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龍宮城伝説考 |
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2005年3月25日 |
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 | 吉田 美智枝 [よしだ みちえ]
福岡県生まれ、横浜市に住む。夫の仕事の関係で韓国ソウルとタイのバンコクで過ごした。韓国系の通信社でアシスタント、翻訳、衆議院・参議院で秘書、韓国文化院勤務などを経て現在は気ままな主婦生活を楽しんでいる。著書に『朝鮮王朝の衣装と装身具』(淡交社、共著)『韓国の近代文学』(柏書房、翻訳)などがある。現在、文化交流を目的とした十長生の会を友人たちと運営、活動している。 |
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▲ ネックレス「春のダンス」 クレオパトラと呼ばれる形の淡水パールの弾むような動きから名付けた。他にガーネットと短い竹状のベネチアンビーズを使用。 |
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雪の日にあの人に会った、落ち葉の頃コンサートに行った、夏の日、砂浜で小さな姪たちとはだしで遊んだ。人の記憶というのはそのとき着ていた服や気温や風景と密接に結びつきながら、脳裏に刻まれていくもののようである。
映画の1シーンが主題歌や背景の音楽と深く結びついて記憶されるのと同じように…。
「龍宮城はタイがモデルらしい」 タイ在住の日本人の間でまことしやかに語られるお話である。実はこれと同じような龍宮城伝説、タイだけでなくベトナム、マレーシア、台湾、そして沖縄にもあるときく。
気温の変化が少なく、季節感の希薄な南国に暮らしていると、人の記憶というものが季節感と深く結びついていることを痛感する。
私自身タイに住んでいる間、歳月の感覚がなくなり、気がつくと1年2年が経っていた。いつ、誰と、どこにいたか、あの出来事、催しはどの季節だったか…タイに暮らしていた間の記憶が極めてあいまいなのである。
だから、南国に派遣された駐在員たちが「龍宮城伝説」を好んでする理由は理解できる気がする。ほんの数ヶ月だと思っていたら数年も経っていたと驚く自分の姿が、歌舞音曲と美酒に酔った龍宮城から地上に戻り、白髪の老人に変わり果てたわが身に驚く浦島太郎の姿と重なるからであろう。
気をつけていると花の開花時期や雨季・乾季があり、地元のタイ人たちにとってははっきりと感じられる季節の変化も、外国人である私たちにはよくわからないというのが正直な感想だ。異国の土地に来て、目先の生活に慣れるのに右往左往し、微妙な季節の変化がようやく目に映るようになった頃には帰国となる。
熱帯では植物の成長が速い。ベランダの鉢物は数ヶ月で3倍ぐらいの大きさになり、ブーゲンビリアは1年に3度も花を咲かせる。ある日私は、これらの美しい南国の植物や花々を眺めていてギョッとしたのを覚えている。
ここでは全てが速回りなのだ! 人間も同じかもしれない。タイの人は日本人に比べ早熟で、早く結婚し子どもを産む。平均年齢は60歳台だともいわれる。それなら3年間タイに住んだこの私も、滞在実年数の2〜3倍老けたことになる。
「えーーっ、大変! そ、それは、ないでしょう…」 日本にいる時は仕事と主婦の両立で息切れしていた私が、タイでは数段ラクチンな生活をし、のんびり人生を謳歌しているではないか。寿命も10年ぐらいは延びようというものだ。
だがよくよく考えてみると、冬ごもりするほどの寒い季節などタイにはなく、人は一年中活発に動きどおしの生活だ。急に遊びに目覚めた私は、やれゴルフだ、マッサージだ、昼食会だ…と忙しかった。それに、熱帯特有の新陳代謝のよさが肉体の加齢に拍車をかける。
日本に帰国し目立ち始めた白髪や肌の衰えに動転した私は、急にがっくり老け込んだ気分になり、浦島太郎の話がまんざら非現実的な話ではないと思うようになった。
だが不思議なことに20年、30年と長い間タイ暮らしをしている日本人たちが老けているかといえば、そうではない。むしろみんな日本の同世代の人びとより若々しいくらいだ。それに比べ帰国組には、急に白髪頭になったり大病をわずらったりする人が多い。
龍宮城を離れた浦島太郎は一気に老人になってしまったが、龍宮城にとどまった浦島太郎たちは歳をとらない…。タイという龍宮城には不老長寿の実でもなっているのだろうか。どうも浦島太郎の話は、熱帯早熟説と季節感のなさだけで説明できそうにない。
乙姫様からのお土産の玉手箱、そこから立ち上る煙ってなんだろう。見慣れた風景ではあっても見知らぬ人びとの住む故郷の入り口で、呆然と立ちすくむ人びとの戸惑い、心の葛藤だろうか。
玉手箱を宝石箱だと思い込んだ女浦島太郎は、砂浜で貝殻のようなビーズを拾い集め、今日もその宝石箱に詰めるアクセサリーをつくり続ける。それでもいつかは夢から覚める日がくるだろう。
「こここそわが龍宮城」
そういって自分自身を煙に巻きつづけられる方法、どなたか知りませんか?
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