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縁の下のバイオリン弾き
80 ハンマーダルシマー
2013年10月15日
西村 万里 西村 万里 [にしむら・まさと]

1948年東京生まれ。大学で中国文学を専攻したあと香港に6年半くらし、そのあとはアメリカに住んでいる。2012年に27年間日本語を教えたカリフォルニア大学サンディエゴ校を退職。趣味はアイルランドの民族音楽 (ヴァイオリンをひく)と水彩画を描くこと。妻のリンダと旅行するのが最大のよろこび。
▲ 書見台
ロサンジェルス近郊のロング・ビーチに古くからの友人、ケビン・チューが住んでいる。この人は私がアメリカで音楽をはじめるにあたって大きな影響を与えた。

私がボストンについてしばらくしてとなりの州であるコネチカット州に住む彼と知り合った。そのころ彼はハンマーダルシマーという楽器を演奏していた(その時は知らなかったが、私と会う直前にこの楽器をはじめたそうだ)。

ハンマーダルシマーは台形の箱の上にたくさんの弦を張った楽器だ。この弦を両手に持ったバチでたたく。それで英語でhammered dulcimer(たたかれるダルシマー)という。単にhammer dulcimer ともいう。なぜこんな名前がついているかというと、マウンテン・ダルシマーという小型の共鳴箱に3本か4本の弦がついている別の楽器があって、それと区別するためなのだ。マウンテン・ダルシマーは弦をかき鳴らして演奏する。

はじめてケビンがこの楽器を弾いてくれたとき、私はその音色に魅了された。盆に水銀を転がしたようだ、と思った。水銀を転がしても音なんか出ないけれど、その軽やかにはじける音を聴いたとき、そういうイメージが自然に頭に浮かんだ。

その後私はフィドル(バイオリン)のクラスを取った。そこで第一番に習った曲はアイルランドの音楽だった。そしてまったく偶然だったけれど、その曲はケビンが最初に私にひいてくれた曲だったのだ。それからというもの、私たちは時々会って合奏した。ひける曲目もだんだん増えて行った。ケビンのガールフレンド(いまや彼の奥さん)のパティがギターをひくので我々三人でボストンの地下鉄の駅で演奏したこともあった。バイオリンのケースを開けておくと結構投げ銭があつまったものだ。

こういうふうに街頭で演奏してお金をかせぐことを「バスキング」という。大道芸という意味だ。でも我々はお金よりも音楽を公共の場で演奏することが楽しくてしかたがなかった。お金はビールの泡のようなもので、ないよりはあったほうがよいが、酔っぱらうには必ずしも必要ではない。

それでもお金がはいってくるのがうれしくないわけがない。アメリカでは11月末の感謝祭がすむと町はクリスマス一色になる。その感謝祭の翌日にクリスマスの買い物のためにごったがえす広場で演奏してずいぶん金をかせいだのはなつかしい思い出だ。

そんなふうに人を集めることができたのは我々の音楽がよかったからというだけではなくケビンのダルシマーが珍しかったからだろう。ダルシマーはアメリカでは古くから使われている楽器なんだけど、普通の人にとってはまずなじみのない楽器だ。

大きいし、形は目立つし、しかも鈴を振るような美しい音色が出るのだから、だれでも好奇心に駆られる。ケビンはここぞとばかりバチを振るう。黒山の人だかりだ。私は横でやっきとなってフィドルをひくのだが残念なことにだれもかえりみない。特殊な楽器をひくのは得だなあとうらやましかったものだ。


しかしそのうちに私はカリフォルニアに引っ越してしまい、ケビンとの交渉はとだえてしまった。なにしろ大陸の東と西にわかれて暮らしているのだから、会うこともままならない。別れてから会ったのは彼の妹の結婚式に出席するために東部に帰った時ぐらいだっただろう。長い間クリスマスカードを交換するのが関の山だった。

私はサンディエゴで日本語の教師になり、ケビンは日本でいえば農水省のような連邦政府の役所のお役人になった。彼は鯨の研究で博士号をとった漁業の専門家だ。捕鯨の交渉で日本に行ったことも何回かある。

