する。マスコミが走りだす前に、一般大衆の特異、過激、無責任、それこそなんでもありのメッセージが匿名でばらまかれる結果、スピードでは周回遅れの紙メディアの情報は、インパクトなし、新鮮味なし、個性なしの内容になってしまうのではないか。あせるメディアは見出し勝負の「過激化」を強めるしかない。その悪循環。これを情報の拡散希釈化現象とでもいうべきか。
さて、そういう時代にユニークな時事エッセイを書くのはむつかしい。今号ではライブドアや楽天がなにゆえに球界参入を狙っているか、をテーマに書くつもりでいたが、電車内でAERAの中吊り広告をみて「あ、書かれちゃった」と思った。ライブドアが新聞社の買収を図ろうとしている、という内容らしい。事実の真偽は確かめようがないが、僕は「やはりな」と思った。
ライブドアの堀江貴文社長(31)、楽天の三木谷浩史社長(39)が狙っているのは、「コンテンツ」だ。球団買収もその路線上にあることは疑いがない。「ニュースステーション」の古館キャスターがとんちんかんな発言をしている。「あの若いベンチャーの方たち、ほんとうに野球が好きなんですかねえ」。狙いは野球という「コンテンツ」だ。つまりビジネスとして、野球に関連する情報の価値はとてつもなく大きい。2人はそこに狙いを定めた。好きか、嫌いか、そんなことは関係がない。そもそも野球経営は、野球が好きなひとしかやってはいけないのか。このキャスターも時代に遅れつつある。
いまともに世間の注目の的になっている30代の2人の青年実業家には個人的にとても興味がある。とくに「老害」をはっきり批判し、当のその「老害側」からは胡散臭い目でみられている(であろう)堀江さんのほうに特に関心がある。彼の著書「稼ぐが勝ち」(光文社)を読んでみた。その見出し。
●20代は搾取されている ●個人も社会もリセット ●「貯金をしなさい」は間違っている ●老人は若者に金を貸せ
いっけん過激だが、よく読むとまっとうな発言。 以下、文章抜粋。
●就職とは、他人のリスクコントロールの支配下に入るということです。要するに自分の運命を他人に支配されるわけです。「自分はばかだから、自分よりもっと頭のいい人に自分のリスクコントロールをしてもらいたい」という人は就職すればいいのだろうし、「自分は他人に運命を左右されるのはいやだ」と思えば、会社をつくればいいのです。
●会社と会社の取引関係は基本的に信頼関係で成り立っています。つまり性善説です。けれども性善説だけで考えていたらばかを見るので、性悪説の面においても考えなければいけないということです。取引相手を信用しきってはいけないのです。「信用は大事だけど信用してはいけない」とういう訳の分からない状況。これが資本主義です。信用しつつ、万が一に備える。
●インターネットは急速に進化していますが、最先端のところばかりでなく、取り残されたところに意外に大きなビジネスがごろごろ転がっているものなのです。そして、その取り残されたところとは、旧世代の旧勢力が、利権を握っているところなのです。そこを改善していかないと、未来は見えてこないのです。
●宗教は死を正当化し、そこから逃げるためのツールです。逃げてはだめなんですよ。人間の可能性を否定してしまっていますから。自分の可能性はできるだけ大きく見積もっておくべきです。
●彼らは利権を守るだけの存在になってしまっている。徳川幕府末期みたいなもんです。誰かが内部から大政奉還の声をあげなければならないのは、みんなわかっている。でも誰も声をあげないし、決断ができない。
●しかし残念ながらあのオーナーたちには、会社のなかで出世して社長になるという、東宝の植木等のサラリーマン映画みたいな発想しかないのです。
●「人の心は金では買えない」というのも同様です。誤解を恐れずに言えば、人の心はお金で買えるのです。女はお金についてきます。人間はお金を見ると豹変します。豹変する瞬間が面白いのです。皆ゲンキンなものです。金をもっている人間が一番強いのなら、金持ちになればいいということなのです。人間を動かすのはお金です。
この本を読んだあと、それまで支持していたのに嫌いになった、という意見もけっこうあるようだ。だが、よく読んでみると傾聴に値する意見が多い。ことば尻だけをとらえると、軽薄、思い上がり、とも思えるかもしれないが、いやいやこのひと、当面「要注意人物」ですよ。
いずれにしても30代の若者が日本を引っかきまわす時代が到来した。これは喜ぶべき現象である、と僕は思う。若者よ、元気をだして「老害」を打破せよ。老人のような若者、さいきんけっこう増えてますよ。
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