その彼が3年前に西海岸漁業の調査をする官僚としてカリフォルニアに派遣されて来た。そんなことはよもあるまいと思っていた。彼が住むロングビーチは車で2時間ぐらいかかるけれど、なにしろ同じ州だ。30年ぶりに友情が復活した。感激の再会だったといっていい。

私はボストン以来音楽をやめたことはない。でも私よりははるかに多忙なケビンはこの長い年月ダルシマーにほとんど手を触れたことがないという。音楽的には彼のほうがずっと教養がある。でも音楽はなんといっても実践で、ひかなければ曲は忘れてしまうし技術もおろそかになる。とくに我々はアイリッシュをやっていて、これは楽譜を見ないでひくからつねに楽器を手にしていることが大事だ。

ところがひさしぶりにケビンと合奏してみると昔とったきねづかで以前の呼吸が自然と戻ってきた。長い間やっていないとはいうものの、彼の技術は全然さびついていない。これはうれしかった。


ハンマーダルシマーはペルシャ、つまり現在のイランが起源だと言われている。それが西洋に伝わってダルシマーとなり(各国でいろいろな名称がある)、東は中国に伝わって揚琴(ヤンチン)となった。揚琴は「揚州の琴」という意味で、揚州は上海に近い古都だ。だから古くからある楽器だと思われがちだが、たぶんこの揚琴は発音が同じの洋琴の字を変えたものだろうと思う。洋琴といえば「外国の琴」という意味で、もしそうだとすればこの楽器の中国での歴史は意外と新しいものだと考えられる。一説によれば明の時代に(約400年前)イタリア人の宣教師がもたらしたものだという。

日本に入って来た形跡がないのもこの「歴史が新しい」ということと関係があるのではないかと思われる。近世には日本と中国はほとんど交渉がなかったから、中国に入った時期が遅ければ当然日本には入ってこなかったわけだ。

ハンマーダルシマーはピアノの先祖だということができる。ピアノは楽器の内部が見えないためにそうとすぐにはわからないが、打楽器だ。鍵盤をたたくことにより、それと連動しているハンマーが内部に張ってあるたくさんの弦を打つ。原理的にはダルシマーと変わらない。

しかしもちろんダルシマーはピアノよりずっと小さいので音量がなく、音域もせまい。単純な音楽しか演奏できないのだ。でもそのおかげで音色は軽やかで独特の美しさをたたえている。


話は変わるが、20年ほど前に緒形拳が主演した「おろしや国酔夢譚(すいむたん)」(1992年)という映画があった。「おろしや」というのは江戸時代に使われたロシアの呼び名だ。大黒屋光太夫という船頭にひきいられた難破船の乗組員16名がロシアに流れ着く。シベリアを横断するなど言葉にならない艱難辛苦(かんなんしんく)のすえ、何人もの仲間を失いながらもついに3人が日本に帰国するまでを描いた映画だ。これは井上靖の同名の小説を原作としている。その小説のもととなったのが「北槎聞略(ほくさぶんりゃく)」(1794年)という聞き書きで、これは光太夫にインタビューしたオランダ学者桂川甫周(かつらがわ・ほしゅう)が書いたものだ。ロシアの生活と文化の全般について細大もらさず記述してある。そのすべてが光太夫の記憶をもととしている。挿絵がたくさんはいっているし、ロシア語の簡単な辞書まである。この本にあらわれる光太夫の記憶力と知性はおどろくべきもので、18世紀にこんなすぐれた日本人がいたのかと感心するばかりだ。

光太夫は目的を達するために首都のサンクトペテルブルクまで行き、女帝エカテリーナ2世に会っている。そうやって帰国の許可をもらったのだ。難破から10年がたっていた。

北槎聞略には光太夫が目にしたありとあらゆる物事についての説明があるのだが、楽器の項に「イキレアというもの長さ五尺ばかり、鉄線(てつはりがね)五十弦なり。細き杖を左右に持ってこれを撃(う)つ」とある。これは疑いもなくハンマーダルシマーである。

北槎聞略ははやくからロシア語に翻訳されていて、ソ連の学者の注がついている。それを日本の訳者がさらに日本語訳していて、イキレアについては「コンスタンチーノフの注記ではシンバルと推定しているが」多分そうではないだろう、と書いてある。「シンバル」が両手にもって打ち鳴らすあのシンバルだとしたら当然イキレアであるはずがないが、この訳者は誤解しているのだ。この「シンバル」はたぶん「シンバロン」のことで、それだったら中欧を中心に用いられる大型のハンマーダルシマーの名前だ。訳者がシンバロンについて知識がなかったためにわかりにくいものをさらにわかりにくくする注になってしまった。いずれにせよ、18世紀のロシアにはハンマーダルシマーがあったのだ。大黒屋光太夫がそんな楽器にまで目をとめて名前を聞いていた、楽器の形状と演奏法を観察していた、というのが私には信じられない。

2008年のクリスマスにリンダと私はスペインに旅行したのだが、マドリッドの太陽広場でシンバロンの演奏を見た。たぶんロマ人なのだと思うがこのマドリッドのシンバロン奏者は二人で、それにベース弾きがひとりつく。二人の奏者は親子なのだろう、一台のシンバロンを二人でたたいて見事に息があった演奏ぶりだ。曲目はポピュラーなクリスマス曲だけれど、それをたいへんな数の装飾音を入れて目にもとまらない速さでたたきまくる。ハンマーダルシマーはよく知っているけれど、あんなにすごい演奏を見たのははじめてだ。そして、これだけの腕をもっているのに路上で小銭かせぎをしているんだからなあ、と音楽の世界のきびしさに胸をつかれた。


先週ケビンが我が家にやって来て、一台のハンマーダルシマーを置いて行った。うちに置いておけばロングビーチから毎回ダルシマーを運んでくる手間が省ける、というわけだ。彼はすでにダルシマーを一台もっているのに、最近ネットで売りに出されたダルシマーを格安で買ったのだ、と得意げだった。ダルシマーを買うと同時に立って弾くための専用の台も同じサイトで購入した。ケビンは楽器よりもそれが目的で、自分用に使うけれど、楽器の方はここに置いといてくれ、という虫のいい注文である。とはいうものの、私にダルシマーをひかせようという魂胆は見え透いていて、いずれはダルシマーの二重奏をやろうと思っていることは明らかだ。

私はフィドルに集中したいと思っているから突然のこの申し出にはうろたえたけれど、考えてみれば退職後時間は十分あるのだ。よし、やってやろうじゃないか、という気になった。

ケビンが置いて行った楽器にはすわって演奏するための一本足の支えがついていたが、私も立って演奏できる台がほしい。でもハンマーダルシマー自体ですら売っている楽器店はないのに、その台なんか売っている店はない。

私は一策を案じて骨董屋街に行った。西洋には聖書とか辞書とかを乗せておく書見台というものがある。聖書にせよ辞書にせよ大きなぶあつい本だから本棚から入れたりだしたりするのは骨が折れる。だからふだんから台の上に開いて乗せておくのだ。それがハンマーダルシマーの台にぴったりだと思ったわけだ。

果たせるかな、ある骨董屋で鉄製の書見台を発見した。クラシックの音楽家が使う譜面台に似ているが、譜面台の角度がずっと小さく、ほとんど水平で、しかも本がずり落ちないように「止め」がついている。ハンマーダルシマーの台として理想的だ。これを値切って破格の安値で買い、意気揚々と我が家に持ち帰った。

これで準備はできた。あとは練習してハンマーダルシマーが弾けるようになるだけだ。こんどケビンが我が家に来た時にはアイリッシュ・ミュージックの一曲や二曲は合奏できるようになりたいと思っている。



ハンマーダルシマーの演奏です。

http://www.youtube.com/watch?v=sMD9tL_QbpY
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